2017年8月12日 (土)

ツィッターの方に、つい…

 前に書いてから、1カ月ぶりの投稿。
 書くのがメンドウになったとか、そういうことではなくて、実はツィッターにハマッていました。

 このブログはFacebookにもツィッターにも連動していて、同じものが読めるようになっているけど、ツィッターで実名ではない別アカウントを取得し、自由気ままに、いろんな人の考えを読んだり、勝手につぶやいたりしていました。

 ちょうど組織的犯罪処罰法改正(いわゆる共謀罪)で騒然としているときで、加えて安倍政権のいろんな問題が噴出し、ツィッターも大いに盛り上がっていましたね~。

 このブログは、元々は私の仕事の宣伝・広告という意味合いで始めたので、自分が政治的にどの立場に立っているかは、表明はしません。
 以前、一般の営業職や新聞記者をしていた頃、上司や先輩から「支持政党とプロ野球の贔屓の球団だけは絶対に自分から話すな」とさんざん言われたものですが、仕事でも人間関係を深めようと努力すると、どうしてもそこに話が踏み込むことがあります。
 まぁでも、社会的常識を充分に弁えていて、そんなことでビジネスの関係を悪化させることはないだろうと思っていた人が、こちらの立ち位置を聞いたとたん、連絡をしてくることが無くなった、なんていう経験も一度や二度ではないので、中立を装うのはやむを得ないのですが。

 話が逸れましたけど、その点、ハンドルネームで参加するツィッターは(実名の人も少なくありませんが)、まぁ自由な世界ですね。
 フォロー・フォロワーが増えてくれば、ブログやFacebookなんかより、はるかに大勢の人と絡み合えるし、接触するのも、ほんの一瞬のこと。その瞬間は丁々発止のやり取りになることもあるが、数分後には、もう別なことに興味が向いている。
 まぁチャットと違うので、やり取りは時間的に日にちをおくこともあるが、それはそれで、自分の考えを整理するのに都合が良い。

 1回の投稿が140字以内、というのもいいですね。
 私は書くことが苦ではないので、このブログも、友人とのLINEでも、「おまえの文は長い」と非難されることがしばしばあるのですが、確かに、読むには、短い方がラクであるのは間違いありません。

 SNSはそれぞれ機能の違いがはっきりしていて、以前はどれも「帯に短しタスキに長し」と感じていたけど、そこはやはり慣れもあるし、短所に眼を瞑って割り切って使えば、それぞれにいいものだと思う。
 そういう中で、今はツィッターが一番自分に合っている、と感じているところです。

 そうは言っても、このブログ(=Facebook)で書きたいこともいっぱいあるので、そろそろ戻らなければ、そう思って1カ月ぶりに書き込んでいる次第です。
 当面、間隔は空き気味になると思うけど、またよろしくお願いします。

2017年7月12日 (水)

4―6月期のドラマで面白かったのは…

 テレビ時評を書き続けるには、テレビを見続けなければならない。でも、これがけっこう至難の業だったりする。

 4―6月期が終わったので、ドラマの総括をしようと思っていたが、結局、書けなかった。何故かというと、ほとんど見ていなかったからだ。
 元々、ゴールデンタイムにリアルタイムで番組を見るのは不可能に近いので、各クールの初めに、新ドラマは一通り録画し、目を通すようにはしている。しかし、ここ2、3年は、最初の5分で消去してしまうことが多くなってきた。

 要するに、つまらないのである。
 テレビ時評と言うからには、面白くてもつまらなくても、ひと通りは見た上で、良かった悪かったと言うべきなのは分かっているが、ほとんどのドラマは、最後まで見られませんでしたね、ハイ。

 もちろん、面白い、つまらないというのは個人の感性の問題であり、「最近のドラマって面白いのが多いよね」という人だって、きっといるに違いない。まぁ少数だろうけど。
 でもって、前期、何とかほぼ全話見たのは、「4号警備(NHK)」、「櫻子さんの足下には死体が埋まっている(CX)」の2本かな。
 あと「CRISIS 公安機動捜査隊特捜班(CX)」、「緊急取調室(テレ朝)」、「警視庁捜査一課9係係長(テレ朝)」の3本は、録画はしたけど、クール後半は見るのがけっこう辛くて、冒頭、事件の概要が分かる部分まで見て、あとは終盤の解決編まで飛ばして見ていたから、全話見た、とはちょっと言えないかも。
 逆に、「リバース(TBS)」は、最初、1話で見るのをやめながら、カミさんが続けて見ていたのを横で“ながら視聴”していて、結局、最後の2話ぐらいはのめり込むように見てしまいましたねぇ。

 こうして並べてみると、見事にミステリーオンリーだね。今期は特に多かったのかもしれないが、「小さな巨人(TBS)」のように、期待しながら、2、3話見て、これ以上見続けるのはムリ、と判断したのもあるし、冒頭に触れたように、5分見て、バカバカしくて見ていられないものもありました。どれ、とはいいませんが。

 なぜつまらなくなったか、というのは、いろいろな理由が考えられるし、今は見る方も“視聴巧者”になってきているので、どのドラマにもあてはまる理由というのはないのかもしれない。だからあくまでも「自分の場合」という話になるが、私の場合、登場人物のキャラクター設定がしっかりしているドラマは、比較的、長く見続ける傾向がある。

 とまぁ、全体的には不作だったという感想を持つ中で、特筆したいのは、やはり「やすらぎの郷(テレ朝)」ですかね。
 昼帯と夜のドラマとを単純に比較できないけど、逆に、民放の昼帯でよくもこれだけの大物俳優を集めたな、というのが、最初の感想。
 そして、物語がそれなりに面白い。基本的に老人ホーム内での群像劇なので、波瀾万丈の事件が日々起こるわけではないのだが、住んでいる人たちがTV業界人ばかりというのがミソで、過去の栄光を背負う者たちだからこその、一般人とは異なる日常が繰り広げられる。
 菊村栄という主人公を演じる石坂浩二は、元シナリオライターという設定で、脚本を書いている倉本聰を投影しているとも言われるが、ずっと見ていると、石坂浩二の素の姿を見ているような錯覚にも襲われる。
 現実でも元妻だった浅丘ルリ子らに「栄(えい)ちゃん」と呼ばせているのは、石坂の実際の愛称である「兵(へい)ちゃん」を連想させ、これは絶対に狙っているに違いない。

 おそらく視聴者は、“ギョーカイ”の内幕を覗く面白さを、まず感じているのだと思う。さらに、シニア世代が直面するさまざまな問題をけっこう真正面から取り上げ、それでいてあまり生々しくなく、「ドラマでの出来事」とオブラートにくるんで見せているので、半分は我が身に当て嵌め、半分は他人事として、ある程度の距離を置いて見ることが出来る。その辺は、さすがに倉本脚本だなと唸らせる。

 ネットで知ったのだが、倉本聰は初め、この企画を、「北の国から」でお世話になったフジテレビに持ち込んだそうだが、フジはまったく取り合わなかったとか。
 今、これだけ話題になり、視聴率も伸ばしているのを見て、フジは地団駄を踏んでいるに違いない。
 人も会社も、落ち目の時ってそんなものである。

2017年6月21日 (水)

我が実家よさようなら…

 先週ほぼ一週間、実家の引っ越しで東京に行ってきた。
 そこで生まれ育ち、60年間、いつでも“在った”実家だったが、老朽化には勝てなかった。一人で住んでいた姉の身では維持・管理もたいへんで、分相応な小さいマンションに引っ越したのだ。

 さすがに何か感慨が湧くかと思ったが、人生の3分の2はこちら、札幌で過ごしているので、感傷的になることがなかったのは、我ながら意外だった。尤も、引っ越しと不要品の整理・処分で、体はくたくた、感慨が湧くヒマがなかったというのが正直なところかも。

 実家の一階は、工場や事務所として貸していたのだが、もう10年以上、借り手が付かず、父や母が亡くなった際には、遺品の「とりあえずの保管場所」にしていたので、まぁ荷物の多かったこと。一人で黙々と片付けていた姉には、外野から「断捨離だよ、断捨離」と呼びかけていたものの、家を移るさまざまなやっかいごとも、ほぼ一人でこなしていたので、整理はそれほど進まなかったようだ。
 この4月以降、下の姉や私が行っては手伝ったりしていたが、膨大な荷物を前に、どう片付けていいか、姉弟して途方に暮れていましたね。でも今回はさすがに、引っ越し本番と、その翌日に不要品を業者に引き取ってもらうのが続くため、待ったなしでした。

 たいへんだったのは、引っ越しそのものよりも、むしろ不要品のゴミ出しの方だった。
 最後の最後まで、捨てていいものか、やはり取っておくか、判断がつかないものもあり、家を引き渡す直前に、もう一度引き取り業者に依頼する、と、姉も決断せざるを得なかった。実際、今回も、見積もりに来てもらった時より格段に捨てるものが増え、業者からは数万円の上乗せを要求されました。まぁそれは姉も納得ずくでしたけどね。

 引き渡しが済み、取り壊されて更地になったら、そのときはぜひ一度来てみようと思う。見慣れた「そこにあったもの」が無いというのは、どんな感じになるんだか。
 親が亡くなったときも、しばらく経って、「あ、そうか、もういないんだっけ」という気持が、何かの折にふいに湧いてきて、はじめて親の死に感傷的になったしね。まぁ、家と親の存在とは比較にならないかもしれないけど。

 齢とともに、この北海道の冬の寒さがからだに堪えて、いよいよ我慢できなくなったら本州に引っ越そうか、なんてカミさんとどこまで本気か分からない話をしているけど、今回のことで、ちょっと考えが変わったように思う。
 もし本当に引っ越すにしても、引っ越し先で、家具から什器、衣類、日用品まで、すべて一から調達するぐらいでないと、とてもじゃないけど老齢の身には厳しいだろうなと、心から思いましたヨ。

 まぁでも衣類はそうはいかないか。男はともかく、女性には簡単に捨てられない服も多いだろうし。あと書籍。ほぼ3間(けん)分の幅の書棚に並んでいる中には、もちろん捨てても惜しくない本も少なくないが、文庫本であっても手放したくないものもけっこうある。これの選別には滅茶苦茶時間がかかるだろうなぁ。いまから少しずつやっていくかな、なんて思うけど、これが必要に迫られないと手を付けないんだよね。
 人には「断捨離」なんて簡単に言うけどネ。

2017年6月15日 (木)

商店街よいつまでも

実家の引っ越しで東京に来ているが、とにかく疲れ果てた。
という愚痴を言いたかったわけではなくて、商店街にちょっと感動した話を。

新しい家は、西武線の沿線、辛うじて23区内にあるのだが、最寄り駅からは商店街を通るようになっていて、これがホントに新鮮だった。
多分、全国いたるところで見られる、何の変哲もない商店街だと思うが、実は、生活圏にこういう商店街があるのは、初めての体験なのである。イヤ、まぁ、自分が生活するわけではないのだけどネ。

目に付いたのは、居酒屋の多さ。どこもチェーン店ではなく、地域に密着した店のようだったが、2軒あった焼き鳥屋はいずれも店頭での対面販売もしていて、これが両方とも結構な客を集めていた。主婦よりも、仕事帰りのおっちゃんやお姉ちゃんがほとんどで、帰って焼き鳥で一杯、というところなんだろうね。
他にも食堂と兼ねたような呑み屋があって、退勤時のためか、ふつうの居酒屋よりも混んでいるようだった。ここは1回、入ってみたい、と思いましたね。

もちろん、酒を呑ませるところばかり目に付いたわけではなくて、一般的な商店の種類も観察したけど、自家製キムチの専門店だとか、見たことのない種類の豆を扱っていた豆の専門店だとか、こういうのは、その商店街の特色を出している店と言っていいのかもね。

西武線なので、駅前には西友もあるし、イオン系のミニスーパーもあったが、青果店も客を集めていて共存していたのが、何か嬉しかったよね。

残念だったのは、生活雑貨を扱う商店が見つけられなかったこと。
荷解きしながら、あれがない、これがないと何度も商店街は走ったのだけど、結局、ほとんどのものを購入したのは、コンビニでした。

やはり全国共通仕様の店というのは、何を扱っているか、店内のどこに何があるかが分かって、言うなれば行きつけの店があるようなもの。店の人と世間話をしたりというコミュニケーションを望んでいない客にとっては、コンビニの方がありがたいのだろう。
実際、昨日見た限りでは、どこの商店よりも、コンビニは人が立ち寄っている感じでした。
そう考えてみると、居酒屋などの飲食店とスーパーを別にすると、コンビニ1店で、他の商店の売り上げの合計を越えているんじゃないかと、そんな心配をしてしまいましたよ。

あ、だから居酒屋が多いのだろうか?

2017年6月11日 (日)

「わたしをみつけて」それから…(6)

 午前中の業務が終わり、弥生はいつものように学校に向かった。
 それを見届けてから、五十嵐は事務局に鍵を取りに行った。
 しかし、「あれ、先ほど佐久間先生が持って行きましたよ」と事務員。「珍しいですね、ふだん、屋上になんて滅多に誰も行かないのに」と首を傾げる。
「あ、うん、ちょっと不要なものを置く場所がないかなぁって、ちょっと見たかっただけだから。急いでないし。あとでも構わないわ」
 あわてて誤魔化して、五十嵐は屋上に向かった。

 屋上には、ベンチが一つだけ置いてある。
 以前は自由に出入りできたときもあった。しかし、星見ヶ丘病院では一回もなかったが、屋上からの自殺が頻発した時があり、今はほとんどの病院が、屋上を閉鎖している。
 このベンチも、屋上が使われなくなったあと、単に処分されなかったというだけのもので、風雨にさらされて色褪せている。
 佐久間はそのベンチに座り、菓子パンを囓っていた。
「佐久間先生、もういらっしゃってたんですね。すみません、遅くなって」
 五十嵐が頭を下げた。
「大丈夫だよ。きっと長い話になるだろうから、少しでも早くから話し始めた方がいいかなって思って」
 特に愛想笑いをするでもなく、淡々と佐久間は応えた。
 決して無愛想だとかクールだとかいうのではない。佐久間の“地”がそうなのだろう。五十嵐もその“地”を理解するまで、けっこう時間がかかったが、今はもう慣れている。
 いやむしろ、誰に対しても誠実だし、分け隔てをすることもない。ただ、感情の表し方が、人より少しばかり乏しいだけなのだ。
 もしかしたら、長年、後藤前院長の陰に隠れて、無色透明の存在に徹してきたことが、この佐久間の“地”を作ったのかもしれない。

「お昼、まだなんでしょ? こんなので良かったら食べないか? あと缶コーヒーも買っておいたよ」
 やはり表情を変えずに佐久間が勧める。たぶん、佐久間なりに、気を遣ったり思いやったりしているつもりなのだ。五十嵐はありがたくその好意を受けた。

「で、恵美子さん、いや、神田さんは、どこまで話したの?」
 パンを頬張りながら、佐久間は聞いた。おそらく、一番気になっている部分だろう。
「恵美子さん、でいいですよ」
 五十嵐はにっこりと微笑んで、まずそう告げた。
「たぶん、一通り全部、話してくれたんだと思います。佐久間先生が、家族として神田さんを支えながら勇太君の治療に取り組むって決意している、ってことも」
 五十嵐は、もらったパンを指で小さく千切りながら、口に運んだ。
「そうか…。さっきも言ったけど、ぼくは、院長にはもう話さなければと思っていたんだ。でも恵美子さんがね、それはもう少し待ってくれって言うんだ。
 そのことは何か言ってたかい?」
「いえ、それは今初めて聞きました。でも佐久間先生、私、なんとなく分かるんですけど、神田さんは、やっぱりまだ迷っているんだと思います」
「何を? ぼくとの結婚をかい?」
「はい…」
「どうしてだろう…。ぼくは恵美子さんも勇太君も、何があっても最後まで守り抜くって、何度も何度も言ったんだけどなぁ。そんなに頼りなく見えるのかなぁ」
「いえ、佐久間先生、そうじゃなくて…。
 一昨年、DVを受けていた件は、もちろんご存知ですよね。
 あの時は、うちの山本がたまたま見付けて、でも山本は、子どものためにすぐに別れるべきって強く言ったんだけど、神田さん、最初は拒否したんですよねぇ」
「えっ、そうだったの? 何で? そいつのために苦しんでいたんだろ?」
「それはそうなんですけど…」

 あの時、神田は、「あの人に捨てられたら生きていけない」、そう言ったと、あとで弥生から聞かされた。
 DVを受けながらその男と別れられない女性は、けっこう多い。五十嵐は、立場上、そういうケースをいろいろと見てきた。ケガをするまで暴力を受け、病院に担ぎ込まれることも、少なくないのである。
 何をされてもその人が好き、というのは、むしろ稀であろう。愛情ではなく、依存心なんだろうと、五十嵐は思っていた。
 暴力を振るわれるというのは、言い換えれば、自分に眼が向いている、ということでもある。負の方向であっても、自分を見ていてくれる人がいることで、自分が存在していることを確認することができる。
 実際、男の呪縛が解けてから、神田は、男への未練などまったく見せなかった。

 でも、神田のそのセリフを佐久間にそのまま教えるのは、さすがに無神経すぎる。五十嵐は言葉を選びながら、ゆっくりと喋りはじめた。

「神田さんが不安に思っているのは、佐久間先生の誠意のことではないと思うんです。
 私は神田さんとは同年代だし、付き合いも長いから、たまに二人で呑みに行っては愚痴をこぼし合ったりしてきたんですよね。ま、勇太君がいるから、年に数回ぐらいのことですけど。でも、けっこう、互いのことは分かっているつもりなんですよね。
 佐久間先生は、神田さんの前の御主人のこと、お聞きになってますか?」
「うん、女を作って出て行った、ぐらいしか聞いていないけど…。勇太君と月に一回会うことになっていたけど、結局、一回も会いに来なかったんだろう?」
「ええ。これ、私が話すのはルール違反かもしれないけど…。
 神田さん、その頃は前の病院だったんですけど、ナースが足りなくて、とにかく忙しいところだったみたいで。勇太君が1歳になるまで産休を取っていたんだけど、病院から頼まれて、10カ月になる前ぐらいに、病院から戻ってきてって頼まれたんです。
 で、勇太君を乳児保育園に預けて仕事を再開したんですけど、御主人の浮気が始まったの、それからなんですよね」
「へぇ、そうだったんだ…」
 佐久間はパンを食べる手を止めて聞き入っていた。さすがに神田からその辺のことは詳しく聞いていなかったのだろう。
 五十嵐は話を続ける。
「それで神田さん、御主人よりも自分を責めたんですよねぇ。私の仕事が忙しいから、私がつい勇太ばかり構うから、って。実際、産休を短くされたぐらいだから、忙しかったのは事実だし、勇太君のことだって、まだ一歳にもなっていないんだから、手がかかるの、当然ですよね。
 だから御主人だって、本当は神田さんを支えなければいけないのに、それが重たかったのか、それとも元々女にだらしない男だったのか…」
 五十嵐はもちろん、元の旦那のことを良くは思っていない。神田から聞いただけの、一度も会ったことのない男だったが。
「でも神田さん、自分がいけないからって…。そういう人なんです。御主人に慰謝料も請求しなかったんですよ。養育費だけはもらうことになっているみたいですけど、それも時々滞っているみたいで…」
「ああ、養育費のことは聞いているよ。でも結婚したら、そんなの当てにする必要なんかないのにって言っているんだけどなぁ」
「いえ、佐久間先生、だから神田さんは、先生の気持ちを疑っているのではなくて、自分が我慢することで人に迷惑をかけなくて済むなら、そうしたい、っていう考えをする人なんです。
 勇太君と二人でひっそりと暮らしていけば、佐久間先生にも別な可能性が開けるんじゃないか、って。
 でもそれって、依存心の裏返しだと思うんですよね。本当は佐久間先生に寄りかかりたい。でも寄りかかることで、佐久間先生に重たいものを背負わせたら、また離れていってしまうんじゃないかって」
「だからそれは――」
 佐久間が言いかけたのを五十嵐は遮って続ける。
「それとね、佐久間先生。先生、まだ神田さんにきちんと『結婚して下さい』って言っていませんよね」
「いや、それは――」
 佐久間は虚を突かれたように言葉をいったん飲み込んだ。
「いや、そんなことはないさ。そりゃそういう言葉は言わなかったかもしれないけど、勇太君の病気を三人で乗り越えていこうって、それは何度も言っているんだから、それがプロポーズだって分かってくれているはずだよ」
「先生、それはダメですよー」
 五十嵐はわざと厳しい顔つきをする。
「女性はですね、そういうけじめの言葉がすごく大事なんです。確かに、そういうことが気にならない女性もいますよ。でも少なくとも神田さんは、その言葉が大事なんです。いろいろ傷付いてきているから、そのけじめの言葉で次の一歩を踏み出すことができるんです」
 五十嵐は熱く語る。
「……うーん、そういうものなのか……」
「そうですよー」
「いや、お恥ずかしい話なんだけどさ、ぼくは恋愛経験がもちろんまったく無いわけではないんだけど、結婚したいと思える女性に出会ったのは初めてなんだ。ただ、この年齢だろう? 甘い恋愛気分はもういいのかなって…。
 それで勇太君の病気をどう乗り越えていくか、そういう生活設計というか、人生設計というか、そっちの方が大事かなって思ったんだよね」
 佐久間はそう話すと、缶コーヒーを口に含んだ。きっと恵美子以外に、自分の心の内を見せたことなどほとんど無くて、喉がひりついたのだろう。
 五十嵐はそんな佐久間がなんか可愛く思えてきた。
「そりゃ神田さんだって、甘い恋愛気分に浸りたいなんて思っているわけではないと思いますよ。でも先生、くどいようですけど“けじめ”ですから、それは本当にお願いしますね」
「いや、わかったよ。いゃあ、まさかここで主任から恋愛指南を受けるとは思わなかったな…」
 そういって佐久間は苦笑した。別に気分を害したわけではなさそうだ。
「私は神田さんにずっとここにいてもらいたいと思っているんです。でも勇太君の治療が長引いて勤務に差し障りが目立つようになると、神田さんのことだから、絶対に辞めるって言い出すと思うんですよね。
 だから、浜田院長も後藤事務長も巻き込んで、病院を挙げて神田さんの味方になるよ、って。そこを神田さんに分かってもらいたいんです」
「うーん…。
 正直、ぼくは、ぼくたちの個人的な問題としか捉えてなかったけど、確かに主任の言う通りかもしれないな。
 わかった。まずきちんと結婚を申し込んで、そして院長にも事情をすべて話すよ。事務長にも、ぼくから言った方がいいのかい? プライベートな話はあまりしたことがないんだけどな…」
「いえ、事務長には、折を見てこちらから話します」
 佐久間はおそらく、雅之の弥生への想いなど気付いてはいないだろう。もちろん、今、教えるべきことでもない。でもいろんなことが順調にいけば、そう遠くないうちに、神田と佐久間に続く職場結婚が見られるだろう。
 この時の五十嵐は、そう予感していた。

2017年6月10日 (土)

「わたしをみつけて」それから…(5)

 次の日。
 五十嵐は、朝のミーティングで、さっそく神田のことに触れた。
 夜勤と日勤が交代する、最もナースが集中する時である。但し神田本人は、準夜勤のため来ていない。
 引き継ぎにも時間がかかり、すぐに患者の世話や手術の準備などに追われることになる。しかも、患者はナース室の前を頻繁に往来しているので、窓を閉めていても、聞かれる恐れもある。
 神田の件は、要領よく、一瞬で終わらせなければならない。五十嵐は、朝、起きてから、何度も喋ることを心の中で繰り返していた。

 さまざまな伝達のあと、神田はひと呼吸おき、弥生と目を交わしてから話を続けた。
「それと、神田さんのことだけど…」
 もうみんな、業務に取りかかろうとしていたり、退勤の準備をし始めていたりしていたが、人混みで急に動きを止めるフラッシュモブのように手を止め、顔を五十嵐の方に向けた。
「プライベートなことなので、第一ナース室以外には絶対に言わないで欲しいんだけど、小四の息子さんが、一昨年のことでフラッシュバックを起こして、今、心療内科に通っています。
 もう治療方針とかははっきりしているんだけど、いつよくなるかとかは、治療を進めてみないと何とも言えません。
 神田さんの勤務シフトこれまでと変わりませんが、もしかしたら、皆さんに迷惑をかけることもあるかもしれません。でも親子で一生懸命、病気と闘いはじめたところなので、私たちも出来る範囲で応援していきたいと思います。
 以上です。デリケートなことなので、神田さんに直接あれこれ聞かないように。いいですか?」
 最後のひと言は、関美千代の顔を見ながら言った。一番、そういうことをしそうに見えたのかもしれない。

 ミーティングが終わったあと、五十嵐の姿が消えたのを確認してから、関美千代と飯野七海がさっそく弥生のところに寄ってきた。
「ねぇ山本さんも、詳しく知っているんでしょ?」
 美千代が興味津々という顔で聞いてくる。
「詳しく、って言っても、主任が話した通りですよ」
 弥生の方が齢上だが、正看の美千代にはずっと敬語を使ってきた。

「勇太君、どうなんですか?」
 と、これは七海。
 一昨年のDV事件の折、ナース室に退避してきたこともあるので、一番若い七海は、仕事の合間合間に、勇太のことをけっこう構ったりしていた。
 なので、五十嵐の話を聞いてまず勇太のことを案じたのだろう。具合を聞く七海の声は真剣だった。
 これには弥生も答えざるをえない。
「フラッシュバックって、あるでしょ? それが症状のメインみたいなのね。睡眠障害も時々あるみたいで。とにかく神田さんと離れていると、不安になるらしいの」
 さすがにそういう話になると、美千代も真剣な顔になった。
「でも早い段階で専門医の先生に見せたって言うから、時間はかかるかもしれないけど、いい方向にはいくと思うんですよね」
「そっかー。と言って神田さんだってそうそう休んでもいられないものねぇ。ほかに身寄りがいないから、助けてくれる人もいないし」と美千代。
 弥生は佐久間の顔が浮かんだが、もちろん言うわけにはいかない。

 七海は思い詰めたように「ねぇ、いざとなればまた勇太君にここに来てもらおうよ」と美千代に向かって投げ掛ける。
 が、美千代は「それは難しいと思うよ。あの時は緊急避難的に院長や事務長が認めてくれただけだから。
 今回は長期戦になるって予想がついているしねぇ。あまり仕事に支障が出るようだったら、事務長だって考えるんじゃないかしら」
 美千代は決してドライなわけではない。しかし、ギリギリの人員で病院の建て直しに奔走している今、神田をただ無条件に守るわけにはいかないだろう。
 何より神田自身が、迷惑をかけるのが常態化すれば、潔く決断するのは目に見えている。若いとはいっても美千代はそれくらいの判断力はあるし、それは弥生も同じ考えだった。佐久間という要素を除けば、であるが…。

 五十嵐菜奈は、その日、何とか佐久間と話をしたいと思っていた。
 しかし日中の外科病棟は、まず業務以外の時間を作るのは難しい。
 その日は、神田は準夜勤で、出勤は午後3時からである。できれば神田が出てくる前に佐久間の胸の内を聞きたかった。
 しかし五十嵐の気持ちが通じたのか、階段を一人で降りようとする佐久間を見かけ、五十嵐はチャンスとばかりに追いかけた。
「佐久間先生っ」
 追いついたのは、ちょうど踊り場である。
 患者はもちろん、スタッフもほとんどはエレベーターを使うから、階段の踊り場は、密室とまではいかないが、意外と秘密が保たれる場所だった。

「ああ、五十嵐主任。どうしたの?」
 あまり看護師と交流しない佐久間だが、五十嵐とは、立場上、接することは多い。いつもの業務的なことかと思い、特に不審がることもなく足を止めた。
「先生、昼休みはどうされるんですか?」
「えっ、何、突然。何かあった?」
 いきなり昼の予定を聞かれ、さすがに面食らったようである。
「実は神田さんのことなんですけど。
 最近様子がおかしいので、昨日、話を聞きました。全部話してくれました。勇太君のこと、それから佐久間先生のことも…」
 人の通りが少ないと言っても、誰に聞かれるか分からない。ここでは用件だけ手短に話すしかない。

 佐久間は一瞬、言葉を飲み込んだが、それほど動揺している感じではなかった。
「そうか、恵美子さん、話したんだ…。いや、いいんだけど。
 ぼくもそろそろ――別に病院中に公表しなくてもいいんだけど――そろそろ隠しておけないかなって思っていたから」
 相手が五十嵐だからか、佐久間はあっさりと認めた。
「それで、勇太君のことでかなり参っているみたいだし、もちろん、勇太君のことを第一に考えなければならないんだけど。
 でもこのままだったら神田さん、病院に迷惑をかけるからって、辞めてしまうんじゃないかって思うんですよね」
 その通りだ、と頷きながら、佐久間は聞いている。
「でも私としては、それだけはさせたくないんです。なので、ちょっと相談させて欲しいんです。先生、昼休みに少しお時間いただけませんか?」
「わかったよ。ぼくも主任がそういう気持ちでいるなら、むしろありがたいぐらいだ。
 お昼はいつも通り、売店の弁当を買って食べるつもりだったから、そうだな、屋上ででも話そうか」
 屋上は、事故防止のため、ふだんは鍵が掛かっていて、特に患者は出ることが出来ない。
 鍵は事務局にあるので、五十嵐の立場だったら、だれにも咎められず借りることができる。
「わかりました。では屋上で」
 五十嵐はさっと踵を返して、また階段を駆け上がっていった。

 五十嵐は、弥生には、昼休みに佐久間と会うことを伝えた。
「そうですか、すぐに応じてくれたんですね。それは良かったです。それにしても、主任、やることが早いですね」
 安心したのもあって、弥生が笑みを見せる。
「勇太君のことは長期戦になるかもしれないけど、神田さんのことがねぇ。
 早くみんなで、“大丈夫、病院をあげて守る態勢ができてるからね”っていうふうにしないと、“迷惑をかけるから”なんて言って辞めてしまいそうな気がして…。できれば、院長とか事務長も巻き込んで、本当に“病院を挙げて”という形にしたいのよねぇ」
「ホントに。それができれば神田さんも安心して仕事が続けられますよね」
 弥生は今朝の美千代の話を思い出した。

 ナース同士、互いの性格もある程度は分かるから、美千代のように心配する者は多いに違いない。でも、心配するだけでは、神田をつなぎ止めることはできないだろうと弥生は思っている。
 それには、五十嵐のように、気持を実際に形に表さなければならない。
 弥生はあらためて、五十嵐の手の打ち方が早いのに舌を巻いた。
「なーに、山本さん、そんなニヤニヤして」
「いゃあ、なんか、主任ってすごいな、って…」
「やめてよねぇ、あなたまでそんな、関みたいに人をからかうの…」
「からかうだなんて。ホントに感心しているんです」
「ま、いいわ。佐久間先生から院長にアプローチしてもらうことにして、山本さん、事務長の方は、いずれあなたに頼むことになると思うけど」
「私がですか?」
 そんな大役は無理、という顔をしてみせる。
「そうよ。事務長は誰よりもあなたのことを信頼しているんだから。まぁ信頼だけじゃないと思うけど」
 と今度は五十嵐がニヤニヤする。
「やめて下さい。私は全然、そんなこと思っていませんから。私は今の外科のそれぞれの距離感というか、空気感が、このままずっと続けばいいなと思っているんですから」
 ちょっと怒ったふりをして、弥生は業務に戻っていった。

 五十嵐はちょっとだけ、事務長の雅之のことが可哀想になった。
 次期理事長が決まっている副理事長として、縁談もひっきりなしに届いているという話は聞いている。でも雅之は、すべてを話の段階で断っているという。
 その理由が弥生であることは、少なくともナースは皆、分かっていた。
 しかし雅之も、根が真面目なのか、純情なのか、弥生にあからさまにモーションをかけることはない。

 弥生は雅之の気持ちに気付いていないのか、気付いていないふりをしているのか、親しそうに話しかけることはあっても、ある一線からは越えない、という態度を取っている。
 今は正看護師を目指して学校に通っている身だから、自分を律している、というのもあるのかもしれない。
 もし理由がそれだけなら、晴れて正看になったときに、雅之もさすがにはっきりと行動を起こすだろうし、弥生も受け入れるに違いない。
 でも五十嵐は、なんとなく、それだけではないように感じていた。
 それが弥生の生い立ちによるものかどうか、そこまでは分からなかったが…。

2017年6月 9日 (金)

「わたしをみつけて」それから…(4)

 初めのうちは、デートといっても、必ず三人で会うようにしていた。
 勇太は特に人見知りする方ではなかったが、母親の目から見ると、やはり佐久間に対しては、どこか微妙にぎこちなさを感じることもあった。
 四年生なので、「お母さんの新しい恋人」ということも、気付いているに違いない。それが、この微妙な距離感なのだろうと、初めは思っていた。
 そうした中で、佐久間も神田も、そろそろ二人だけの時間を持ちたい、という気持ちも募っていった。そして一カ月ほど前、初めて二人きりで逢ったのである。
 もともと勤務時間が不規則なのは、十分慣れている勇太である。緊急の措置で二時間、三時間の残業になることも少なくない。一本の電話を入れておけば、そういう時のために用意している食事を自分で食べ、明日の仕度を自分でして、一人で寝ることもできる。
 なので、佐久間と二時間ほどの逢瀬を持つことに、特にうしろめたい気持ちはなかった。

 しかし、その晩――。
 勇太が、夜中に突然叫び、神田の布団にもぐり込んでしがみついてきたのである。
 きっと怖い夢でも見たのだろうと、初めは軽く考えていた。しかしその“現象”は、その日から毎日続いたのである。
 それでも、神田にくっつきながら眠れたときは、まだ良かった。起きて、何とか学校にも行くことができた。しかし時には、朝まで震えて寝られない日もあった。そうなると、次の朝は、学校に行くどころではなかった。
 もう、ふぬけたように、目の焦点が定まっていない気がした。学校は休ませるしかなかった。そしてそんな日が何回か重なると、さすがに担任の先生が、心配して来たのである。1年半前に虐待を受けたことを知っている担任は、心に何か影を落としているのではないか――そう指摘し、専門医に診せることを促した。
 神田も、そこはさすがに医療に携わっている身である。自身、薄々、そのことを疑っていたこともあって、素直に従った。

 最近は、外科の入院患者にも、うつ“病”まではいかなくても、うつ“傾向”に陥る人が、格段に増えている。看護師も、そのことを意識した対応をしないと、あらたなメンタルヘルスを発症しかねない。
 そういう研修も、看護師たちは順番に受けてきた。なので、精神科や心療内科の受診を、外聞を気にしてためらうことが何のプラスにならないことも、よく分かっていた。

 勇太の場合、けっこう早くに診断が着いた。直接的な原因は、1年半前のDVにある――そう見当を付けていたことが、早期の診断につながった。
 ただ、単純なフラッシュバックではなく、きっかけは佐久間の登場だった。
 あの時、勇太にとって一番辛かったのは、自身が虐待を受けたことよりも、大好きな母親が目の前で暴力を受けながら、それを庇えなかったことだった。
 男と別れて平穏な生活を取り戻したといっても、それはずっと心の中に闇として眠っていたのである。
 そして佐久間という男が、今また、母親との二人の世界に闖入してきた。

 確かにやさしい人だった。自分にはもちろん、母親にも、少なくとも自分の見ている前では、手を上げることなどなかった。
 でも最近、どうやら自分のいないところで二人で逢っているみたいだ。自分のいないところで、もしお母さんがぶたれたりしていたらどうしよう。自分はまたお母さんを守ることができないのか。あの時よりも、大きくなったのに――。
 そんな不安が津波のように心に押し寄せ、ついに防波堤が壊れたのである。それ以来、勇太は必要以上に母親に強く依存するようになっていった。とにかく、無事な母親の姿を見ていないと気が休まらない。不安になるのだ。
 学校も、何日か休んだあと、何とか行くには行ったが、心ここにあらず――という勇太の様子に担任はすぐに気付き、かつての虐待と結びつけた。そしてその日のうちに、母親に連絡したのである。

 診断は付いたものの、治療方針は簡単に立たなかった。
 神田は初め、佐久間と別れれば勇太が元に戻るものと簡単に思っていた。実際、そのことを佐久間に話し、ひとまず、付き合いをなかったものにしようとした。
 しかし、スイッチを切ったら灯りが消えるようには、勇太の“症状”は簡単に治まることはなかった。

 心療内科の医師は、それは当然だ、と説明した。
 もともと自分の中にあった、「お母さんを守れなかった」という負い目を、無意識のうちに心の内にしまい込んでいただけである。それが意識と無意識の中間に噴出してきて、不安感や不眠などの具体的な症状を引き起こしているのである。
 時間が解決する場合もあるが、医師は、「あなたも、あなたの新しい恋人も医療に携わる人だから」という前提のもと、三人で積極的に乗り越えていくことを提案してきた。

「もちろん、こうすれば良い、という明確な解決の道筋は、今はありません。いろいろ試行錯誤し、勇太君の反応をきちんと見ながら、その都度、次の一歩を見付けていくしかないと思います。でも、時間による解決よりは、より根源的な克服になるはずです」
 そう医師に説明され、神田はその提案を、一旦は受け入れた。
 しかし問題は佐久間である。
 まだ付き合いだして日も浅い。そこまで佐久間に求めるほど、二人の絆が確かなものになったとは言い難い。佐久間に重いものを背負わせるよりは、今、ほんのわずかばかりの二人の思い出を、無かったものにする方が、佐久間にとっても、この先の人生の可能性を広げることになる。
 そこまで考え、神田は佐久間に別れを告げた。それが、先週のことだったのである。

「それで、佐久間先生は何て?」
 神田恵美子の長い話が、やっと“今”に追いついたところで、五十嵐菜奈の矢継ぎ早の質問が始まった。弥生も聞きたいことはいっぱいあったが、まずは、上司でもある五十嵐に譲るべきだと思った。弥生はいくつもの質問をひとまず飲み込んだ。

「佐久間先生はね、自分にも背負わせてと言ってくれたんです」
 神田は淡々と答えた。

 勇太のPTSDが分かったとき、「付き合っていなかった時」に戻れば、勇太も元に戻るのではないかとの、二人の単純な発想に対し、担当の医師は、「三人で乗り越えたら」とアドバイスしてくれた。
 それは二人が医療のプロであることに依るところが大きかったが、佐久間は、別の感慨を抱いた。医師だから、ではなく、この先、本気で家族として母子二人を支えていく気があるのかどうかを、何者かから突き付けられたような気がしたのである。
 だから、神田から「あなたは私たちに縛られないで」と言われたとき、言下にそれをはねのけた。
 二人を家族として迎えるのではなく、自分が、二人の家族になりたい、今、心からそう思っていることを伝えたのである。

「あらー、佐久間先生って、真面目なだけじゃなくて、なんていうか、男気もあるのね」
 五十嵐は微笑みながら弥生に同意を求めた。弥生も笑顔を返す。
「じゃあ何も心配すること無いじゃない。そりゃ、治療はこれから辛い道のりを歩むかもしれないけど。でも佐久間先生がそこまで支えてくれるって言うのなら。それとも佐久間先生の想いに、何か不安を感じたりするの?」
「いえ、そんなことはないです。佐久間先生の誠意は、本当にありがたい限りで…」
「じゃあ、何?」
「やはり勇太のことなんですよね。本当に三人で乗り越えていくことが、勇太のためになるのかどうか。
 三人で乗り越えていくっていうことが、治療のプロセスとして有効だっていうことは、それは私にも分かるんです。
 でも佐久間先生とお付き合いしたことが勇太の心を壊すきっかけになったのに、勇太が、乗り越えていくまで耐えられるのかどうか。もしかしたらもっと悪くなるんじゃないか、って」
「その点は、担当の先生はなんて仰ってるの?」と五十嵐。ふいに看護師の顔になっている。
「可能性はゼロではない、って。でも、心の中の闇を、ただ目をそむけて忘れさせるだけなら、いつまた顕れてくるか分からないし、それは大人になっても変わらないって仰るんです。
 それよりも、今は年齢的に無理だとしても、10代後半くらいからなら、それを客観的に見られる自分を作ることができる、って」
 神田は話しながら、やや涙声になっていた。
「分かった。とにかく、あなたが今、元気がないのは、そのことなのね。いずれにしても、今ここで結論を出せることではないから、私も考えてみる。
 とにかく、あなたが元気がないと、他のナースへの影響も大きいし、なにより患者さんがそういうことに敏感だから。
 大丈夫、若いナースにはお調子者やちゃっかりさんもいるけど、みんな、あなたの味方だから。そうよね、山本さん」
「え? は、はい!」
 急に振られた弥生は、神田に釣られたのか涙目になっている。でも、自分にできることは何でもしてあげたい――既にそういう気持ちだけは固まっていた。

「で、みんな心配しているんだけど、どこまでなら話してもいいかしら」
 たぶん、五十嵐が一番聞きたかったことかもしれない。
「ええと…」
 神田もすぐには思い付かない。
「佐久間先生とお付き合いしていることは、まだ内緒にしておくつもりなの?」
「……勇太のことがなければ……」
 ちょっと言い淀みながら、神田は続けた。
「二人だから話すけど、まだ言葉として正式にプロポーズされてはいないんですけど、佐久間先生は、結婚のこと、考えて下さっていると思うんです。プロポーズもまだなのに、将来のことはいろいろと話してくるから…。
 だから勇太のことがなければ、正式に結婚を申し込まれたら、ちゃんとみんなには話さなければと思っていたんです。でもこんなことになって…。
 佐久間先生とのこと、私、まだどうしたらいいのか、はっきり決められないんですよね。何か、あの時と同じよね」
 神田は弥生に顔を向け、自分を嘲笑うような顔をした。
 “あの時”というのは、弥生にはすぐに分かった。一年半前、神田母子が男からDVを受けていたのを見付けたときのことである。
 子どもを虐待するような男とはすぐに別れるべき、と、弥生が強く訴えたときに、神田は、「あの人に捨てられたくない」と、一度は男を庇ったことがある。
「神田さん、あの時とは全然違うと思います」
 今日の話の中で、弥生はようやくまともに喋った気がする。
「だって、自分のことしか考えていないあの男と違って、佐久間先生は二人の未来をちゃんと考えてくれているじゃないですか」
「……」
 神田はやはり即答できない。
 五十嵐はそんな二人の沈黙をを引き取るように言った。
「とにかく、佐久間先生のことはひとまず置いておこうか」
 今日、私たちに話してくれたことが、神田の第一歩には違いない。一歩を踏み出してくれたことで、二歩目をどこにおくか考えることができる。そして三歩目、四歩目と、左右に振れるかもしれないが、道を進むことができるはずだ。
 そんなことを思いながら、五十嵐は結論を言い渡した。
「勇太君が、以前の虐待でフラッシュバックを起こしている、ぐらいに、みんなには話すわね。でも、既に専門の医師にカウンセリングを受けて治療に踏み出しているから、あなたたちは興味本位で口を挟まないで黙って見守ってあげててね、って、そんな感じで強く言っておくから。それでいい?」
「はい、主任、本当にすみません」
 神田はこれに同意した。
 五十嵐主任、いざという時にけっこう決断が早いな、と弥生は少し見直した。

 話はこれで終わりそうだったが、弥生はどうしても勇太のことが気になってしかたがない。数少ない、弥生の友だちである。
「ねぇ、神田さん、勇太君、今はどうなんですか?」
「山本さん、ありがとう、勇太のことをいつも気にかけてくれて。
 今は佐久間先生と外で会うのを控えているから、そのためかどうかわからないけど、少しは落ち着いている感じがするの。
 でもまだまだ私にべったりだし、一昨日みたいに、どうしても学校に行けないときもあるのよね。お医者さんも学校の先生も、無理をさせるなって仰っているから、今は勇太の気持ちに任せている感じなの」
「そうですか…。ねぇ、今度会いに来ていいですか?」
「勇太に?」
 神田は一瞬、考えて、
「ありがとう。そうね、山本さんなら、勇太、会ってくれるかもしれないわね。まず聞いてみるわね」
 神田の顔に少し笑みが戻ったように、二人には見えた。

「それともう一つ」
 五十嵐がちょっと厳しい雰囲気を出しながら言った。
「私と佐久間先生と、二人で話していいでしょ?
 確かにあなたのプライベートなことだけど、二人とも同じ職場で、さっきも言ったけど何かと影響があるし、スタッフも患者さんも、勘のいい人はもう気付いているかもしれないし。
 別に上司風を吹かすつもりはないけど、長く一緒に働いてきた仲間として、やっぱりきちんと佐久間先生の気持ちを確かめておきたいの。
 それに…」
 と弥生の方を向いて、
「藤堂師長だったら、絶対にそうすると思うんだ」
 弥生は思わず顔がほころんだ。
「確かにそうですね」
 弥生と五十嵐は声を出して笑った。
 神田は、気にかけてくれる仲間がいる嬉しさと申し訳なさがない交ぜになったような顔をしていた。

2017年6月 8日 (木)

「わたしをみつけて」それから…(3)

 ベンチもない児童公園である。
 三人はブランコに並んで腰を降ろした。さすがに、子どもたちが遊びに来ることはない時間である。アパートの人に聞かれない程度に、神田は声を落として話し出した。

「本当は主任や山本さんには、早く話さなければと思っていたんだけど…。私、実は、3カ月ほど前、佐久間先生に交際を申し込まれたんです」
 弥生は吃驚して、思わず「え?」と聞き返したが、五十嵐がそれ以上に素っ頓狂な声で驚いて見せた。
「うっそー! だって病院では全然そんなそぶり見せなかったでしょう」

 時々、五十嵐に突っ込まれながら、神田が話した佐久間との交際、そして勇太のPTSD発症は、だいたいこんな話だった。

 昨年の暮れ、神田は、突然、佐久間から声を掛けられたのである。勤務が終わったら話がある、と。
 それまで、神田は、佐久間とプライベートな話をしたことはほとんどなかった。神田も佐久間も、病院ではあまり目立つ方ではなかったからかもしれない。
 神田が変わったのは、DVを振るっていた男と別れてからである。ただ、勇太のために別れる決心をしたとはいえ、一筋縄ではいかなかった。
 暴力もストーカー行為も日に増してひどくなり、ついにはナース室まで乗り込んで、居合わせた看護師たちを威嚇することもあった。
 そんな事態に手を差し延べてくれたのが、まだ院長だった後藤啓一郎と、そして、弥生が変わるきっかけを作ってくれた、菊地だったのだ。
 たまたま男がナース室で騒いでいるところを啓一郎が目撃し、神田から直に事情を聞くと、病院で顧問契約をしている弁護士を付けてくれたのである。
 一方で弥生も、自分が関わったことがこういう事態を招いたことに責任を感じ、個人的に菊地に相談していた。
 ボランティアで地域の防犯活動をしていた菊地は、警察署の生活安全課とのつながりもあり、さっそく警察に相談してくれた。菊地が信頼されていたためか警察もすぐに動いてくれ、男の会社にまで知られることになって、男は会社から、退職か遠い支店への転勤か、二者択一を迫られた。
 結局、こういうご時世、職を失うことに強い不安を感じたのだろう、男は転勤を選ぶしかなかった。そして転勤の際に、弁護士は、今後一度でも姿を見せたら高額の慰謝料を支払う念書を作成し、男に署名を迫った。
 警察の睨みも効いていたので、男は署名をすると、逃げるように神田のもとを去っていった。神田は完全に自由になったのである。

 そのことが、神田の心も変えたのだろう。誰に対しても小さくなっていた神田は、明るく、そして患者とより深く関わる看護師になっていった。
 もともときれいな顔立ちでもある。バツイチ子持ち、ということも知れ渡っていて、「苦労を背負いながらも、明るく、親切な看護師さん」という評判が立つまで、時間はかからなかった。

 そして佐久間――。
 中堅医師として、啓一郎がいるときから、執刀医を務めたりしていたが、やはり啓一郎の陰に隠れ、目立ってはいなかった。手術も、患者が啓一郎の執刀を言外に望むこともあって、助手を務める方が多かった。
 そんな佐久間が変わったのは、啓一郎が院長を降り、新たに招いた浜田惣太郎が就いてからである。

 浜田は雇われ院長で、経営の深いところは関わらなくても良かったので、自身の役割としては、適材適所、人を活かすことに力を注いだ。そうした中で、佐久間を、次の世代の中心的存在に育てようと、責任の分担も増やしていったのである。
 期待されていることを感じたのか、佐久間も、スタッフ同士のコミュニケーションに気を配ったり、何より、腕を磨き、研究にもさらに熱心に取り組むようになった。
 看護師たちには、軽口を叩いたりすることはあまりなかったが、何かと声を掛けたり意見を聞くよう努めていたので、だんだん信頼されるようになっていった。

 実際、神田も、佐久間を「変わったなぁ」と思いながら眺めていた。後藤院長の頃は、院長一人がこの星見ヶ丘病院の象徴と言ってもよかったが、今は浜田院長や佐久間をはじめ、それぞれの医師に“ファン”が付いている。
 と言って、派閥争いをするわけではもちろんなく、医師それぞれが「頼られている存在」として、患者の中に溶け込んでいる気がする。
 ただ、佐久間を男性として見たことは、一度もなかった。
 実際、シングルマザーとして小学生の男の子を育てるのはけっこうたいへんだったし、バツイチで、しかも詰まらない男につきまとわれ、病院にも迷惑をかけたことから、当分、恋愛には近付かなくていいと思っていたのである。

 ところが、佐久間は佐久間で、神田のことがなんとなく気になる存在になっていた。
 ドクターの中には、暇なときにナース室に油を売りに行く者も何人かいたが、佐久間は元々、そういう“タイプ”ではなかった。
 後藤院長時代は、仕事に消極的だったわけではないが、院長の存在が大きすぎて、ドクター陣もピラミッド型のヒエラルキーではなく、逆“T”の字型を形作っており、院長一人が突出した存在だった。
 しかし浜田院長になってから、そういう“重し”が取れたのか、医師たちもまた、今まで以上に個性を際立たせるようになり、存在感を増していったのだ。

 そうした中で、佐久間は院内にも目配せするようになったのだが、初めは、神田個人に惹かれたというよりも、「患者たちの間で評判が高まっていく看護師」として、神田に目がいくようになったのである。
 しかし、その“単なる関心”が好意にかわっていくのに、こちらもそんなに時間がかからなかった。
 以前、よくない男につきまとわれていたのはもちろん聞いている。しかし、後藤院長がその解決を後押ししてくれたらしいから、神田の側に責めを負うような理由があったのではないだろう。
 見ていると、その後、とくに浮いた噂も聞いたことはない。同僚看護師やドクター連中からも、小学生の子どもを育てながら、一生懸命に頑張っているという話ばかり聞こえてくる。
 いつしか、自分が、そんな神田を支えてあげる関係になれたら――気が付いたときにはそんな気持ちが募っていた。
 よしっ、思い切って声を掛けてみよう――そう自分の気持ちに決着を付けたのが、昨年も暮れにさしかかっていた頃のこと。これは神田があとから佐久間に打ち明けられたのだが、そんな経緯だった。

 佐久間から想いを告げられた神田は、もちろん初めは、只々、驚くばかりだった。
 新たな恋など考えていなかったし、佐久間をそういう目で見たこともなかったから。しかし、佐久間から打ち明けられたとき、自分の中に、勇太を一緒に育ててくれるパートナーがいたら――そんな気持ちがどこかに眠っていたことに、初めて気付いた。
 しばらく悩んだが、佐久間に悪い印象は特にない。むしろ、いろんな面で信頼できるドクターの一人だと思っている。そして、神田の心の中に、勇太を真ん中に三人で手を繋いで歩いている姿が自然に浮かんだとき、佐久間の申し出を受けたのである。

 ただ、あくまでも勇太の気持ちを第一に考えたい、という神田の申し出を、佐久間は当然のごとく受け止めた。
 いきなり、父親候補として会わせるのではなく、お母さんが病院で仲良くしてもらっている同僚の一人として、できるだけ自然に、勇太に引き合わせる努力をした。勇太は、多少、戸惑いを見せたものの、ごく自然に、佐久間の存在を受け入れていった、ように見えた――。

2017年6月 7日 (水)

やってみたかった「アイドル評論家」

 以前、「人生相談師」という職業に関心を持っていたことを書いたが、実は、もう一つ、やってみたかった職業があった。
 それは、アイドル評論家、もしくはアイドルのスカウトである。

 アイドル評論で仕事として(たぶん)成り立っているであろう人は、私は2、3人しか知らないが、単純に誰が可愛いとか、あるいは歌や芝居がうまいとか、そういうことを言っているだけでは、職業としては通用しない。茶の間でテレビを見ているおじさんおばさんと、何ら変わりはないからである。

 大事なのは、ブレイクした子、あるいはブレイクが予想されながらそれほどパッとしなかった子を、なぜそうなったのかをちゃんと説明できるかどうか、という点である。
 そしてさらに大事なのは、次にブレイクしそうな子、伸びそうな子を予想することだと思う。

 以前、ある数学関係の本を読んだとき、こういう話が載っていた。それは、「株式投資イコール美人コンテスト論」とでもいうべきものである。
 今は「ミスコン」と呼ぶ方が通じるのだろうが、ミスコンの審査員を務めたとして、何の縛りもなければ、単純に、自分の好みの子に一票を投じるだけである。しかし、一位になった子に投票した審査員には賞金が贈られる、となると、話は違ってくる。
 自分の好みよりも、誰が一位になりそうか、という点が判断基準になってくる。つまり、一般受け、大衆受けしそうな子を推すことになるわけである。

 そして、株式投資も、それと同じ心理が働く、というのである。
 特に株の場合は、ミスコンみたいに一回限りの投票ではなく、株の値動きによって、特定の銘柄が「今、伸びつつあるな、もっと伸びるかもしれない」と判断され、さらに投資を集める、という面もある。

 残念ながら株にはとんと縁がないので、「ふーん、そうなんだ」と受け止めるしかないが、あるアイドルが伸びるかどうかという予測は、まさに賞金付きミスコンの票の行方を占うようなもので、自分の好みをただ言っていれば済む話ではない。ちゃんと職業としての厳しさがあるのである。

 ただ、ネットがここまで普及してきて、ちょっと事情が変わってきたのは否めないと思う。評論、批評という部分では、まさに一億総評論家の時代になったからである。
 かつて、「NIPPONアイドル探偵団」という本があった。1988年から2004年までほぼ毎年発刊されていたもので、女性アイドルの順位を勝手に付けるという、ランキング本である。
 いつ頃からか、この本にも権威が付いてきて(?)、ここで上位に入ると、雑誌などの本人のプロフィール欄にも載ったりしたものである。

 私は、1991年版から2003年版まで持っているが、もう最後の方は、惰性でしたね。とうとう力尽きて、買うのをやめたのが最後の発刊となったものなので、今思えば、買っておけばよかったと悔やまれるけど。
 なぜ買うのをやめたのかというと、やはりネットである。順位自体は気になると言えば気になるが、そのアイドルの情報は、もはやネットで簡単に手に入るようになったからだ。
 その情報も、いわゆるプロフィールに限らず、世の中にどういう眼で迎えられているか、なんていうものも、調べ方ひとつですぐに分かってしまう。ひとりのプロの評論家の論評よりも納得性のある批評を、いくらでも読むことができるのだ。

 この本の2003年版のあとがきを見ると、2004年版も必ず発行するという予告があって、まさか次の年で最後になるという予感はまったく感じさせていないのだが、私が抱いていたこの本への“想い”を、きっと多くの読者も感じていたに違いない。
 今はオリコンが、さまざまな「ベストテン」を発表しているが、これはもう順位に特化していて、その分析はマスコミなど第三者が行っているだけである。政治や経済と違ってこういう分野は、もう一人の人間の評論が“権威”として通じる時代ではないのだろう。

 ちなみに私は、これまで何人かの新人アイドルのブレイクを当てたことがあります。
 今、トップ集団にいる有村架純もその一人。デビューした2010年、ドラマ「SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」に、ちょい役ながらレギュラーとして出ていたのを見て、この子は絶対に伸びる、売れるとカミさんに話していました。
 今、こんなに活躍している姿を見て、おじさんはすごく嬉しいッス。

 スカウトについては、いずれまた。

「わたしをみつけて」それから…(2)

 五十嵐と話をしていて、微妙に昼食の時間が取れそうもないと判断した弥生は、何か買い置きのもので済まそうと、家に寄ることにした。
 看護学校に通い初めて1年、朝は家から病院、昼は病院から学校、そして夜は学校から家へと、三角形の道のりを判で押したように繰り返してきたので、この時間に自宅へ向かうのは、景色も朝とは違い、新鮮だった。
 もうちょっと時間があれば、豆腐も買えたのになぁ、と、少しだけ口惜しがりながら、神田の家の前の児童公園に差し掛かった時だった。小学生らしき男の子が、ブランコに乗って、漕ぐでもなく、ぼんやりと揺られていた。
 神田の一人息子、勇太だった。

 弥生とは、むろん、顔見知りである。神田がDVを繰り返す恋人と別れるのにすったもんだした時、まだ二年生だった勇太を何度か預かり、時には家に連れていって食事を出したりもした。
 その男と何とか別れられ、落ち着いてからは、勇太の顔も見ていないが、弥生は、小さな友だちのような感覚を勇太に向けていた。

「あれ、勇太君?」
 弥生は思わず声をかけたが、勇太はビクッとして弥生の顔を認めると、走って自分の部屋に駆け込んでいった。その時初めて、今日は平日であり、勇太がこの時間に家にいるはずがないことに気付いた。
 具合が悪く学校を休んだのだろうか。でもそれなら、いくらアパートにつながっている公園とはいえ、外で遊んでいるはずがない。弥生は自転車から降りると、部屋のチャイムを押した。
「勇太君、私よ、弥生。いるんでしょ? 具合、悪いの?」
 何度かチャイムを押しながら声をかけるのだが、反応がない。
 神田は今日は弥生と入れ替わりの出勤で、今は病院に向かっている頃である。
 弥生は神田の携帯に電話してみたが、応答はなかった。一瞬、考えて、五十嵐に電話してみる。五十嵐はすぐに出てくれた。

「あ、主任ですか、山本です。実は今、神田さんのアパートを通りかかったら、勇太君の姿を見かけて。
 勇太君、すぐに部屋に入っていったので、具合でも悪いのかなって呼んでみたんですけど、返事がないんですよ。
 神田さん、出勤の途中なのか、電話が繋がらないし、ちょっと心配で…」
 だいたい、そんな内容のことを何とか伝えると、五十嵐の返事を待った。

「うーん、勇太君って、4年生だったよね。留守番も慣れている子だし、山本さんはまず学校に行きなさい。大丈夫だから」
 五十嵐は、何か感じるものがあるのか、力強くそう言った。
「神田さんが来たらちゃんと伝えるから。事情、話してくれそうだったら、もう今日のうちに聞いてみるし。大丈夫よ、あとでメールするから」
 五十嵐の二回目の「大丈夫」に押されるように、弥生は自転車を漕ぎ出した。
 道々、いろんなことを考えて、結局昼食を摂れなかったことに気付いたのは、学校に着いた時だった。

 講義の合間合間に、弥生は何度か携帯を手にしてみた。でも、その日、五十嵐からのメールは届かなかった。
 それほど心配する事態ではなかったのかもしれない。具合が悪くて休んだけれど、だいぶ良くなり、退屈になってつい出てきたとか。それを咎められるかと思い、部屋に逃げ込んだのかもしれない。
 でも…。
 一人寂しそうにブランコに乗っていた勇太の儚げな姿を、弥生は忘れることができなかった。

 あくる日。
 弥生は20分ほど早く、家を出た。今日は神田と同じシフトである。もしかしたら話をする時間が取れるかもしれない。そんな期待もあって、自転車を漕ぐ足にも力がこもった。
 病院に着き、更衣室に入ると、果たして、神田は弥生を待っていた。神田も、弥生と話したかったようである。

「山本さん、昨日はすみません」
 神田がまず謝ってきた。あの、誰にも小さくなっていた頃の声をしていた。
 何があったかは分からないけど、その声が弥生には哀しかった。
「神田さん、お願いですから、またそんなふうに謝らないでください。
 あの時、勇気を出して乗り越えて、強いお母さんになったじゃないですか。
 一体何があったんですか?」
「すみません…」ともう一度言いかけて、
「あ、ごめんね、違うの。山本さんには本当に支えてもらったから、何かあると、つい弱い自分が出てきちゃうのよね。それが情けなくて」
「神田さん…」
「昨日、五十嵐主任から、山本さんが勇太を見かけた時の話を聞いて、ああ、やっぱり山本さんに関わってもらうことになるのかなって思ったの。
 でも山本さんなら、弱い自分を見せられるなって、そう思って。それでさっき山本さんの顔を見た時、なんかフッと気が緩んじゃったのかもね。
 変よね、私の方がずっと年上なのにね」
 神田が寂しそうに笑った。公園でブランコに揺られていた勇太の姿が重なった。

「神田さん、もしかしたら、勇太君に何かあったんですか?」
 神田が顔を上げて弥生を見つめた。
「うん…。
 勇太がね、ちょっとしばらくおかしかったのよね。それで思い切って、心療内科に連れて行ったの。
 子どもだから、胸のうちを聞き出すのに、先生もずいぶん時間がかかったんだけど、ようやく診断がついて…。
 それでね、あの男からDVを受けていたことがきっかけのPTSDだって言われたの…」

 神田がそこまで話したとき、更衣室のドアの向こうが騒がしくなってきた。同じシフトの出勤組がやってきたのだろう。
 早めに出てきた分の20分は、あっという間に過ぎ去っていった。
「明日、主任と3人で、ね。全部話すから」
 神田はそう言うと、何事もなかったように、更衣室に入ってきた同僚たちとあいさつを交わしながら、部屋を出て行った。

 次の日。
 手術はなかったものの何かと忙しく、結局、弥生が病院にいる間に話をする時間は取れなかった。それで、弥生の授業が終わったあと、外で会うことになった。
 といっても、神田は帰って勇太の世話をしなければならない。結局、神田が家に帰っている間に弥生と五十嵐が食事を済ませ、そのあと、神田のアパートに行き、前の公園で話すことにした。まだ4月半ば、夜になると肌寒いときもあったが、この日は夜になっても穏やかだった。

 弥生たちが神田の家に着くと、勇太の食事もちょうど終わったところみたいだった。
 弥生は部屋の中に顔を突っ込んで勇太を見付けると、「勇太君、こんばんは」と声を掛けた。一昨日、見掛けたことには触れなかった。
 勇太ははにかむように微笑むと、奥に引っ込んでいった。弥生たちが来ることは聞いていたのだろう。
 五十嵐も、奥に向かって声を掛けた。
「ちょっとお母さん借りるからね」
 神田は奥に行くと、
「すぐ前にいるから心配しないでね。戸、開けておいてもいいから」
 と、母親らしい、包み込むような声で諭した。弥生は、4年生なんだし、そこまで大事にしなくても、神田さん、本当に勇太君が大切なんだなと、最初は微笑ましくその声を聞いていたが、PTSDを発症したことと関係があるのかもしれないと、すぐに安易な発想を打ち消した。
 思った通り、勇太は、乳飲み子のように神田にまとわりついていることを、このあと聞かされたのである。

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