2017年5月23日 (火)

自分の中の“過去世(?)”の記憶

 えー、学術とか教義上の話ではなくて、スピリチュアリズムとか、与太話に近い話です。

 私は、持っている信仰上、一応、前世(過去世)、現世、来世という三世の生命観を信じています。但し実感したことは無いけどね。
 でも、仏教研究者や、僧籍を持って布教活動している人の中には、「生命は永遠であるという三世の生命観は方便である」と唱える人もいるらしい。

 その一人が、インドの政治家で、晩年、多数の不可触民(カースト制度にも組み込まれない最下層の賤民とされた人たち)と共に仏教に改宗した、アンベードカル。その思想継承者とされる佐々井秀嶺(ささい・しゅうれい)氏は、「前世も来世も、極楽も地獄もない、神もいない」と叫び続け、今、インドで佐々井秀嶺氏を慕うこの新仏教の“信者”は、1億人を超えているとも言われている。

 確かに、三世の生命観は、釈尊の説法の当然すぎる大前提となっている。しかし、もしそれを否定したとしても、釈尊の教え自体に大して不都合は生じないような気もする。
 さらに、現実の今の人生における信仰活動として考えたときに、「三世」観は、いろいろな現象の説明にはなるけど、信仰のモチベーションを高める要素になるかどうか。少なくとも自分には当てはまらないと思う。

 年齢的に、もう晩年に差し掛かる年代ではあるけど、「今、信仰をより深めれば、来世はより幸せな境遇に生まれてきますよ」と言われたところで、「よしっ、じゃあ頑張ろう」という気持が露ほども湧いてこないのは、どうしようもない事実である。
 だからおまえは信心が足りないんだ、と言われればそれまでだけど。

 と、ここまでが前提。ここから先が、与太話です。
 前世を実感したことがないと言いながら、実は、「自分は過去に、この時代、この場所にいたことがあるのではないか」と感じたことが、これまで2回あった。

 一つは、映画の「カサブランカ」を見たとき。
 その中に、ウィキペディアの説明を借りると、「店内でドイツの愛国歌『ラインの守り』を歌うドイツ軍士官たちに憤慨したラズロ(主人公)が、バンドに『ラ・マルセイエーズ』を演奏させこれに対抗し、その後店内の全ての客が『ラ・マルセイエーズ』を歌うシーン」がある。
 このシーンを見たときに、そのスクリーンの中の空気感は、どうしようもなく既知のものだった。自分は間違いなく、こういう“ような”場所にいたことがある、と。

 もう一つは、何かを見て感じたのではなく、いつの間にか自分の記憶の中に棲みついている映像なのだが、それは日露戦争開戦の時の街の様子である。少なくとも高校生の時には、もう記憶として認識していたのは憶えている。
 割と人通りの多い道で、子どもたちが「万歳」を叫びながら駆け抜けていく。それを冷ややかに見ている自分がいたのは、これもまた消そうにも消せない映像である。
 たとえば「二百三高地」みたいな映画やドラマを見て、その映像が無意識のうちに残っているということは考えられるが、少なくとも映画は見ていないし、まぁドラマも、見ていないと断言はできないが、高校生以前の年代でそういうものに興味があったとは考えにくい。

 これらの記憶は、厳密な意味での宗教的な過去世の実感とは、たぶん別次元の話だと思う。何年か前、「前世占い」なんていうものが流行って、タモリあたりが「俺の前世はカッパだった」と騒いでいたことがあるが、むしろそちらの方に近いのかもしれない。
 ただ、どちらの記憶も戦争が絡んでいるというところに、「もし、過去世に本当にそういう場にいたのなら、自分の今の役割も、そういう時代をくぐり抜けてきたことと無関係ではないはず」という自分への枷(かせ)みたいなものを、つい掛けてしまいそうになる。

 我がお師匠さんは、もうずいぶん前から、我が国の右傾化、全体主義化を憂い、警告を発しておられるが、太平洋戦争に一気に向かおうとしているあの時代のリアルな経験を持っている人、またそれを直に聞いたことがある人なら、今の時代がそれと重なっていないかどうか、ぜひ比較し、我々に教えて欲しいと思う。心からそう思う。

2017年5月21日 (日)

宗教団体は国家にとって常に“邪宗”?

 高橋和巳の「邪宗門」を最初に読んだのは、学生時代だった。
 友人の部屋で、同じ貧乏学生にしては分不相応な高橋和巳全集を書棚に大事そうに並べていたのを、パラパラと手に取っているうちに、「邪宗門」というタイトルを見付けたのである(この辺は古い記憶なので曖昧だけど)。
 そのタイトルに惹かれ、貸し渋るのを無理矢理借りて読んだのだが、たぶんその時は、純粋に単なる小説としてしか捉えていなかった。内容などすぐに忘れたが、何か強烈な印象だけは残っていたと思う。

 再びその小説に向き合ったのは、恐らく30代に入ってから。宗教と社会の関わり、もっと言えば、世の中の宗教団体に向ける“眼”というものを深く考えるようになってからだと思う。
 何かの本で、治安維持法が宗教団体に初めて適用されたのが第二次大本事件であり、その大本教(教団の正式名称に“教”の字は付かないが、便宜上、そう呼ばせていただきます)の弾圧を描いたのが、高橋和巳の「邪宗門」である、と知り、昔々読んだことは憶えていたけど、内容はまったくかけらも憶えていなくて、それでもう一度、挑戦したのでした。

 その再読の1回目に、小説本文だったか、文庫本巻末の解説だったか、「宗教が世直しを掲げる以上、どの宗教も国家権力にとっては邪宗である」という趣旨の一文を読んだときには、とても衝撃を受けましたね。
 個人の幸福と世の中の安寧は一体のもので、どんな宗教であれ、宗教が「今以上の自身の幸福」を求める以上、その中には「今以上の世の中の安寧」も含まれることになる。それはすなわち、「今の政治が良くない」と言っているのと同義であり、現政権の否定に繋がる、と、実際にはもっと丁寧に説明されていたであろうが、そんな趣旨だったと思う。

 たとえば、有名な日蓮の立正安国論にも、「汝須(すべから)く一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐(せいひつ)を祷らん者か」とあり、世の中の安穏や人々の幸福を願い行動していく中に自身の幸福がある、と、日蓮はその後の生涯の布教を展開していくが、これも、国家にとっては、自分たちが否定されたということになるのであろう。実際、日蓮はその後何度も弾圧を受けるのだから。

 治安維持法が宗教団体にまで手を広げたのは、一つには、共産主義者など、取り締まるべき人々をあらかた検挙し、もう摑まえる相手がいなくなってきたので、思想警察を縮小すべしと言う声が一部から湧き起こってきたから、という研究もある。
 大本教の第二次弾圧は、治安維持法違反だけでなく不敬罪も含まれていたから、弾圧そのものは避けられなかったかもしれないが、もし治安維持法が適用されなければ、果たしてどうなっていたか…。

 宗教団体が、国家権力の側にいるか、反対側にいるかは、その時その時の一現象に過ぎない。本質は「国家権力にとって常に邪宗」、というのはこれからも変わらない、と私は考えます。
 およそ信仰を持つ者、宗教団体に所属している者は、ゆめゆめ、そのことを忘れてはならないと思う。

2017年5月20日 (土)

時代の変遷、というだけでは…

 事務所の公式サイトを作っていた中で、高校生の時に吉行淳之介に傾倒した話を書いたのだが、それがきっかけとなったのか、ここ何日か、これまで読んだ膨大な作品の中の片言隻句が、浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
 2、3日前に思い出しのが、吉行がある新聞社の社会部長と話しているときのものだったと思うが(何せ数十年前に読んだものなので、その場面や正確な文章は思い出せません)、社会部長が、こういう趣旨のことを言うのである。

 「何か事件や事故が起きて、人が10人くらい死んだ、なんていうときに、万歳三唱をして記者を送り出すぐらいでないと、社会部長は務まらない」と。

 そのことばを、吉行は肯定的に紹介していて、もちろん私もそれには違和感を感じなかったし、恐らく読者の多くは同じ感覚で受け止めるであろうことを見越して吉行も書いたのだと思う。
 ただ、今の時代だったら、読者というか、人々の受け止め方は、当時とちょっと違うんじゃないか、という気がする。

 当時、といっても40~50年前だと思うけど、社会部長の言葉が、公式に世の中に向けて発言されたのであれば、これは非難を受けるのは、今と変わらないだろう。
 ただ、非難と言っても、「気持は分かるけど、そんな公然と言わなくてもねぇ」という言外の言を込めてのものだと思う。
 人の生命がどれだけ尊厳なものか、という世間一般の認識、受け止めは、今も当時も、おそらくそう懸け離れたものではないはず。その上で、新聞社の社会部長ともなれば、部数の伸びも考えなければならず、まぁたいへんといえばたいへんな立場だよな、という“忖度”が働くのではないか。

 でも今なら、徹底的に指弾されるんじゃないですかね。ネットで煽って尻馬に乗る人を増やしながら、辞任するか解任されるまで攻撃の手を弛めない、なんていう画を容易に想像することができます。

 まぁそれだけ、世の中が、大切なものを本当に大切にするようになってきたから――なわけないよね。

2017年5月18日 (木)

時代劇に取って代わったのは刑事ドラマ?

 うちの地方では時代劇「桃太郎侍」(高橋英樹主演)の再放送をしていて、これは回数がかなり多かったみたいだが、昨日、ようやく最終回を迎えた。
 実は時代劇は割と好きなジャンルで、まぁ何回も再放送されていたものだから、ふだんは見ていなかったが、最終回だけ、どんな終わり方だったか、録画しておいて今朝、見てみました。

 ストーリーは、ふだんの回は水戸黄門や大岡越前と同様、勧善懲悪を絵に描いたようなものだけど(何一つ憶えていないけどネ)、さすがに最終回だからか、双子の実兄・松平備前守が政敵でもある老中(名前は失念)に殺され、その仇を討つという、幕府の機構の闇に切り込む話になっており、鬼退治をしたあとに、一人、旅に出るところで終わっている。
 幕府の闇に切り込むといっても、将軍や幕閣が何人も出てきて狐と狸の化かし合いをするような複雑な話ではなく、悪役も老中と勘定奉行の二人だけという(部下は大勢いるけど)、まぁ何とも“のほほん”としたものでしたね。
 でも、時代劇が好きな人はある程度の年代を超えていると思うので、こういう単純な話の方が、ストレートにカタルシスを得られるのかもしれない。

 最近は時代劇がめっきり減って、NHKの大河ですら、次は現代劇だそうだが、今朝、見ていてふと思ったのは、今は刑事ドラマ、いや、もっと幅広く「推理モノ」と言ってもいいけど、それが時代劇に代わって、視聴者にカタルシスを提供しているのではないか、ということでした。

 なぜそう思ったのかというと、今の時代、悪がなかなか滅びない、という単純な理由です。滅びないどころか、何が悪か、誰が悪かも見抜けないのが、今の時代の複雑さだと思うんだよね。
 だから、悪をバッサバッサと退治するドラマが次々に作られるのは、実は国民にカタルシスを与える国策ではないか、なんていう都市伝説が生まれたりするぐらいで。

 ちなみに、今、ざっと数えてみたら、この推理モノ、1週間で13本ありましたねぇ。そしてそのうち7本が、刑事や警察機構が主人公になっているもの。
 刑事モノといっても、昔の「太陽にほえろ」に代表されるような、犯人をいろんな方法で追い詰めて逮捕して終わり、という単純な図式のものはむしろ少なく、たとえば上層部との対立とか、あるいは警察機構の中に闇の組織があってそれを暴いていくとか、そういう横線を絡めたものがほとんどといってもいいかもしれない。
 まぁそういう糸を織り込んでいかないと、視聴者も納得しないんだろうね。自分の周囲が、善か悪かで色分けできるような単純な世界でないことだけは、たぶん、誰もが気付いているだろうから。

2017年5月16日 (火)

そういえば…

 私の人生のお師匠さんは、日本人の生命の底流にある悪しき傾向性として、「寄らば大樹の陰」と「長い物には巻かれろ」の二つがある、と指摘されておられる。
 人から責められないように対処する、というのも、そうした傾向性が根底にあるからなんだろうね。突出した存在を許さない、なんていうのも同じ。とにかく、目立たないように、人と違わないように…。

 個人主義というのは、しばしば、利己主義と混同されるけど、本来は、「自分の“個”も他人の“個”も尊重する」という、文字通り、リベラルな考え方のはず。もっとそうした考えが浸透すればいいのだけど。

責任を取らない人たちは…

 一昨日、14日に書いた記事を読み返し、昨年の黒石市の写真コンテストの騒動を思い出した。書いた記事は、近隣(いろんな意味で)の者が罪を犯そうとしても、それに関心を向けようとしない今の日本人気質に触れたものだが、私が言いたかったことが端的に表れるのが、いじめで子どもが自殺したときの、周囲の大人、それも学校や教育委員会などの毎度の対応である。
 その、ある意味典型的な事例として、黒石市の写真コンテストの一件を思い出した次第である。

 事例の経過を箇条書きで説明すると、

H28_1_sityoushou_2


・昨年(2016年)の黒石よされ写真コンテストで最高賞(市長賞)に内定したのは、日本三大流し踊りと言われる黒石よされの出場者を青森市の写真愛好家の男性が撮影したものだった。
・その被写体となったのは、青森市内の女子中学生、葛西りまさん。
・しかし、その葛西りまさんが、撮影された10日後に「いじめが辛い」との遺書をスマホに残して自殺していた。
・撮影者は応募に際し、遺族である父親に応募の承諾を求めたところ、「いじめられていてもこんな幸せそうな笑顔を見せる一瞬があった」ことを知ってもらいたいと、応募を快諾。
・しかしコンテストの実行委員会は、りまさんが自殺したことを知ると、最高賞の内定を取り消す。
・りまさんの父親が地元紙に経過と写真を提供、記事として公になると、実行委員会や市長に批判が集中。
・実行委員会は一転、取り消しを撤回して、最高賞の授与を決定。

 というものだった。
 りまさんのためにも、受賞が最終的に決定したのは喜ばしいが、後味の悪さが残ったと、地元紙は伝えていたという。

 コンテストの主催者側は、内定を取り消した段階では、その理由を明らかにしなかったそうだけど、まぁ見え見えだよね。
 「自殺者を被写体にしたものに賞を与えて、あとで問題になるかも」「市民から批判されるんじゃないの」「触れない方が安全だろう」「じゃあ内定を取り消すか」と、まったくの想像ではあるけど、こんな会話が交わされていたのではないか。
 主催者である市の観光協会というのが、お役所なのか外郭団体なのか知らないが、自分が責められて責任を負うことはなんとしても避けたい、という心の有り様は、覆うべくもない。

 これをもって「日本人とは…」と結論づけるのは乱暴かもしれないが、そんな事例ばかり見聞きするので、やはり、この国はどこかおかしくなっていると言いたくなる。

 で、この一件、今回調べてみて、まだ混乱が続いていることを知りました。
 例によって、いじめと自殺の因果関係を、学校も市教委も「あるとは言えない」と説明しているんだって。そしてそれによって、市教委の審議会メンバーを交代させるとかどうとか、議会まで巻き込んでいるそうです。

 いや、本当に、どうしたらこういうのを変えられるんだろうね。無力な一市民でしかないけど、真剣に考えてしまいます。

 ※写真とりまさんの実名は、ご遺族のお気持ちに沿って、ここでも掲載させていただきました。

2017年5月15日 (月)

「人生相談師」

 こういう職業があるのを初めて聞いたのは、タモリの「笑っていいとも」であった。
 どんなコーナーかも、どんな内容かもまったく憶えていないが、一般人の登場者の職業が「人生相談師」と表示されていたのである。
 もう10年ぐらい前のことだろうか。以来、何か気になって、いつかちゃんと調べてみようと思いながら、今日まで来てしまいました(^^;

 実は先日、もう既に第一線をリタイアしている知人が、「こうやっていろんな人の人生相談を受け、その結果を見届けるまで、祈るようにして神経をすり減らしているのに、先日テレビに出ていたけど、有名な占い師が法外な料金を取って人の深刻な問題に無責任なアドバイスをシャアシャアとするのは釈然としないよな」とぼやいていたので、それであらためて「人生相談師」のことを思い出した次第。

 その知人、お金にならない相談を受けるのを嘆いているわけではなくて、占い師が最後まで責任を持たずにアドバイスをすることを憤っていたので、「人生相談師をやってみたら」なんて不謹慎なことは言いませんでしたけどね。

 で、この「人生相談師」、ネットで検索してみたら、やはり「笑っていいとも」に出ていた人のことが出てきました。気になっていた人がけっこういた、ということなんだろうね。
 その人は福岡在住で、ご夫婦で「相談業」を受けているらしいんだけど、多少、スピリチュアリズムや占いなんかを取り入れているみたいですね、やはり。
 いろいろネットを辿っていったら、今はふつうの占い師でも「人生相談師」を名乗っている人がいるらしいけど、草分けというか、初めて「人生相談師」を名乗ったのは、どうも福岡のその人らしいけど、ここはまぁ不確定です。

 知人は、「お金なんか取ったら、相手の非を指摘することもできず、ただ相手が納得するところに着地すればいい、という答しか出せない。そんなの人生相談でもなんでもない」と言っていて、その慧眼に心服したけど、うーん、この「人生相談師」という職業が自分の意識に引っかかっていたのは、「これでお金を稼ぐことができるのだったらいいよなぁ」という浅ましさの故だったのかもね。汗顔の至りです。

2017年5月14日 (日)

日本は監視社会だったのか

 「共謀罪」「テロ等準備罪」と敵味方で別々に呼び合っているその法案は、ウィキペディアによると、

 「日本の組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(通称:組織犯罪処罰法)の『第二章 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の没収等』に新設することが検討されている『組織的な犯罪の共謀』の罪の略称」

 となっているが、賛成・反対を叫んでいる人の中でも、この段階を分かっていない人って、実はけっこう多いのではないかと思う。

 それはともかく、「共謀罪」と呼ぶ反対派の主張に、「成立したら日本は監視社会になってしまう」というものがある。
 これに対し、「いや、日本は既に監視社会になっている。その淵源は、戦中の『隣組』の存在である」という意見がある。
 私も実は、「隣組」が日本の監視社会を醸成してきた、と思っていたのだが、あらためて調べてみると、もっと古く、飛鳥時代にその淵源を求めることができるのだそうである。

 学術的に調べたわけではなく、ネットサーフィンによるナナメ読みなので、大雑把にしか私も分かっていないが、古代律令制の中でその仕組みが生まれ、その目的として、相互扶助と犯罪防止が初めから明記されていたそうである。
 ここで気になるのは、「犯罪防止」がどういう意味を帯びているか、である。

 これはNHKの造語だそうだが、「地域力」ということばがある。現代用語である。
 ある地域の人々が、簡単に言うと、どこに誰が住んでいるのか、どんな仕事をしているのか、どんなサイクルの生活をしているのかが、相互に分かっている状態のことを言う。
 なので、「地域力」がある地域では、たとえば空き巣などが留守の家を探したり狙いを定めたりしてすると、たちまち隣近所の人が出てきて、「××さんに何かご用ですか?」と声を掛けたりする。
 掛けられた方は、「この地域はヤバいな」と、たちまち退散するそうで、実際にそうした犯罪の経験者も、地域が連帯している町は仕事がやりにくい、と証言しているそうである。

 と、これはプラスの方の犯罪防止だが、一方では、やはり相互監視という側面があったようだ。
 一つには、グループ化された人々の中で、犯罪者――昔々は、租税を納めないで夜逃げすることなどを想定していた――を出した場合、そのグループの全体もしくは責任者が、連帯して処罰されることになっていたことがある。つまり、おらがグループの中からそんな不届き者を出してはならねぇ、と、互いに目を光らせていたのである。
 私が気になるのは、この相反する「心の有り様」が、一人の人間の中に矛盾なく存在してきた、ということである。

 仲間内や近所同士で、何か困っている人がいれば助け合う、というのは、人間の持つ本然的な心の働きだと思う。
 ではその仲間内から、犯罪の予兆を感じ取ったらどう対応するか。
 ふつうなら、「そんなことはやめろ」と諫めるだろう。それは正義感もあるけど、犯罪を犯せば、刑事罰を受けるだけでなく、一生を棒に振ることになりかねない、ということを、経験的に(多くは人の経験の見聞だけど)知っているから、相手のことを思って諫めるのだと思う。
 でも、この「人の犯罪を諫める心」は、今の日本人からは、大きく後退しているといえるのではないか。そしてそれは人間関係が希薄な都会だろうと、地域的結束がなお強い郡部だろうと、そんなに変わらないだろう。

 私はこれこそが、律令以来、育んできた「相互監視」の悪しき結果だと思っている。
 つまり、相互扶助にしても犯罪防止にしても、本来なら「その人のことを思う」心が為すべきことだったのに、犯罪防止については、「自分も罪に問われるから」という仕組みのせいで、自己防衛から周りを監視させるように仕向けたのである。
 その「自分も罪に問われるから」という縛りが、隣組の消滅以来、日本の中に制度としては無くなってしまった。そうなると、「もう自分が罪に問われることがないから、周りの者が犯罪を犯しても関係ない」という方向に変化する。
 単純だと思うかもしれないが、戦後の70年余というのは、日本人の気質を変えるには十分な時間だと思っている。

2017年5月11日 (木)

足利市のこと

 2、3日前に見たネットニュースの見出しに、足利市長が無投票で再選されたとあり、足利に少しばかり思い入れのある身としては、つい全文を読んでしまった。

 といっても、足利市とはこれまでまったく縁もゆかりもなければ、もちろん行ったこともない。なのになぜ思い入れがあるのかというと、名曲「渡良瀬橋」を生んだ街だからである。

 以前も書いたが、「物語」を予感させる歌詞もいいし、プロモーションビデオというか、森高千里の「渡良瀬橋」への思いを映像で綴った動画(https://www.youtube.com/watch?v=tcAL_I_DJUM)を見てから、自分の中でもノスタルジアを呼び起こす街となった。

 足利市長の再選の記事には、市の一層の振興とともに、人口増がやはり大きな課題であるとあった。
 そこで、振興策の一環として、ぜひ提案したい。
 但し、市の実状を知らない赤の他人の、妄想モード全開の話なので、そのつもりで読み捨てて下さい。

 市内にある渡良瀬橋のほとりには、「渡良瀬橋」の歌碑が建てられているそうである。つまり、そういう詩心のある街なんだと思う。そこで、足利を「詩と物語の街」と謳い、『足利物語』の募集を行うのである。

 どういう内容かというと、「渡良瀬橋」の歌詞が当てはまる物語を募集するのである。

 森高の詞は、ひと言で言ってしまうと、互いに想い合っている男女が、それぞれに理由があって一緒になれない、というもの。

 具体的なシチュエーションに踏み込むと、女性は足利に住み、男性は、たとえば東京に暮らしている。そして女性は「この街を離れられない」と訴え、男性は足利を「いい街だ、ここで暮らしたい」と言ったことがある。なのに、結局一緒になれなかった二人。
 さらに、女性が男性の声を聞きたくて電話をするときに、携帯でも家の電話でもなく、近くの公衆電話まで走った、等々。

 うーん、想像がふくらみますねー。
 つまり、「こういう背景や物語があれば、こういう歌詞が成立するな」という小説。これを、公募対象にするのである。年に1回でなくても、1年おきでもいい。

 授賞式のプレゼンターは、もちろん森高千里。大賞受賞者には、賞金だけでなく、本にするとか、広報紙に連載するとか、何らかの形で世に出してあげれば、喜ぶ人は多いはず。森高には、「渡良瀬橋」の他にもう2、3曲歌ってもらうミニミニコンサートの形式にすれば、授賞式には、市内だけでなく、近隣市町村の住民やコアな森高ファンも集まるだろう。

 さらに、小説部門だけでなく、たとえば足利を詠んだ詩や、足利の夕陽の写真のコンテストなんかもあると、なお良い。何せ、「夕陽がきれいな街」なのだから。そうなると、「詩と物語と夕陽の街」か。まぁちょっとくどいかも。

 足利の行政に携わる人がこの記事を見る可能性はほとんどないと思うけど、もし何かの間違いで実現の運びになったら、もちろんアイデア料はいらないが、授賞式に毎年呼んでもらえると嬉しいネ。
(2017.04.21)

諸葛孔明の死を儚んだ人たち

 三国志は吉川英治版しか読んでいないが、孔明が死んだあとの蜀の変遷は、概略としてまとめられている。
 その中に、さまざまなことで孔明から排除されたり遠くに飛ばされたりした官僚たちが、孔明が死んだことを聞くと、「ああ、これでもう再び世に出る望みを失った」と嘆いたことが綴られている。
 なんで孔明から排除された人たちが、孔明が死んで嘆いたか、については、解説の必要は無いだろう。強いて言うなら、孔明の「無私」の透明度がそれだけ高かったということだと思う。

 傑出したトップのあとに、二流、三流の輩がその位置に替わることほど悲劇はない、と、最近、頓に考える。
(2017.04.17)

«今年のコピー大賞?