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2017年5月

2017年5月27日 (土)

我々は人体実験の最中(さなか)にある?

 一昨日のLINEでの北海道新聞の配信記事で、化学物質過敏症の子どもやその親が交流できるサロンが、札幌市内にあることを知った。
 そういうサロンがあるということは、悩んでいる子や親は、きっと多いのだろう。道新も、そういった方々を追いかけ、紙面では何度か取り上げているようだ。

 化学物質過敏症という病名はうっすらと記憶していた程度だが、記事では、新しい家具や建材、合成洗剤で洗った衣類などに触れたり曝されたりして発症するとある。
 症状は、今あらためて調べてみると多岐にわたるそうで、気管支系や皮膚の疾患、下痢や便秘などの消化器系、さらには不眠や不安、鬱などの精神症状に及ぶこともあるという。
 記事には触れていないが、私が気になるのは、こうした子どもたちが以前から一定比率でいるのか、それとも増えているのか、という点である。

 中学生の時、夏休みの社会の課題だったと思うが、「社会問題を一つ取り上げてレポートを書く」というものを出されたことがある。
 私がその時に取り上げたのは、食品添加物だった。その何年か前、人工甘味料のチクロが、発がん性があると疑われ使用禁止になり、それ以来、あれがダメ、これも危ないと、けっこう世の中を騒がしていた。

 たまたま書店で、「危険な食品」という新書を見付け、新書なので読むのにも手頃だと思い、深く考えることもなく決めたのだが、けっこう引き込まれましたねぇ。
 著者はまったく憶えていないけど、出版社は三一書房というところで、今、検索してみたら、絶版になっているのか、さすがに探せませんでした。まぁ数十年前の話で、資料やデータも今となっては通用しないだろうから、それは仕方ないだろうけど。

 それはともかく。
 本の内容は、一つ一つの添加物の危険性を紹介するというよりも、なぜそういった危険性のある物質が口に入るものとして認可されたか、を追求するものだったと思う。
 詳細は憶えていないが、要するに販売価格の安いものを消費者が望んでいるという一面と、あとはお定まりの、大企業であるメーカー(添加物の製造業者よりも、むしろ食品工業の方を糾弾していたような)のコストダウンを支えるために、国が消費者を犠牲にした、というような趣旨が書かれていたと記憶している。

 加えて、ここが今でもこの本のことを憶えている最大の理由なのだが、食品添加物の問題は始まったばかりで、たとえばマウスの実験で安全だったとしても、人間の体内に少しずつ取り入れられたときに、それが30年後、50年後、さらには孫子(まごこ)の代まで続いたときに、人間にどういう影響を及ぼしているかは、だれも予測できない、と結んでいた。

 そのことがずっと頭の片隅にあって、たとえば「子どもたちがキレやすくなった」とか「凶暴性を帯びてきた」なんていうメディアや関係機関の分析があったりすると、勝手に、食品添加物を取り入れ続けてきた影響か、なんて、今でもつい考えてしまう。一昨日の道新の記事に反応してしまったのも、そうした背景があるからでした。

 化学物質過敏症と食品添加物の因果関係については、ネットでざっと調べる限り、特に言及したものはなかったが、近年、鬱や神経症などの精神・神経疾患が増えていることについて、体の内外から化学物質を取り入れていることと結びつけている主張はあるようだ。
 「危険な食品」よりずっと後に書かれた漫画「美味しんぼ」の中にも、食品添加物については、全人類規模の壮大な検証実験の最中である、という趣旨の表現があって、この作者も「危険な食品」を読んだのかいな、なんて思ってしまったが、果たして、この実験の結果はいつ明らかになるのだろうか。

2017年5月23日 (火)

自分の中の“過去世(?)”の記憶

 えー、学術とか教義上の話ではなくて、スピリチュアリズムとか、与太話に近い話です。

 私は、持っている信仰上、一応、前世(過去世)、現世、来世という三世の生命観を信じています。但し実感したことは無いけどね。
 でも、仏教研究者や、僧籍を持って布教活動している人の中には、「生命は永遠であるという三世の生命観は方便である」と唱える人もいるらしい。

 その一人が、インドの政治家で、晩年、多数の不可触民(カースト制度にも組み込まれない最下層の賤民とされた人たち)と共に仏教に改宗した、アンベードカル。その思想継承者とされる佐々井秀嶺(ささい・しゅうれい)氏は、「前世も来世も、極楽も地獄もない、神もいない」と叫び続け、今、インドで佐々井秀嶺氏を慕うこの新仏教の“信者”は、1億人を超えているとも言われている。

 確かに、三世の生命観は、釈尊の説法の当然すぎる大前提となっている。しかし、もしそれを否定したとしても、釈尊の教え自体に大して不都合は生じないような気もする。
 さらに、現実の今の人生における信仰活動として考えたときに、「三世」観は、いろいろな現象の説明にはなるけど、信仰のモチベーションを高める要素になるかどうか。少なくとも自分には当てはまらないと思う。

 年齢的に、もう晩年に差し掛かる年代ではあるけど、「今、信仰をより深めれば、来世はより幸せな境遇に生まれてきますよ」と言われたところで、「よしっ、じゃあ頑張ろう」という気持が露ほども湧いてこないのは、どうしようもない事実である。
 だからおまえは信心が足りないんだ、と言われればそれまでだけど。

 と、ここまでが前提。ここから先が、与太話です。
 前世を実感したことがないと言いながら、実は、「自分は過去に、この時代、この場所にいたことがあるのではないか」と感じたことが、これまで2回あった。

 一つは、映画の「カサブランカ」を見たとき。
 その中に、ウィキペディアの説明を借りると、「店内でドイツの愛国歌『ラインの守り』を歌うドイツ軍士官たちに憤慨したラズロ(主人公)が、バンドに『ラ・マルセイエーズ』を演奏させこれに対抗し、その後店内の全ての客が『ラ・マルセイエーズ』を歌うシーン」がある。
 このシーンを見たときに、そのスクリーンの中の空気感は、どうしようもなく既知のものだった。自分は間違いなく、こういう“ような”場所にいたことがある、と。

 もう一つは、何かを見て感じたのではなく、いつの間にか自分の記憶の中に棲みついている映像なのだが、それは日露戦争開戦の時の街の様子である。少なくとも高校生の時には、もう記憶として認識していたのは憶えている。
 割と人通りの多い道で、子どもたちが「万歳」を叫びながら駆け抜けていく。それを冷ややかに見ている自分がいたのは、これもまた消そうにも消せない映像である。
 たとえば「二百三高地」みたいな映画やドラマを見て、その映像が無意識のうちに残っているということは考えられるが、少なくとも映画は見ていないし、まぁドラマも、見ていないと断言はできないが、高校生以前の年代でそういうものに興味があったとは考えにくい。

 これらの記憶は、厳密な意味での宗教的な過去世の実感とは、たぶん別次元の話だと思う。何年か前、「前世占い」なんていうものが流行って、タモリあたりが「俺の前世はカッパだった」と騒いでいたことがあるが、むしろそちらの方に近いのかもしれない。
 ただ、どちらの記憶も戦争が絡んでいるというところに、「もし、過去世に本当にそういう場にいたのなら、自分の今の役割も、そういう時代をくぐり抜けてきたことと無関係ではないはず」という自分への枷(かせ)みたいなものを、つい掛けてしまいそうになる。

 我がお師匠さんは、もうずいぶん前から、我が国の右傾化、全体主義化を憂い、警告を発しておられるが、太平洋戦争に一気に向かおうとしているあの時代のリアルな経験を持っている人、またそれを直に聞いたことがある人なら、今の時代がそれと重なっていないかどうか、ぜひ比較し、我々に教えて欲しいと思う。心からそう思う。

2017年5月21日 (日)

宗教団体は国家にとって常に“邪宗”?

 高橋和巳の「邪宗門」を最初に読んだのは、学生時代だった。
 友人の部屋で、同じ貧乏学生にしては分不相応な高橋和巳全集を書棚に大事そうに並べていたのを、パラパラと手に取っているうちに、「邪宗門」というタイトルを見付けたのである(この辺は古い記憶なので曖昧だけど)。
 そのタイトルに惹かれ、貸し渋るのを無理矢理借りて読んだのだが、たぶんその時は、純粋に単なる小説としてしか捉えていなかった。内容などすぐに忘れたが、何か強烈な印象だけは残っていたと思う。

 再びその小説に向き合ったのは、恐らく30代に入ってから。宗教と社会の関わり、もっと言えば、世の中の宗教団体に向ける“眼”というものを深く考えるようになってからだと思う。
 何かの本で、治安維持法が宗教団体に初めて適用されたのが第二次大本事件であり、その大本教(教団の正式名称に“教”の字は付かないが、便宜上、そう呼ばせていただきます)の弾圧を描いたのが、高橋和巳の「邪宗門」である、と知り、昔々読んだことは憶えていたけど、内容はまったくかけらも憶えていなくて、それでもう一度、挑戦したのでした。

 その再読の1回目に、小説本文だったか、文庫本巻末の解説だったか、「宗教が世直しを掲げる以上、どの宗教も国家権力にとっては邪宗である」という趣旨の一文を読んだときには、とても衝撃を受けましたね。
 個人の幸福と世の中の安寧は一体のもので、どんな宗教であれ、宗教が「今以上の自身の幸福」を求める以上、その中には「今以上の世の中の安寧」も含まれることになる。それはすなわち、「今の政治が良くない」と言っているのと同義であり、現政権の否定に繋がる、と、実際にはもっと丁寧に説明されていたであろうが、そんな趣旨だったと思う。

 たとえば、有名な日蓮の立正安国論にも、「汝須(すべから)く一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐(せいひつ)を祷らん者か」とあり、世の中の安穏や人々の幸福を願い行動していく中に自身の幸福がある、と、日蓮はその後の生涯の布教を展開していくが、これも、国家にとっては、自分たちが否定されたということになるのであろう。実際、日蓮はその後何度も弾圧を受けるのだから。

 治安維持法が宗教団体にまで手を広げたのは、一つには、共産主義者など、取り締まるべき人々をあらかた検挙し、もう摑まえる相手がいなくなってきたので、思想警察を縮小すべしと言う声が一部から湧き起こってきたから、という研究もある。
 大本教の第二次弾圧は、治安維持法違反だけでなく不敬罪も含まれていたから、弾圧そのものは避けられなかったかもしれないが、もし治安維持法が適用されなければ、果たしてどうなっていたか…。

 宗教団体が、国家権力の側にいるか、反対側にいるかは、その時その時の一現象に過ぎない。本質は「国家権力にとって常に邪宗」、というのはこれからも変わらない、と私は考えます。
 およそ信仰を持つ者、宗教団体に所属している者は、ゆめゆめ、そのことを忘れてはならないと思う。

2017年5月20日 (土)

時代の変遷、というだけでは…

 事務所の公式サイトを作っていた中で、高校生の時に吉行淳之介に傾倒した話を書いたのだが、それがきっかけとなったのか、ここ何日か、これまで読んだ膨大な作品の中の片言隻句が、浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
 2、3日前に思い出しのが、吉行がある新聞社の社会部長と話しているときのものだったと思うが(何せ数十年前に読んだものなので、その場面や正確な文章は思い出せません)、社会部長が、こういう趣旨のことを言うのである。

 「何か事件や事故が起きて、人が10人くらい死んだ、なんていうときに、万歳三唱をして記者を送り出すぐらいでないと、社会部長は務まらない」と。

 そのことばを、吉行は肯定的に紹介していて、もちろん私もそれには違和感を感じなかったし、恐らく読者の多くは同じ感覚で受け止めるであろうことを見越して吉行も書いたのだと思う。
 ただ、今の時代だったら、読者というか、人々の受け止め方は、当時とちょっと違うんじゃないか、という気がする。

 当時、といっても40~50年前だと思うけど、社会部長の言葉が、公式に世の中に向けて発言されたのであれば、これは非難を受けるのは、今と変わらないだろう。
 ただ、非難と言っても、「気持は分かるけど、そんな公然と言わなくてもねぇ」という言外の言を込めてのものだと思う。
 人の生命がどれだけ尊厳なものか、という世間一般の認識、受け止めは、今も当時も、おそらくそう懸け離れたものではないはず。その上で、新聞社の社会部長ともなれば、部数の伸びも考えなければならず、まぁたいへんといえばたいへんな立場だよな、という“忖度”が働くのではないか。

 でも今なら、徹底的に指弾されるんじゃないですかね。ネットで煽って尻馬に乗る人を増やしながら、辞任するか解任されるまで攻撃の手を弛めない、なんていう画を容易に想像することができます。

 まぁそれだけ、世の中が、大切なものを本当に大切にするようになってきたから――なわけないよね。

2017年5月18日 (木)

時代劇に取って代わったのは刑事ドラマ?

 うちの地方では時代劇「桃太郎侍」(高橋英樹主演)の再放送をしていて、これは回数がかなり多かったみたいだが、昨日、ようやく最終回を迎えた。
 実は時代劇は割と好きなジャンルで、まぁ何回も再放送されていたものだから、ふだんは見ていなかったが、最終回だけ、どんな終わり方だったか、録画しておいて今朝、見てみました。

 ストーリーは、ふだんの回は水戸黄門や大岡越前と同様、勧善懲悪を絵に描いたようなものだけど(何一つ憶えていないけどネ)、さすがに最終回だからか、双子の実兄・松平備前守が政敵でもある老中(名前は失念)に殺され、その仇を討つという、幕府の機構の闇に切り込む話になっており、鬼退治をしたあとに、一人、旅に出るところで終わっている。
 幕府の闇に切り込むといっても、将軍や幕閣が何人も出てきて狐と狸の化かし合いをするような複雑な話ではなく、悪役も老中と勘定奉行の二人だけという(部下は大勢いるけど)、まぁ何とも“のほほん”としたものでしたね。
 でも、時代劇が好きな人はある程度の年代を超えていると思うので、こういう単純な話の方が、ストレートにカタルシスを得られるのかもしれない。

 最近は時代劇がめっきり減って、NHKの大河ですら、次は現代劇だそうだが、今朝、見ていてふと思ったのは、今は刑事ドラマ、いや、もっと幅広く「推理モノ」と言ってもいいけど、それが時代劇に代わって、視聴者にカタルシスを提供しているのではないか、ということでした。

 なぜそう思ったのかというと、今の時代、悪がなかなか滅びない、という単純な理由です。滅びないどころか、何が悪か、誰が悪かも見抜けないのが、今の時代の複雑さだと思うんだよね。
 だから、悪をバッサバッサと退治するドラマが次々に作られるのは、実は国民にカタルシスを与える国策ではないか、なんていう都市伝説が生まれたりするぐらいで。

 ちなみに、今、ざっと数えてみたら、この推理モノ、1週間で13本ありましたねぇ。そしてそのうち7本が、刑事や警察機構が主人公になっているもの。
 刑事モノといっても、昔の「太陽にほえろ」に代表されるような、犯人をいろんな方法で追い詰めて逮捕して終わり、という単純な図式のものはむしろ少なく、たとえば上層部との対立とか、あるいは警察機構の中に闇の組織があってそれを暴いていくとか、そういう横線を絡めたものがほとんどといってもいいかもしれない。
 まぁそういう糸を織り込んでいかないと、視聴者も納得しないんだろうね。自分の周囲が、善か悪かで色分けできるような単純な世界でないことだけは、たぶん、誰もが気付いているだろうから。

2017年5月16日 (火)

そういえば…

 私の人生のお師匠さんは、日本人の生命の底流にある悪しき傾向性として、「寄らば大樹の陰」と「長い物には巻かれろ」の二つがある、と指摘されておられる。
 人から責められないように対処する、というのも、そうした傾向性が根底にあるからなんだろうね。突出した存在を許さない、なんていうのも同じ。とにかく、目立たないように、人と違わないように…。

 個人主義というのは、しばしば、利己主義と混同されるけど、本来は、「自分の“個”も他人の“個”も尊重する」という、文字通り、リベラルな考え方のはず。もっとそうした考えが浸透すればいいのだけど。

責任を取らない人たちは…

 一昨日、14日に書いた記事を読み返し、昨年の黒石市の写真コンテストの騒動を思い出した。書いた記事は、近隣(いろんな意味で)の者が罪を犯そうとしても、それに関心を向けようとしない今の日本人気質に触れたものだが、私が言いたかったことが端的に表れるのが、いじめで子どもが自殺したときの、周囲の大人、それも学校や教育委員会などの毎度の対応である。
 その、ある意味典型的な事例として、黒石市の写真コンテストの一件を思い出した次第である。

 事例の経過を箇条書きで説明すると、

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・昨年(2016年)の黒石よされ写真コンテストで最高賞(市長賞)に内定したのは、日本三大流し踊りと言われる黒石よされの出場者を青森市の写真愛好家の男性が撮影したものだった。
・その被写体となったのは、青森市内の女子中学生、葛西りまさん。
・しかし、その葛西りまさんが、撮影された10日後に「いじめが辛い」との遺書をスマホに残して自殺していた。
・撮影者は応募に際し、遺族である父親に応募の承諾を求めたところ、「いじめられていてもこんな幸せそうな笑顔を見せる一瞬があった」ことを知ってもらいたいと、応募を快諾。
・しかしコンテストの実行委員会は、りまさんが自殺したことを知ると、最高賞の内定を取り消す。
・りまさんの父親が地元紙に経過と写真を提供、記事として公になると、実行委員会や市長に批判が集中。
・実行委員会は一転、取り消しを撤回して、最高賞の授与を決定。

 というものだった。
 りまさんのためにも、受賞が最終的に決定したのは喜ばしいが、後味の悪さが残ったと、地元紙は伝えていたという。

 コンテストの主催者側は、内定を取り消した段階では、その理由を明らかにしなかったそうだけど、まぁ見え見えだよね。
 「自殺者を被写体にしたものに賞を与えて、あとで問題になるかも」「市民から批判されるんじゃないの」「触れない方が安全だろう」「じゃあ内定を取り消すか」と、まったくの想像ではあるけど、こんな会話が交わされていたのではないか。
 主催者である市の観光協会というのが、お役所なのか外郭団体なのか知らないが、自分が責められて責任を負うことはなんとしても避けたい、という心の有り様は、覆うべくもない。

 これをもって「日本人とは…」と結論づけるのは乱暴かもしれないが、そんな事例ばかり見聞きするので、やはり、この国はどこかおかしくなっていると言いたくなる。

 で、この一件、今回調べてみて、まだ混乱が続いていることを知りました。
 例によって、いじめと自殺の因果関係を、学校も市教委も「あるとは言えない」と説明しているんだって。そしてそれによって、市教委の審議会メンバーを交代させるとかどうとか、議会まで巻き込んでいるそうです。

 いや、本当に、どうしたらこういうのを変えられるんだろうね。無力な一市民でしかないけど、真剣に考えてしまいます。

 ※写真とりまさんの実名は、ご遺族のお気持ちに沿って、ここでも掲載させていただきました。

2017年5月15日 (月)

「人生相談師」

 こういう職業があるのを初めて聞いたのは、タモリの「笑っていいとも」であった。
 どんなコーナーかも、どんな内容かもまったく憶えていないが、一般人の登場者の職業が「人生相談師」と表示されていたのである。
 もう10年ぐらい前のことだろうか。以来、何か気になって、いつかちゃんと調べてみようと思いながら、今日まで来てしまいました(^^;

 実は先日、もう既に第一線をリタイアしている知人が、「こうやっていろんな人の人生相談を受け、その結果を見届けるまで、祈るようにして神経をすり減らしているのに、先日テレビに出ていたけど、有名な占い師が法外な料金を取って人の深刻な問題に無責任なアドバイスをシャアシャアとするのは釈然としないよな」とぼやいていたので、それであらためて「人生相談師」のことを思い出した次第。

 その知人、お金にならない相談を受けるのを嘆いているわけではなくて、占い師が最後まで責任を持たずにアドバイスをすることを憤っていたので、「人生相談師をやってみたら」なんて不謹慎なことは言いませんでしたけどね。

 で、この「人生相談師」、ネットで検索してみたら、やはり「笑っていいとも」に出ていた人のことが出てきました。気になっていた人がけっこういた、ということなんだろうね。
 その人は福岡在住で、ご夫婦で「相談業」を受けているらしいんだけど、多少、スピリチュアリズムや占いなんかを取り入れているみたいですね、やはり。
 いろいろネットを辿っていったら、今はふつうの占い師でも「人生相談師」を名乗っている人がいるらしいけど、草分けというか、初めて「人生相談師」を名乗ったのは、どうも福岡のその人らしいけど、ここはまぁ不確定です。

 知人は、「お金なんか取ったら、相手の非を指摘することもできず、ただ相手が納得するところに着地すればいい、という答しか出せない。そんなの人生相談でもなんでもない」と言っていて、その慧眼に心服したけど、うーん、この「人生相談師」という職業が自分の意識に引っかかっていたのは、「これでお金を稼ぐことができるのだったらいいよなぁ」という浅ましさの故だったのかもね。汗顔の至りです。

2017年5月14日 (日)

日本は監視社会だったのか

 「共謀罪」「テロ等準備罪」と敵味方で別々に呼び合っているその法案は、ウィキペディアによると、

 「日本の組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(通称:組織犯罪処罰法)の『第二章 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の没収等』に新設することが検討されている『組織的な犯罪の共謀』の罪の略称」

 となっているが、賛成・反対を叫んでいる人の中でも、この段階を分かっていない人って、実はけっこう多いのではないかと思う。

 それはともかく、「共謀罪」と呼ぶ反対派の主張に、「成立したら日本は監視社会になってしまう」というものがある。
 これに対し、「いや、日本は既に監視社会になっている。その淵源は、戦中の『隣組』の存在である」という意見がある。
 私も実は、「隣組」が日本の監視社会を醸成してきた、と思っていたのだが、あらためて調べてみると、もっと古く、飛鳥時代にその淵源を求めることができるのだそうである。

 学術的に調べたわけではなく、ネットサーフィンによるナナメ読みなので、大雑把にしか私も分かっていないが、古代律令制の中でその仕組みが生まれ、その目的として、相互扶助と犯罪防止が初めから明記されていたそうである。
 ここで気になるのは、「犯罪防止」がどういう意味を帯びているか、である。

 これはNHKの造語だそうだが、「地域力」ということばがある。現代用語である。
 ある地域の人々が、簡単に言うと、どこに誰が住んでいるのか、どんな仕事をしているのか、どんなサイクルの生活をしているのかが、相互に分かっている状態のことを言う。
 なので、「地域力」がある地域では、たとえば空き巣などが留守の家を探したり狙いを定めたりしてすると、たちまち隣近所の人が出てきて、「××さんに何かご用ですか?」と声を掛けたりする。
 掛けられた方は、「この地域はヤバいな」と、たちまち退散するそうで、実際にそうした犯罪の経験者も、地域が連帯している町は仕事がやりにくい、と証言しているそうである。

 と、これはプラスの方の犯罪防止だが、一方では、やはり相互監視という側面があったようだ。
 一つには、グループ化された人々の中で、犯罪者――昔々は、租税を納めないで夜逃げすることなどを想定していた――を出した場合、そのグループの全体もしくは責任者が、連帯して処罰されることになっていたことがある。つまり、おらがグループの中からそんな不届き者を出してはならねぇ、と、互いに目を光らせていたのである。
 私が気になるのは、この相反する「心の有り様」が、一人の人間の中に矛盾なく存在してきた、ということである。

 仲間内や近所同士で、何か困っている人がいれば助け合う、というのは、人間の持つ本然的な心の働きだと思う。
 ではその仲間内から、犯罪の予兆を感じ取ったらどう対応するか。
 ふつうなら、「そんなことはやめろ」と諫めるだろう。それは正義感もあるけど、犯罪を犯せば、刑事罰を受けるだけでなく、一生を棒に振ることになりかねない、ということを、経験的に(多くは人の経験の見聞だけど)知っているから、相手のことを思って諫めるのだと思う。
 でも、この「人の犯罪を諫める心」は、今の日本人からは、大きく後退しているといえるのではないか。そしてそれは人間関係が希薄な都会だろうと、地域的結束がなお強い郡部だろうと、そんなに変わらないだろう。

 私はこれこそが、律令以来、育んできた「相互監視」の悪しき結果だと思っている。
 つまり、相互扶助にしても犯罪防止にしても、本来なら「その人のことを思う」心が為すべきことだったのに、犯罪防止については、「自分も罪に問われるから」という仕組みのせいで、自己防衛から周りを監視させるように仕向けたのである。
 その「自分も罪に問われるから」という縛りが、隣組の消滅以来、日本の中に制度としては無くなってしまった。そうなると、「もう自分が罪に問われることがないから、周りの者が犯罪を犯しても関係ない」という方向に変化する。
 単純だと思うかもしれないが、戦後の70年余というのは、日本人の気質を変えるには十分な時間だと思っている。

2017年5月11日 (木)

足利市のこと

 2、3日前に見たネットニュースの見出しに、足利市長が無投票で再選されたとあり、足利に少しばかり思い入れのある身としては、つい全文を読んでしまった。

 といっても、足利市とはこれまでまったく縁もゆかりもなければ、もちろん行ったこともない。なのになぜ思い入れがあるのかというと、名曲「渡良瀬橋」を生んだ街だからである。

 以前も書いたが、「物語」を予感させる歌詞もいいし、プロモーションビデオというか、森高千里の「渡良瀬橋」への思いを映像で綴った動画(https://www.youtube.com/watch?v=tcAL_I_DJUM)を見てから、自分の中でもノスタルジアを呼び起こす街となった。

 足利市長の再選の記事には、市の一層の振興とともに、人口増がやはり大きな課題であるとあった。
 そこで、振興策の一環として、ぜひ提案したい。
 但し、市の実状を知らない赤の他人の、妄想モード全開の話なので、そのつもりで読み捨てて下さい。

 市内にある渡良瀬橋のほとりには、「渡良瀬橋」の歌碑が建てられているそうである。つまり、そういう詩心のある街なんだと思う。そこで、足利を「詩と物語の街」と謳い、『足利物語』の募集を行うのである。

 どういう内容かというと、「渡良瀬橋」の歌詞が当てはまる物語を募集するのである。

 森高の詞は、ひと言で言ってしまうと、互いに想い合っている男女が、それぞれに理由があって一緒になれない、というもの。

 具体的なシチュエーションに踏み込むと、女性は足利に住み、男性は、たとえば東京に暮らしている。そして女性は「この街を離れられない」と訴え、男性は足利を「いい街だ、ここで暮らしたい」と言ったことがある。なのに、結局一緒になれなかった二人。
 さらに、女性が男性の声を聞きたくて電話をするときに、携帯でも家の電話でもなく、近くの公衆電話まで走った、等々。

 うーん、想像がふくらみますねー。
 つまり、「こういう背景や物語があれば、こういう歌詞が成立するな」という小説。これを、公募対象にするのである。年に1回でなくても、1年おきでもいい。

 授賞式のプレゼンターは、もちろん森高千里。大賞受賞者には、賞金だけでなく、本にするとか、広報紙に連載するとか、何らかの形で世に出してあげれば、喜ぶ人は多いはず。森高には、「渡良瀬橋」の他にもう2、3曲歌ってもらうミニミニコンサートの形式にすれば、授賞式には、市内だけでなく、近隣市町村の住民やコアな森高ファンも集まるだろう。

 さらに、小説部門だけでなく、たとえば足利を詠んだ詩や、足利の夕陽の写真のコンテストなんかもあると、なお良い。何せ、「夕陽がきれいな街」なのだから。そうなると、「詩と物語と夕陽の街」か。まぁちょっとくどいかも。

 足利の行政に携わる人がこの記事を見る可能性はほとんどないと思うけど、もし何かの間違いで実現の運びになったら、もちろんアイデア料はいらないが、授賞式に毎年呼んでもらえると嬉しいネ。
(2017.04.21)

諸葛孔明の死を儚んだ人たち

 三国志は吉川英治版しか読んでいないが、孔明が死んだあとの蜀の変遷は、概略としてまとめられている。
 その中に、さまざまなことで孔明から排除されたり遠くに飛ばされたりした官僚たちが、孔明が死んだことを聞くと、「ああ、これでもう再び世に出る望みを失った」と嘆いたことが綴られている。
 なんで孔明から排除された人たちが、孔明が死んで嘆いたか、については、解説の必要は無いだろう。強いて言うなら、孔明の「無私」の透明度がそれだけ高かったということだと思う。

 傑出したトップのあとに、二流、三流の輩がその位置に替わることほど悲劇はない、と、最近、頓に考える。
(2017.04.17)

今年のコピー大賞?

 今も行っているのかどうか分からないが、読売新聞主催の「読売ユーモア広告大賞」というコンテストがあって、もうだいぶ前になるが、コピー部門で賞を取った作品が印象深く、今でも憶えている。
 微妙に間違えていたら申し訳ないが、サランラップの広告で、「兄は今日、一夜漬けの頭にサランラップを巻いて学校に行った」というものだったと思う。

 私は、これに匹敵するぐらいのセンスを感じているのが、少し前にツィッターで拡散され話題になった、

  家に帰ったら佐々木希
  家に帰ったら堀北真希
  家に帰ったら上戸彩
  家に帰ったら北川景子

 というツィート(https://twitter.com/itsukodayowww…)。

 実際には、ダンナである渡部建、山本耕史、EXILEのHIRO、DAIGOの写真をアップした上でコピーを配置しているので、その写真も含めると、単純な「コピー部門」には該当しない作品と言えるかもしれないが、コピーだけ取り出しても、充分に訴えるものがあると思う。
 まぁ個人的に手を入れるのを許してもらえるのなら、「帰ったら」よりも「帰れば」の方が、口語のリズムがいいように思うが、そこは人それぞれの感性なので、捨て置いて下さい。

 あともう一つ、勝手な意見を。
 上記の4人で、違和感を憶えるのは、上戸彩。もちろん、美形の範疇に充分含まれるとは思うけど、他の3人とはちょっと違う、庶民的な可愛さが彼女の良さだと思う。
 好き嫌いは別にして、「目の覚めるような美人」との評価に、世間の大半の人が異を唱えない女優となると、やはり限られてこよう。そこはもう少し慎重に選んで欲しかったと思う。

 ま、なんにしても、こういう「作品」に出会えるのは、幸せを感じる一瞬でもある。
(2017.04.17)

パロディ民話

 中学や高校時代の友人とのメールはけっこう楽しい。
 ほんの1、2回の遣り取りで済む用件でも、そこに昔の思い出話を絡めると、延々と話が続いてしまうことがある。私など仕事柄、書くことが苦ではないので、つい長話ならぬ“長メール”になってしまって、よく「おまえのメールは読むのがメンドクサイ」と言われてしまう。

...

 なんて、本筋とは関係のない話をつい書くから長くなってしまうのだが、それは置いといて、少し前に高校時代の友人とメールをしたときに聞かれたのが、「昔、民話のパロディって流行ったよな。あれ、いつ頃だっけ?」というもの。
 二人ともすぐに思い出せなかったのだが、「おまえとはそういう話をしなかったよな」というのは共通の認識で、そこから、大学生の頃、と結論付けました。でも、なんかすっきりとしなかったなぁ。

 こういうのはすぐに調べないと気が済まないタチで、早速、ネットを見てみましたが、“パロディ 民話”や“パロディ 昔話”で検索しても、どうも望む情報に辿り着かない。そこで、話のオチとなっているフレーズで検索してみたら、ようやくその話に行き着ました。でも、なんかなぁ…自分で考えた話のように紹介しているところも多く、その出自は結局分かりませんでした。

 ちなみに、その民話とはこういう話です。いくつかご紹介。

・こぶとりじいさん
 昔々、あるところに、少し太ったおじいさんがいました。小太りじいさんと呼ばれていました、とさ。

・花咲じじい
 昔々、善良な老夫婦と強欲な老夫婦が、隣り合って暮らしていました。
 ある時、善良老夫婦が、野良犬を見付け、連れて帰って大事に育てました。すると犬は、庭の一カ所を指して、「ここを掘れ」とばかりにワンワンと吠え立てます。老夫婦は言われるままに庭を掘ると、そこから金銀財宝が出てくるではありませんか。
 それを見ていたとなりの強欲なじいさん、自分もあやかろうと隣から犬を借り、しばらく育てますが、碌なえさも与えず、時には叩いたりしながら、「早く宝の埋まっている場所を教えろ」と迫りました。
 すると犬は、ようやく庭の一カ所を指し、ワンワンと吠え立てます。強欲じいさんはそれとばかりに掘りましたが、出てくるのはガラクタやゴミばかり。腹を立てたじいさんは、犬を殺してしまおうと引き綱を引っ張って裏山に連れて行こうとしました。
 犬も必死で逃げようとしますが、じいさんはなかなかの力で、どうにも叶いません。
 ついに犬は叫びました。
 「これ、放さんか、じじい!」

・桃太郎
 昔々、桃から生まれた桃太郎は、鬼退治に行くことになりました。
 途中で雉に出会い、吉備団子をあげて、家来になって力を貸してくれるよう頼みました。次に猿と出会い、やはり吉備団子をあげて家来にしました。続いて今度は犬に出会い、またまた家来になってくれと頼みました。
 犬は了解してみんなと一緒に歩いて行きますが、雉と猿が吉備団子を食べているのが気になって仕方ありません。そこで桃太郎に聞きました。
 「ねぇ、桃太郎様、ぼくには吉備団子はくれないのですか?」
 「え? もう、もろたろ?」

 等々…。まぁどれも一度は耳にしたことがあると思います。
 三番目のはけっこう話術の妙が必要で、「もう、もろたろ(もらったろう)」を、いかに「ももたろう」に聞こえるように話すか、そこをみんな、競っていましたね。

 メールを遣り取りした友人からは、「大学生にもなってそんな話で盛り上がるかなぁ」という疑問も呈されたのですが、でもこれって、けっこう高度な表現技法(笑)に属すると思うんだよね。
 解説を加えるのも野暮なんですが、一つは、オチが言葉遊びになっていること。もう一つは、オリジナルの物語の世界をいかに損なわせないか、ということ。流行っていた頃、いろんな話が出回ったけど、この二点は、無意識にせよ、踏まえていたような気がします。

 そして、この“パロディ民話”の発生は、今思うと、ラジオの深夜放送ではなかったかな、と。インターネットも無いし、どう考えても他のメディアが思い浮かびません。
 実際に作った者は中高生も多いのだろうけど、先ほどの二つの“要件”を、なんとなくでも“分かる”には、一定の能力的水準が必要だったと思います。そういう意味では、最初に考えた人、またその“要件”を受け継ぎながらあとに続いた人たちは、それなりの才能の持ち主と言えるのではないでしょうか。

 我が国のパロディの歴史を調べてみると、多くは、短歌の本歌取りにその淵源を求めているようです。但し、本歌取りは、オリジナル作品に対するオマージュやリスペクトが込められていなければならない、なんていう規定(?)があるそうで、まぁそういうメンドクサイことを言うから、広く庶民の間に広まらなかったのでしょうね。

 そういえば、昔から連綿と続くパロディの中に、故事や慣用句を元にしたものもありますよね。今、パッといくつも思い浮かばないけど、「柚子よりスダチ」とか、「仏の顔も三度笠」とか、「雀百までわしゃ九十九まで」とか…。
 ちゃんと意味が込められているもの、単なる語呂合わせのものなど様々ですが、“オヤジギャグ”レベルのものなら、自分でもたまに口をついて出てくることがあります。

 一つ言えるのは、楽しくなければパロディではない。
 パロディは、オリジナルに付随して成り立つ、一段ランクの低い表現方法なんかではなく、もっと広まってほしい表現手段だと思っています。
(2017.03.30)

TVも一般人の人生の“面白さ”に気付いてきた?

 TVではちょうど改変期を迎えたところで、連続ドラマなんかも、第1話が次々と放映されているところです。
 ドラマ好きの私にとって、この改変期は録画に注意を払わなければならない(?)時期で、気が抜けない日々を送っていますけど、もうここ何年も、初回を最後まで見る気にさせたドラマは、数える程度しかありません。

...

 で、ドラマのことは置いといて、最近、気が付くと、一般人を登場させる番組がずいぶんと増えたように思います。
 今も放送中の番組で、一番古くから一般人、いわゆる“シロウト”を登場させている番組は、綿密に調べたわけではないけど、「鶴瓶の家族に乾杯」(NHK)ではないでしょうか。ゲスト(芸能人など)と一緒に田舎を訪れ(私が見た限りでは都市部はありませんでした)、その土地の人々と交流する、という内容です。

 その他、今、思い出せるだけ書いてみると、「ドキュメント72時間」(NHK)、「サラメシ」(NHK)、「チマタの噺」(テレビ東京)、「家、ついていってイイですか?」(テレビ東京)など、あと、ほとんど見たことがないけど、タイトルから、「サラメシ」に似た内容のものとか(局不明)、「夜の巷を徘徊する」(テレビ朝日)とか、まぁ、探せばまだあるのかもしれません。そうそう、「新婚さんいらっしゃい」(テレビ朝日)は、やはり外せませんね。
 「新婚さんいらっしゃい」はギネス級の歴史を持っていて、別格といってもいいでしょう。

 それはそれとして、「家族に乾杯」が割と古くから放送されているほかは、たぶん21世紀に入ってから作られたものだと思います。が、いわゆるバラエティ系の番組が次々と浮沈していく中で、今も続いていたりとか、深夜枠からゴールデンタイムに移ったりだとかを見ると、けっこう視聴率を稼いでいるのでしょうね。

 実際、見てみると、どれもそれなりに面白い。一般人との関わり方は番組によってそれぞれだし、登場のさせ方も、もちろん違うけど、共通しているのは、その人の辿ってきた人生、生き様を浮かび上がらせているところだと思います。
 でも考えてみると、それって元々芸能人の役割だったんだよね。役者でも、歌手でも、虚像の中でのみ活動しているように見せて、一方でマスコミなどにプライベートな部分を切り売りする。それを読んだり見たりする一般人は、「へぇー、あんな華やかで幸せそうに見える人が、母親との壮絶な確執を抱えていたんだね~」なんて、ドラマや映画、あるいは歌の世界とは違う、生身の生活や人生を垣間見て、言葉は悪いけど、覗き見的興味を満たしていたのでした。

 では何で芸能人の人生を見るだけでは収まらなくなったのでしょう。
 一つは、インターネットがこれだけ普及し、情報が人口に膾炙するスピードが圧倒的に速まったことが、大きな要因として挙げられるでしょう。
 そしてもう一つは、掲示板とかブログとか、ネットの普及とともに、さまざまな「自分のことを発信するツール」が登場してきたことがあると思います。
 「TVの中の世界」は、かつては手の届かない虚構の世界だったのに、インターネットとのメディアミックスで、誰もが触れたり入り込んだりできる世界へと変化し、誰でも「自分の山あり谷ありの人生」を発信できるようになりました。
 TVが、これに乗らないはずはありません。
 ネットという“箱”(それはパソコンだったりスマホだったりするわけですが)の中に無数に展開されている「一般人の人生」が、TVの中でも、十二分にコンテンツになり得ると思ったのでしょうね。

 私は、この先「一般人の人生」をコンテンツにしていく番組は、さらに増えていくと思います。何せ、制作費は安く上がるし、コンテンツは無限にあるとも言えるからです。
 まぁただ、放送できるだけの尺を確保するまでに、恐らくその何倍もの取材をしているとは思いますが。

 そして、そのうち、バラエティだけでなく、ドラマにも、一般人の人生が登場してくるのではないでしょうか。
 今はインタビューや取材という形で画面に映しているその人の人生を、ドキュメントではなく、ドラマ、エンターティメントとして「見せて」いく――。

 そう考えると、ジム・キャリー主演の映画、「トゥルーマンショー」はどれだけ先駆的な作品だったのでしょうかね。
(2016.10.12)

行き過ぎた「差別批判」は誰を守ろうとしているのか

 9月下旬のことなので、ニュース性はかなり薄まっているし、全国的にそれほど騒がれたわけでもないので、知らない人や忘れている人も多いと思うが、鹿児島県志布志市のふるさと納税PR動画の一件は、まぁいろいろ考えさせられました。

 市としては公式には削除しており、Youtubeに何本かアップされているけど、いずれはそれも消えてしまうだろうから、まずは今のうちに一度見ておいて下さい(https://www.youtube.com/watch?v=9GdvQoHycYY)。

 いずれ削除されたときのために、ざっとあらすじを書いておくと、全身が濡れている水着姿の少女がまず現れ、「養って」と見ている人に訴えかける。ナレーターでもある「ぼく」は、養うことを決意し、おいしいものを食べさせたりゆっくり眠ることのできる環境を与えてあげる。一年が経ち、少女はお礼を言いながらプールの水の中に飛び込んでいくのだが、その時に少女はウナギに変身、養っていたのがウナギであることを示すのだ。そしてまだワンカット続きがあって、ラストシーンはまた別な少女が現れ、「養って」と呼びかけるところで動画は終わるのです。
 余計な説明かもしれませんが、養殖ウナギの出荷量が鹿児島県一である志布志市が、その支援ための「ふるさと納税」を県外の人に呼びかけたものでした。

 ところが、この動画に対し、市に多くの非難が寄せられ、1週間もしないうちに削除したのだとか。
 ネットに散らばっているニュースを見比べて自分なりにまとめてみると、大きく二つの非難があるように思います。
 一つは、女性差別に通じる、という括り。
 少女が出てきていきなり「養って」と懇願し、「ぼく」がそれを決意して“施し”をするのは、「男は養う側、女は養われる側」という昔ながらの封建的な男女観の表れである、というものです。細かい付随意見を入れると、まぁいろいろとあるのですけどね。
 二つ目は、まぁ何というか、「エロである」、に集約されると思います。
 最近耳目を引く女性監禁事件を連想させるとか、少女を養うというシチュエーションが、「育ゲー」(少女を小さいうちから囲って自分好みの女性に育てていく、というゲームだそうです。私はやったことありませんが)を連想させるとか、ずっと水着のまま育てるというのは児童ポルノに近い、とかなんとか。だいたい、水着の女の子に「養って」と言われたら、「エロ」を連想するなと言う方が無理、というのもありました。
 その他、擬人化されたウナギを食べるのは“食人”を連想させる、なんていう苦情もあったそうだけど、それは少数意見と思っていいでしょう。

 さて、私は広告を作る側にいますが、正直に言うと、このPR動画、不快感はありませんでした。
 むしろ作り手にある種のセンスを感じたというか、上手く作ったな、というのが第一印象です。
 まぁそんなことを書くと、今の時代、「おまえに女性蔑視の心があるからだ」とか、「児童ポルノ愛好家じゃないのか」とか、すぐにあらぬ疑いをかけられたりするので、本当は黙っていた方がいいのかもしれませんが、やはりこの動画に対する非難は、文章表現で以前から議論されている「言葉狩り」に通じるものがあるように思います。

 「言葉狩り」とは、思いっきり簡単に言うと、「社会的弱者を差別する意図などまったくない言葉なのに、差別用語だとして使用を禁止もしくは自粛しなければならない風潮」のことを言います。
 よく引き合いに出されるのが、「手落ち」はよくて「片手落ち」はダメ、と、長い間自粛させられていること。もっとも最近は度が過ぎて、自治体や公共団体は「手落ち」も使わないようにしているそうですが。

 ここでいう「手」とは、からだの一部の「手」ではなく、「手段、方法」としての意味合いがあります。「いい手を思いついた」なんて、今でもふつうに使われていますよね。
 確かに、からだの一部が不自由な人に対し、もともと差別用語として発生した言葉も少なくありません。そういう言葉の使用の自粛は当然としても、だからといってからだの一部が含まれる言葉にことさら敏感になり、必要以上に「使わない」「使わせない」方向に向いていくのは、それこそ言葉の持つ本来のイメージを制限し、大きく言うと、「想像力」「空想力」「思考力」を日本人から奪ってしまうことにつながるのでは、と思っています。

 上の段で、「からだの一部が不自由な人」と、あえて書きました。これは今では「失礼のない言い方」として市民権を獲得しています。
 しかし、たとえば「目の不自由な人」「耳の不自由な人」という表現は、その人の「機能が十分ではない部分」を、逆にことさら強調していることにならないのか、と、もう数十年前に作家の筒井康隆が指摘しており、私はそれはまったく正鵠を射ていると思っています。

 さて、志布志市のウナギのPR動画に戻りますけど、そもそも「養って」は、ウナギの言葉です。ウナギ養殖振興のためにウナギにその言葉を言わせるというのは、ふつうに思いつかない視点で、これを本物のウナギを登場させたり、あるいはウナギのゆるキャラを作って言わせるのでしたら、何のインパクトもないでしょう。
 あくまでも作り手の視点で言うと、これから大人になっていく年代の人間に言わせるから、「一つ応援してみようか」という意識を醸成させるのだと思います。
 敢えて、「男は養う側、女は養われる側…」の非難を回避するなら、最後に出てくる「養って」の別の子は、男の子にすれば良かったかもしれません。実際、養殖ウナギは圧倒的にオスが多いそうですから。
 まぁ結果論ですけどね。

 そして、「エロ」である、との非難。
 確かに制作側とて、「エロ」、というか、「エロス」をまったく意識していないということはないでしょう。
 でもそれを言うなら、TVのCMに溢れている水着の女性はすべて排除されなければならないし、レースクィーンなど、各種ショーに彩りを添える「女性らしさ」を強調したコスチュームのキャンペーンガールたちも、皆、失業させなければなりません。
 それとも、女性はダメで、水着のムキムキの男性ならOKとでも言うのでしょうか。

 さらに、「児童ポルノ」に通じる、というのは、非難のための非難としか思えず、実際、演じている女優さんは20歳の女性だそうで(=写真下、動画の冒頭の一コマ)、可愛いコだけれど「児童」にはほど遠いし、実際に動画を見てお分かりの通り、ニュースに出るような監禁事件をこのPR動画に刺激されて起こすなど、どう道筋を付けようとしても繋がらないし、ましてや「育ゲー」を連想するのは、実際に育ゲーをやったことのある人だけでしょう(だから私は連想しませんでした。くどいようですが)。

 この、「言葉狩り」的に世の中の様々な「表現」に非難を向ける人たちは、今、確かに増えている実感はあります。
 でも、その人たちは本当に、何を守ろうとしているのか。
 私自身、実は片眼が見えないというハンディがあります。
 「ハンディ」なんて言葉を使うと、「全盲の方と比べれば、たとえ片方でも『見える』ということは大きくて、実際、車だって運転しているじゃないか」という人もいますけど、隻眼の人なら分かると思うけど、段差が分からなくて踏み外したり躓いたりとか、距離感がないため、パーキングや高速などの運転席側の発券機に近付きすぎてぶつかったりとか、それなりに不便はあるのです。
 なので、社会制度的に視覚障害者として認定されれば、ある部分でラクになるかも、という期待はありますが、それでも市井の人々に守ってもらいたい、という気持はまったくありません。もちろん、言葉の向けられ方を含めて、です。

 折しも、電通の若い女性社員が、月100時間を超える残業とパワハラで心身ともに疲れ果て、自ら命を絶ったことが労災と認定されたとの報道に、武蔵野大学の教授が「残業100時間程度で過労死とは情けない」と書き込み、炎上したとのニュースがありました。
 教授はたちまち書き込みを削除して「言葉の選び方が乱暴で済みませんでした」などと謝罪、また武蔵野大学のサイトでは学長名でお詫びの文書を掲載、「事実関係を調査の上で然るべき対応をとる」と、何らかの処分を科すことを示唆しました。

 この教授の書き込みは、遺族にとっては確かに心ない言葉だっただろうし、個人の意見といえど、公器といってよいネット上に無造作に晒すのは、大学教授という立場にいるものにしては、やはり事理を弁えない行為と非難されても仕方ないでしょう。
 しかし、教授と大学側の炎上後の一連の対応は、本当に正義の心が為したものかどうか。私は、申し訳ないけれど、実は「ネット炎上」という現象が圧力になったのではないか、と考えてしまいます。

 志布志市の動画も、これを見て本当に人権侵害に繋がる不快感を感じるかどうか、予備知識を与えないでアンケートを取ってみれば、果たしてどういう結果になるでしょうかねぇ。
 「弱者を守る」「正義を果たす」という大儀に託けて、大多数ではない勢力が、本当は許容される範囲の表現(広い意味での)を制限するようなことが、今、ここかしこでどんどん広がっているような気がします。
(2016.10.12)
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「傷痍軍人」のこと

 このことばも、もう死語に近いですかね。分かる人は50代以上? それとも60代?
 ことば通りの意味で言うなら、戦地に出て傷病を負った人のことを言いますが、私が書きたかったのは、その中のごく一部の方々のことです。

 まぁここで説明しようとしてもデリケートな問題があるので、ウィキペディアの該当ページ(https://ja.wikipedia.org/…/%E5%82%B7%E7%97%8D%E8%BB%8D%E4%B…)をご覧下さい。ページの中に「日本の傷痍軍人」という項目がありますが、その最後の4行が、私の言っている「傷痍軍人」のことです。

 まだ子どもだった当時、我が家の最寄り駅だった埼京線(当時は赤羽線)の板橋駅前に、その人たちはいました。
 白い戦闘服を着て、片足、もしくは両足が切断されていて、アコーディオンなどを弾いている。そのメロディがいかにも哀しげで、切なげで、今思うと申し訳ない限りですが、子ども心には異様な光景としか見えず、正直、「怖い」と思いながら、足早に前を通り過ぎたものでした。

 電車を利用しての帰り道だったので、小学生にはなっていたと思います。ただ、見かけるたびに、家に帰って親に報告していたから、やはり珍しい光景ではあったのでしょう。
 ウィキペディアによれば、彼らは、生活は国から保障されていて、小遣い稼ぎでそうしたことをしていたありますが、実は私が気になっているのは、この点なのです。

 親に「今日、またいたよ」という話をしてどういう返事が返ってきたのか、具体的には憶えていませんが、でも明らかに、“物乞い”的な捉え方をしていたと思います。
 といって、決して蔑んでいたわけではなくて、「戦争で傷を負ったかわいそうな人たち」という受け止め方ではありましたけど。
 ただ、だからといって、その人たちをみんなで守っていかなければならない、というようなニュアンスはなかったような…。

 今、板橋駅東口(=写真下)の向かって一番左側に、2階建ての交番がありますが、これがいつ頃建てられたものか。
 親から聞いたのか、どこかの大人が話していたのを聞いたのか、そこはまったく曖昧ですが、これは、傷痍軍人の人たちを排除するために建てられた、と聞いたことがあります。もしかしたら、大人たちが想像で言っていたのかもしれませんが。
 でも、そう聞いて、「もう怖い人たちを見なくて済む」と安心したことだけは、はっきりと憶えています。

 今は、社会的弱者に「やさしいまなざし」を向けていないと、その人が叩かれる時代です。だから、“フリ”だけでもそうしていなければならない。
 なんてことを言うと、「おまえの本性はそういうことだったのか」と言われるかもしれませんが、私の本性はともかく、本当に世の人々に「やさしいまなざし」が備わっているのなら、少なくとも殺伐とした事件が後を絶たない世の中にはならないでしょう。

 もし、今も傷痍軍人の人たちが街でアコーディオンを奏でていたら、人々はどういう反応をするでしょうかね。
 「戦争の犠牲になった人たちなのに、そういうことをしなければ生活できないなんて国の補償システムはどうなっているんだ」、などと政府を責めるのでしょうか。

 戦後71年。
 たとえ“フリ”だけでも、「弱者への『やさしいまなざし』を持つことが人間として大事」、ということだけは浸透している分、いい時代であるといえるのかもしれません。なんてね。

 ※写真=Google Mapのストリートビューより抽出
(2016.08.16)
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大切なことはみんなドラマが…

 「大切なことはみんな映画が教えてくれた」との名言は淀川長治が言ったものだと、ずっと思い込んでいたのですが、今、この記事を書くにあたってちょっと調べてみたら、彼は「映画が教えてくれた大切なこと」というタイトルの本を著しただけなんですね。
 で、「大切なことは×××が教えてくれた」という言い回しは、ずっと昔から使われていた表現なのだそうです。

 それはともかく、アラカンの私の世代だと、「大切なことはみんなドラマが教えてくれた」と言い切る人も、少なくないと思います。そんなドラマ好きなので、これまで見てきた数え切れないドラマに順位をつけるとすると、これはたいへん難しい作業になりますが、これからもきっと変わることのない「不動の1位」ならあります。

 それは、木下恵介の「3人家族(1968年)」。小学生ながら、毎週、心から楽しみにしていました。
 このドラマのオープニングだったと思いますが、矢島正明のナレーションの冒頭に、「ゆきずりの人であれ、ほほえむがいい」という一節があって、これがたぶん、ドラマから最初に学んだ「人生で大切なこと」じゃないかと思います。

 主演の竹脇無我と栗原小巻が、絵に描いたような美男美女だったけど、決して現実離れしているわけではなく、この二人でなければこのドラマは成り立たなかっただろうと思います。
 今思うと、それぞれの弟・妹役のあおい輝彦と沢田雅美が2枚目半くらいの設定だったので、バランスがとれていた(?)のかもしれません。

 「大切なこと」として心に残っている言葉をもう一つ挙げると、水谷豊主演の最初の「熱中時代(1978年)」から。
 船越英二演じる天城校長先生が、主演の北野広大が学校を離れるときに言ったと思うんだけど、「辛い悲しい別れがあるから、次の新しい出会いを大切にできる」というセリフ。
 今でも自分に言い聞かせているわけではないけど、憶えているということは、心に刻まれているひと言であるのは確かだと思います。
 もちろん、ドラマとしてもいい内容で、けっこう見ながら泣いていた記憶はあります。ただ、エピソードは、何一つ憶えていないんだけどね。

 言葉として今でもパッと記憶から取り出せるのはそれぐらいですが、でも「名言集」としてではなく、きっと、ドラマから学んだ人生の機微みたいなものが、今の自分を作っているのは間違いないと思います。

 さて、1位は不動としても、2位以下を明確に順位付けていくのは、まず不可能でしょうね。
 なにせ年齢的に記憶がかなり危うくなっているので、内容が思い出せるといったら、やはり比較的最近のものになってしまうからです。

 それを承知で「いいドラマだった」と記憶しているものを挙げると、まずは「白線流し(1996年)」かな。
 放送年をあらためて見ると、もう結婚して子どももいた時でした。それでも、この高校生仲間の世界に浸りきっていたなぁ。誰から言われたか憶えていないけど、けっこう熱くこのドラマを語ったら、「TV局に頼んで仲間に入れてもらえばいいっしょ」なんてからかわれたこともあります。

 それから「泣いてたまるか(1966~68年)」。連続ドラマではないので、他と並べられないかもしれませんが。
 基本的には、「貧乏だけど一生懸命生きていれば、最後は報われる」って、そんな話だったように思います。
 って書いたところで、念のため調べてみたら、けっこう長くやっていたんですね。渥美清に加え、途中から青島幸夫が交互主演していたのは憶えていたけど、終盤、中村賀津雄まで加わっていたのは記憶にありませんでした。
 全話、一話完結だったので(前・後編ぐらいはあったかも)、エピソードは何も憶えていませんが、渥美清主演の回で、佐藤オリエが見合い相手として登場し、子供心に「きれいな人だな」と思ったのは、なぜか今でも記憶に残っています。

 あと、前号でも触れた「空飛ぶ広報室(2013年)」と、NHKでやった「わたしをみつけて(2015年)」。どちらもごく最近のものなので印象深いのかもしれないけど、今の時点での2位と3位に付けられるかもしれません。
 まぁ何年も経って記憶が薄れると、変わるかもしれないけど。

 「わたしをみつけて」は、2ちゃんねるのドラマ板で、続編を勝手に書き始めたことがあります。尤も、何も構想しないで書き始めたので、すぐに息切れしちゃったけど。
 もし機会があれば、書き続けたいなとは思っているんですけどね~。
 ちなみに、既刊の小説などの設定を借りて続編を勝手に作ることは、異論もあれど、著作権侵害にはならないんだそうです。だからコミケの漫画が成り立っているんですね。
 なので、もしかしたら、私もここで続きを書き始めちゃうかもしれません。

 あと、心に残っているのは、「表参道高校合唱部!(2015年)」とか、「コウノドリ(2015年)」とか、やはり記憶に新しいところが多いかな。
 ただ、「表参道高校―」は、世間の評判でも、“神回”と言われたのは第1話、せいぜい第2話で、そこは私も同じ評価です。

 それから、いろんな意味で影響を受けたのは、夏木陽介主演の「青春とはなんだ(1965~66年)」に始まる、いわゆる学園青春ドラマ。たぶん、中村雅俊が主演した「われら青春!(1974年)」までが、そのシリーズだったのではないでしょうか。いや、もしかしたらそのあとにも続いたのかもしれませんが、私の中では、「われら青春!」が、シリーズの区切りとなっています。

 そういえば、小学校の時の卒業アルバムで、将来の夢に「高校の教師」と書いた子(女子)がいて、「この『高校の教師』という書き方は、絶対にこの一連のドラマに影響されているな」と思って聞いてみたら、果たしてその通りでした。その後、夢を果たしたのかどうか、聞いてみたいですね。

 まだまだ、いいドラマとして憶えているのはたくさんありますが、キリがないのでこの辺にしておきます。

 ※下の写真は、「三人家族」の主題歌のレコードジャケット写真。もちろん、自分でも買いましたが、探してみても見つかりませんでした。なので、ネットにあった画像をちょっと拝借しました。とても心に浸みるいい歌ですヨ。
 Youtubeで検索したら聞けるかもしれません。
(2016.08.19)
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夕景の茜色

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 この記事の写真は、我が家から見た夕景の写真です。
 自分のサイト(http://kmplan.net)にも、けっこう夕焼けや朝焼けの写真を挿入していて、それは、これからもたぶん続くと思います。
 何故かというと、単純に、好きだからです。

 携帯電話を取り替えるたびにカメラの性能も向上してくるので、もう今では、9割以上、携帯(スマホ)で写真を撮っていますが、一番多い被写体は、やはり夕景かな。
 本当は朝焼けも劣らず好きなのですが、なにせ朝焼けの時間は、だいたい夢の中…。必然的に、撮る写真のほとんどは夕景になってしまいます。

 いつだったか、友人と二人で呑みながら話していて、突然、「朝焼け(朝陽)と夕焼け(夕陽)の色って、似ているけど違うよな」と振ってきました。もちろん、私もずっと感じていたことなので、深く同意したけど。
 ただ、その時は、どう違うのかが、二人とも説明ができなかった。
 でも今は、こう思っています。「朝陽は生命力、夕陽は鎮魂」だと。

 朝陽の「生命力」は、説明の必要がないと思います。
 夕陽の「鎮魂」というのは、一日の中でいろんなことがあって、必ずしもいいことばかりではない日も多いけど、その一日の終わりに感じる猛った気持も、深く沈んだ気持も、全部、平らかにしてくれる、まぁそんな意味です。

 なので、朝陽、朝焼けは、力強い光だけど一本調子、夕陽は、同じ色でも見る人によってその色合いを変えてくるのではないでしょうか。

 でも、ごく稀に、全空を見事な茜色に染める朝焼けというのもあって、もしそんな写真を見せられたら、朝陽か夕陽か判断がつかないでしょうけどネ。
(2016.07.20)

「美しい」ということばの響き

 ここ何年か、雑誌やネットでよく見かけるのが、「美しすぎる××」という女性を飾ることば。
 曰く、「美しすぎる議員」とか、「美しすぎるアスリート」とか、まぁ確かに可愛い、綺麗だと評価される範疇には入るのだろうけど、「美し“すぎる”」というのは、まさにちょっと過ぎたる讃辞じゃないか――と思わせる例も少なくないよね、正直言って。

...

 一方で、某首相が官房長官時代、「美しい国」ということばを基本理念とする政権構想を表明したりして。
 尤も今はこのことばは引っ込めて、「新しい国」を標榜しているようですが。

 そんなことがあるせいかどうか、最近、「美しい」ということばそのものに、ある種の胡散臭さを感じてしまう。でも、そうは言いながらも、商売柄、「美しいことば」「美しい日本語」には、やはり敏感にならざるを得ません。

 実は先日、中学時代の同級生と会って、そのうちの一人は中学卒業以来の再会だったのですが、思い出話に花が咲く中で出てきたのが、社会の授業で憲法前文を憶えさせられたことでした。
 「共産党」というあだ名で呼ばれる社会の先生がいて(本当に共産党支持者かどうかは知りませんが、少なくとも組合活動には熱心でした)、中1の時、その先生が担当するクラスでは、全員、憲法前文を暗唱させられたのです。

 その集まったときも、4人中3人まで、一部というか、前半ぐらいまで憶えていて、一人が憶えているところまで朗々と(?)詠じたのですが、それを聞きながらふと思ったのは、「あ、けっこう美しい文章だな」ということでした。
 私も、前半ぐらいまでは辛うじて憶えていましたが、そうとう長い間、あらためて読んだこともないので、日本語として、文章としてどうなのか、ということは一度も考えたことがありませんでした。

 特に、文章としてきれいだと感じたのは、
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
 のくだり。

 まぁ、ここで問題にしているのは「文章としてどうか」ということなので、政治的な解釈や成立の背景などには、今は触れませんけど、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」に、格調の高さ、屹立とした精神性を感じます。

 ただ、実際には、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とはどんな理想か、ということは示されていないんだよね。
 でも私は、ここに、赴任当初は理想主義者だったとされるマッカーサーの、平和で心豊かな国を作りたいという願いが込められている気がします。

 9条の改正にイエスかノーかを答えてレッテルを貼られるのもイヤなので、それは置いておくけど、改憲と呼ぼうが加憲と呼ぼうが、いずれ改定されるのは必定だと思います。
 ただ、その時に、浅薄で底の浅い前文を冠するのではなく、日本語としても、そしてそこに込められている平和主義、人間主義という思想の上でも、後世に誇りと思ってもらえる「美しいことば」を紡いでほしいと、切に願います。
(2016.07.20)

ドラマに見る自衛隊への評価

 先日、東京に住む娘のところに行ったときに、Amazone Prime の会員になると、提供されている映画やTVドラマが見放題だよ、と教えてくれました。
 既に会員だったし、PCだけではなくスマートフォンでもOKと言うので、さっそく見てみると、そんなにタイトルは多くありませんが、見たかったもの、懐かしいものもけっこうあって、札幌に戻ってからも、夜、寝床に入ってから見る習慣がついてしまいました。

...

 そんな中で、つい、全編、割と一気に見てしまったのが、有川浩原作のTVドラマ、「空飛ぶ広報室」でした。
 内容は、詳しくは公式サイト(http://www.tbs.co.jp/soratobu-tbs/)を見ていただければと思いますが、TV局に入りながら、報道志望だったのに、ある失敗から意に反してバラエティ班のディレクターに追いやられた、新垣結衣演じるリカ、そして航空自衛隊ブルーインパルスのパイロットに選ばれながら、交通事故で操縦ができなくなり、失意のまま広報室の仕事をこなしている、綾野剛演じる空井。この二人の再生と恋の行方が、物語の主軸です。

 そして、もう一つの大事な軸が、リカの「自衛隊観」。
 世間で自衛隊を否定している人と同じようにリカも見ていたのですが、空井をはじめとする広報室のメンバーと関わる中で、自衛隊を理解していく――もしかしたら制作者側としては、こちらの方が主軸だったのかもしれません。

 このドラマに出てくる空幕広報室は、たぶん、現実離れしていると思います。チームは基本的に雰囲気がいいし、皆、仲が良い。野心を持つ人や腹黒い人は一人もいません。
 時々、ボタンの掛け違え程度の誤解なんかも生じますけど、その回の最後には大団円を迎えます。

 物語の中では、自衛隊の中の醜い部分にもまったく触れていないわけではありません。
 たとえば、防衛大を出て幹部として赴任した女性自衛官が、下の階級ながらベテランで実質的にチームをまとめている男の主導で、部隊からハブられるとか。
 今は広報室の一員であるその女性が、昔のそのことをトラウマにしているんだけど、ある任務を機に、その時の部下と和解し、トラウマを克服する、なんていうことも描かれています。
 でも、自衛隊の内部事情なんて何一つ知らないけど、一般社会のいろいろなことをふつうに経験している身としては、こんなきれい事があるんかいな、なんて思ったのは事実です。
 ただ、断っておくけど、このドラマそのものは私は大好きで、テレビっ子でドラマ好きの私の、これまで何10年と見てきたドラマのベスト5には入ると思うし、この自衛隊の描き方に、嫌悪感はありません。
 でも多くの視聴者がこのドラマの中の自衛隊の描き方を見てどう思うのか、それはたいへん気になるところでした。

 終盤で、広報室が作った空自のPR動画がネット上で大評判になったときに、ある評論家が、リカの局のある番組で、「ヤラセであり、そんなきれい事では済まない」と批判します。
 当然、空自は抗議しますが、局側は、「局としての意見ではない、出演者個人の意見であり、それを封じることこそ言論の統制になる」と、謝罪を拒否します。そしてそのことで、リカも立場が悪くなり、結局、自衛隊の担当から外されてしまいます。

 このあたりから、リカと空井二人の恋の行方も迷路に入り込むのですが、それをひっくり返したのが、東日本大震災でした。

 公式サイトを見ていただくとその辺の流れが分かるのでここでは触れません。
 でも、「我が国に軍隊を置いてはダメ」という、自衛隊を否定的に見る側の一般的な意見に対し、災害救助、人命救助に命を賭けている自衛隊の活躍を描くことでそれに対抗するのは、ちょっと違うのではないか――今回あらためてこのドラマを一気に見て、考えさせられたのはその一点でした。

 このドラマは、今、作っても良かったかもしれない。
 自衛隊は「災害救助隊」でよい、という考えも我が国で根強い中、そして昨年、いわゆる安保法制が成立して騒然としながら、もう「のど元過ぎれば…」になっている今、さらに言えば、憲法改正が次第に騒がれ始めている今だからこそ、このドラマの中に込められている、平和とか、軍備とか、そして自衛隊そのものを考える一つのきっかけにはなると思います。

 良くできたラブコメとして見て、「ああ面白かった」で済ませたら、ちょっと残念かもね。
(2016.07.20)

思い通りに生きるということ

 人間の生命には、思うように生きていくことができるパワーが秘められている、という思想がある。
 この思想を突き詰めていくと宗教とか哲学に繋がるんだけど、今回、書きたいのはそういう深遠な話ではなく、どうしたら包丁がよく切れるようになるか、ということなのです。

...

 たとえば長ネギを小口切りにするとき、切れない包丁だと、一番外側の皮がくっついたままになって、最後は手でバラバラにしなければならない、なんていう経験は誰にもあると思います。ちなみに我が家では、食事の支度は私の分担ですが、それはともかく。
 最近は簡易研ぎ機もいろんな種類のものが出ていて、割と手軽に研げるんだけど、やはり砥石で丁寧に研いだものには適わなくて、数日で元に戻ってしまう感じがする。
 といって、砥石で研ぐのって、石に水を充分吸わせるなどの準備が必要だし、心が安寧なときにやらないと結局きれいに仕上がらない、ということもあって、これまたけっこう面倒です。

 あとは切り方で、スパッ、スパッと切れるようにならないかと思うのですが、これが実は、あるんですよね、奥さん! いや、まぁ奥さんに限定しなくていいんだけど。

 結論から言うと、「これは切れる包丁である」と強く思い込むことなのです。
 そして切るときに、重い中華包丁などをイメージして、「材料の上に乗せるだけで、あとは包丁自身の重みで自然に刃が入っていく」様子を思い浮かべて下さい。
 そうして切っていくのだけど、実際には垂直に刃を降ろす「押し切り」はしないこと。刃渡りの前4分の1ぐらいのところに材料の向こう側を当て、刃がまな板に着くときに刃の手前が掛かるように、向こう側に滑らせながら切っていきます。
 すると、あら不思議、本当にスパッ、スパッと切れていくんだから。

 ここまでの過程で、一番大事なことは何か。
 ふつうなら、「刃を滑らしながら切っていくこと」と考えるでしょう。実際、それも大事な要素ではあります。
 でもそれ以上に大事なのは、「これは切れる包丁だ、当てるだけで、包丁の重みで自然に切れていく」と、強く思い込むことの方なのです。

 といっても、残念ながら、証明する術はないヨ。何回も試してみての、経験則だから。
 まぁ砥石で丁寧に研げば、そういうふうに心を定めなくても、よりスパッと切れるだろうし、刃のついていない単なる鉄の板だったら、さすがにいくら念じても切れないとは思うけどね。

 そういえば、中国の古い故事に、こんな話があるそうです。

 ある若い武将が家を留守にしているときに、最愛の母を虎に食われてしまった。彼は虎への復讐を誓い、戦に出るのをそっちのけにし、人食い虎を探し回った。そしてとうとうその虎を見付け、「母の敵(かたき)」と念じながら矢を射ると、矢は見事に虎を射貫いた。
 ところが、大喜びし、虎のもとに行ってみると、それは虎によく似た岩であったそうな。
 そして岩と分かってからは、そのあと何度矢を射ても、矢は岩に刺さることはなかったんだとさ。

 武将が主人公なので、戦いに臨むに際して一念を定めることがいかに大事か、を説いたものだと思います。でも我々平民(?)の日常生活には当てはめてみると、実は包丁でモノを切るときに何が大事かを教えている話なのでした。
 なんてね。
(2016.07.03)

そこに物語はあるか

 作家の吉行淳之介は、エッセイで「気に入ったことばが見つかれば、そこから一篇の物語を編むことができる」という趣旨のことを書いていたことがあります。そのためかどうかわかりませんが、吉行の小説のタイトルは、短い語が多いような気がします。
 「私も同感です」などと言って吉行と並ぶつもりはないけれど、でも、いわゆる「物語作家」にはそういう傾向が強いような気がする。...

 で、突然、話は変わるけど、以前、あるアイドル好きの友人と話していて、「われわれはなぜ美少女が好きなのか」というテーマで盛り上がったことがある。

 「アイドル好き」、「美少女好き」を自称すると、すぐに、良くて「オタク」、ヘタすると「危ないオヤジ」などというレッテルを貼られてしまうので、あまり明かしたくはないけれど、中高年の女性に「ジャニオタ」や「韓流オタ」が珍しくないのと一緒で、決してアブナイ人種などではないことは、この際、声を大にして訴えておきたい。
 それはともかく。

 議論百出して出した答は、「そこに物語を感じるから」というものでした。
 その「物語」とは、別名「妄想」と呼ばれるものも、もちろん含まれるけど、それだけに留まらず、幼き日のノスタルジアだったり、辿ってきた人生を振り返ってふと感じる“何か”だったりで、そのアイドルとどうにかなってしまうような妄想とは、ちょっと異質なものである。

 その考えを敷衍すると、アイドルといった“人”だけでなく、たとえば歌なんかでも、そこに物語、ドラマが膨らんでくるような歌が、実はけっこう好きだったりする。
 たとえば、森高千里の『渡良瀬橋』。じっと聞いていると、まさに一篇のドラマが紡ぎ出されてくる。歌詞をここに書くことはできないので、歌詞検索サイト等を参照して下さい。

 まぁ理屈立てて解説するのも野暮な話で、読む人聞く人の感性のままに受け止めればそれでいいのだけれど、やはり、なぜ「あなたがこの街で暮らせない」のか、そしてなぜ「私ここを離れて暮らすことできない」のか、そこにいろんな物語を感じてしまいます。
 ありきたりな想像だと、「私」は親と離れるわけにはいかない境遇、「あなた」は今の仕事が好きで東京を離れられない、なんていうところでしょうか。

 わりと最近知った曲に、辻香織の『ディセンバーワルツ』という歌があります。
 歌詞は見つけられなかったので、Youtubeで検索して実際に歌っているものを聞いて下さい(https://www.youtube.com/watch?v=yhGjRukdkDk)。とてもいい歌ですヨ。

 歌詞を表示できないから説明しづらいのだけど、気になるのは、「わたし」と「あなた」がどういう関係なのか、というところです。
 印象としては、二人は道ならぬ恋に落ちているんだけど、詞の中には、それを匂わす語、ワードは、一切ありません。
 しかも二人のそれぞれへの想いに温度差があって、彼女の方はまともな関係になって恋を成就させたいと想っているんだけども、彼の方はそうでもなくて、このままでもいいと想っている。
 歌の中に台詞があって、「犬があんなに急いでいる。おうちに帰るんでしょ?」と切なげにつぶやく。この「おうちに帰るんでしょ?」が、彼が家族の待つ家に帰っていくことの暗喩にしているとか、なかなか芸が細かいと思う。

 ちなみに辻香織は今現在36歳で、決して若くはないのだけど、声も容姿もとてもアラフォーには見えず、表現力もあって、この歌の完成は彼女に負っているところがかなり大きい。

 ひとつの「ことば」、一人の「美少女」、一遍の「歌詞」。
 何かに触れて、そこに秘められている「物語性」を自分で表現できる人は、作家になったりソングライターになったりするのだろう。そしてそれを自分でできない人たちは、発信された数多の作品に、自分の感じたものを重ね合わせ、同化させることで満足を得るのだと思う。

 一人の人間でも、感性は環境や年齢で変わってくるぐらいだから、いろいろな分野での「作品」が世の中で飽和状態になることはこれからもない、と信じたい。
(2016.07.03)

こんな思い遣りのなさが、今は通じるのか

 土曜日早朝のCX系のテレビ番組「テレビ寺子屋」をよく見ています。
 車で、週1回、新聞を配っているときなので、最初から通してじっくり見ているわけじゃないけど、まぁだいたいの話の流れは分かります。
 で、先週登場した、山崎洋実だとかいう人。何をやっている人か知らないけど、こんな話をしていました。

 御主人の実家がある広島まで、横浜から、家族みんなで遊びに行ったときのこと。...
 御主人は何か試験に向けた勉強があるとかで、ある日、山崎女史とその子ども、そして実家のお義母さんとで映画を見にいくことに。往きは御主人に送ってもらい、その時、「帰りも迎えに来るから」「わかった」と約束。
 映画が終わったあと、女史が御主人に電話をして迎えを頼もうと思ったら、お義母さんが「勉強の邪魔をしては悪いし、タクシー代は出すからタクシーで帰ろうよ」と提案、女史もそれに同調したそうです。
 で、タクシーに乗り込み、少し走って「夫に電話しなければ」と思ったその時に、御主人から「もう映画館の前まで来ているけど、どこにいるの?」との電話が。
 女史は「実はタクシーでもう家に向かっている」と返事をすると、御主人は「迎えに行くって約束したよね」と怒り出したそうな。
 でも女史も、「何時に来てね」とお願いしたわけではないし、どういう待ち合わせをするかはまったく打ち合わせなかった、と。
 結局、御主人はへそを曲げ、お義母さんは自分が提案したものだから、なんとなくいたたまれなくなり、険悪な空気の一日でした、という話でした(多少、脳内補完もあるけど)。

 で、この山崎女史、会場の観客に聞くのです。「誰が悪いと思いますか?」と。
 ところが、女史が自分で出した結論は、「誰も悪くないんです」と。「皆、よかれと思ってとった行動だが、その『よかれ』の基準は、一人ひとり違う。自分の基準がすべての人に当てはまるわけではないし、自分の物差しで人が動くと思ってはいけない」と、だいたい、そんな趣旨の話でした。

 でも、あの時会場にいた人、そしてテレビを見ていた人の多くは思ったはず。「山崎女史、アンタが一番悪い」と。
 物差しが違うなんて、そんなのまっとうな社会生活を送ってきた人なら、誰でも(無意識のうちに)分かっていること。だから、どう振る舞うことが、相手の心を傷付けないことになるか、みんな考えるんじゃないの?

 この場合で言ったら、お義母さんからタクシーで帰ろうと提案があったときに、その場でダンナに電話するのが、おそらく普通の人の取る振る舞いだと思う。「もしかしたら、もう家を出発しているかも」と、そこまで考えるでしょ、誰だって。
 そんなごく普通の思い遣りも持てない人間が、どういう資格で人の前に立って「講義」しているのか知らないけど、こういうものの考え方が世の中のスタンダードになっていくのなら、世の中はもっと悪くなっていくだろうと、ヒドく憤慨したひと時でした。
(2016.04.12)

今さらだけど、鷺沢萌の自殺の記事

 ネットサーフィンっていうことばも死語扱いだけど、他に適当な語がないから仕方がないよね。

 で、ネットサーフィンしていると、知っていたはずなのに初めて出会った情報のように思えることが、ときどきあります。
 さっき何かの拍子に見つけた、鷺沢萌の自殺の記事もそうでした。
 1冊だけ小説を買ったことがあって、「少年たちの終わらない夜」、1989年初版の本でした。...
 本のコシマキに載っている写真が印象的で、まぁそれに惹かれて買ったわけではないだろうけど、当時、まだ上智大学に在学中だったそうな。

 それ以来、文芸誌なんかで時々名前を見かけることがあったと思うけど、いつの間にか記憶の底に沈んでいました。

 なので、2004年、35歳の時に自宅で自殺したという記事は、一瞬、「えっ」と驚き、あぁ、そういえばそうだった、って、しばらくしてから思い出した次第です。
 いろいろ、関連サイトを見てみたけど、どれも自殺の原因には触れていないんだよね。それどころか、先々のさまざまな活動の予定があったそうで、うーん、なんか不思議な感じ。

 俳優の利重剛と結婚し、離婚したことも今回初めて知ったし、デビューの頃、盗作疑惑がかけられたことがあったのも、初耳でした。
 まぁ、書いているものを読めば、それは濡れ衣と分かるけど。

 韓国人とのクォーターであることも、自身、作家になってから知ったそうで、これは昔、何かで読んだものだけど、韓国人、ハーフ、鷺沢萌と3人並んだとき、「グラデーションですね」と言ったそうで、その感覚にめちゃくちゃ感心したことを思い出しました。

 その人生をもっと見ていたかった、そういう気持が募ってやまないけど、今さらながら、ご冥福をお祈りします。
(2015.12.18)

「わたしをみつけて」の背景にあるもの

 久々にいいドラマだった。NHKの「わたしをみつけて」。
 瀧本美織のファンというわけではないけど、なんとなく意識していた女優である。
 なので、見始めた。
 1話目から引き込まれた。
「居場所」「寄る辺」「拠り所」「帰る場所」…...
 そういうものを持つことができなかった、自身、寂しい人生と思っていた一人の女性が、実はいろんな人に眼差しを向けられていて、ちゃんと「居場所」があったことに気付いていく――そういう物語である。

 もう、どこに行っても、さまざまな人間関係にがんじがらめになっている今の時代。
 かといって、「本当に関わってくれる人」に中々出会えなくて、多くの人間の間を泳いでいきながら、孤独感や寂寥感に苛まれている人のなんと多い時代か。

 まぁ、世の中捨てたもんじゃないよ、なんていうことばで終わらせると、ちょっと違うんだけどね。
(2015.12.17)

とりあえず、始めます。

 “モノ書き”を仕事の主流にしようと準備を進めてきましたが、ネット展開が一番最後になってしまいました。
 今後、進めていく上で形が変わっていくと思いますが、まずは、ブログとFacebookで、さまざまな発信をし続けていこうと思います。

 このあと、Facebookで書いてきたことをこのブログに転載しますので、書き込みが続きますが、ご容赦下さい。

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