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2017年5月11日 (木)

TVも一般人の人生の“面白さ”に気付いてきた?

 TVではちょうど改変期を迎えたところで、連続ドラマなんかも、第1話が次々と放映されているところです。
 ドラマ好きの私にとって、この改変期は録画に注意を払わなければならない(?)時期で、気が抜けない日々を送っていますけど、もうここ何年も、初回を最後まで見る気にさせたドラマは、数える程度しかありません。

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 で、ドラマのことは置いといて、最近、気が付くと、一般人を登場させる番組がずいぶんと増えたように思います。
 今も放送中の番組で、一番古くから一般人、いわゆる“シロウト”を登場させている番組は、綿密に調べたわけではないけど、「鶴瓶の家族に乾杯」(NHK)ではないでしょうか。ゲスト(芸能人など)と一緒に田舎を訪れ(私が見た限りでは都市部はありませんでした)、その土地の人々と交流する、という内容です。

 その他、今、思い出せるだけ書いてみると、「ドキュメント72時間」(NHK)、「サラメシ」(NHK)、「チマタの噺」(テレビ東京)、「家、ついていってイイですか?」(テレビ東京)など、あと、ほとんど見たことがないけど、タイトルから、「サラメシ」に似た内容のものとか(局不明)、「夜の巷を徘徊する」(テレビ朝日)とか、まぁ、探せばまだあるのかもしれません。そうそう、「新婚さんいらっしゃい」(テレビ朝日)は、やはり外せませんね。
 「新婚さんいらっしゃい」はギネス級の歴史を持っていて、別格といってもいいでしょう。

 それはそれとして、「家族に乾杯」が割と古くから放送されているほかは、たぶん21世紀に入ってから作られたものだと思います。が、いわゆるバラエティ系の番組が次々と浮沈していく中で、今も続いていたりとか、深夜枠からゴールデンタイムに移ったりだとかを見ると、けっこう視聴率を稼いでいるのでしょうね。

 実際、見てみると、どれもそれなりに面白い。一般人との関わり方は番組によってそれぞれだし、登場のさせ方も、もちろん違うけど、共通しているのは、その人の辿ってきた人生、生き様を浮かび上がらせているところだと思います。
 でも考えてみると、それって元々芸能人の役割だったんだよね。役者でも、歌手でも、虚像の中でのみ活動しているように見せて、一方でマスコミなどにプライベートな部分を切り売りする。それを読んだり見たりする一般人は、「へぇー、あんな華やかで幸せそうに見える人が、母親との壮絶な確執を抱えていたんだね~」なんて、ドラマや映画、あるいは歌の世界とは違う、生身の生活や人生を垣間見て、言葉は悪いけど、覗き見的興味を満たしていたのでした。

 では何で芸能人の人生を見るだけでは収まらなくなったのでしょう。
 一つは、インターネットがこれだけ普及し、情報が人口に膾炙するスピードが圧倒的に速まったことが、大きな要因として挙げられるでしょう。
 そしてもう一つは、掲示板とかブログとか、ネットの普及とともに、さまざまな「自分のことを発信するツール」が登場してきたことがあると思います。
 「TVの中の世界」は、かつては手の届かない虚構の世界だったのに、インターネットとのメディアミックスで、誰もが触れたり入り込んだりできる世界へと変化し、誰でも「自分の山あり谷ありの人生」を発信できるようになりました。
 TVが、これに乗らないはずはありません。
 ネットという“箱”(それはパソコンだったりスマホだったりするわけですが)の中に無数に展開されている「一般人の人生」が、TVの中でも、十二分にコンテンツになり得ると思ったのでしょうね。

 私は、この先「一般人の人生」をコンテンツにしていく番組は、さらに増えていくと思います。何せ、制作費は安く上がるし、コンテンツは無限にあるとも言えるからです。
 まぁただ、放送できるだけの尺を確保するまでに、恐らくその何倍もの取材をしているとは思いますが。

 そして、そのうち、バラエティだけでなく、ドラマにも、一般人の人生が登場してくるのではないでしょうか。
 今はインタビューや取材という形で画面に映しているその人の人生を、ドキュメントではなく、ドラマ、エンターティメントとして「見せて」いく――。

 そう考えると、ジム・キャリー主演の映画、「トゥルーマンショー」はどれだけ先駆的な作品だったのでしょうかね。
(2016.10.12)

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