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2017年5月11日 (木)

パロディ民話

 中学や高校時代の友人とのメールはけっこう楽しい。
 ほんの1、2回の遣り取りで済む用件でも、そこに昔の思い出話を絡めると、延々と話が続いてしまうことがある。私など仕事柄、書くことが苦ではないので、つい長話ならぬ“長メール”になってしまって、よく「おまえのメールは読むのがメンドクサイ」と言われてしまう。

...

 なんて、本筋とは関係のない話をつい書くから長くなってしまうのだが、それは置いといて、少し前に高校時代の友人とメールをしたときに聞かれたのが、「昔、民話のパロディって流行ったよな。あれ、いつ頃だっけ?」というもの。
 二人ともすぐに思い出せなかったのだが、「おまえとはそういう話をしなかったよな」というのは共通の認識で、そこから、大学生の頃、と結論付けました。でも、なんかすっきりとしなかったなぁ。

 こういうのはすぐに調べないと気が済まないタチで、早速、ネットを見てみましたが、“パロディ 民話”や“パロディ 昔話”で検索しても、どうも望む情報に辿り着かない。そこで、話のオチとなっているフレーズで検索してみたら、ようやくその話に行き着ました。でも、なんかなぁ…自分で考えた話のように紹介しているところも多く、その出自は結局分かりませんでした。

 ちなみに、その民話とはこういう話です。いくつかご紹介。

・こぶとりじいさん
 昔々、あるところに、少し太ったおじいさんがいました。小太りじいさんと呼ばれていました、とさ。

・花咲じじい
 昔々、善良な老夫婦と強欲な老夫婦が、隣り合って暮らしていました。
 ある時、善良老夫婦が、野良犬を見付け、連れて帰って大事に育てました。すると犬は、庭の一カ所を指して、「ここを掘れ」とばかりにワンワンと吠え立てます。老夫婦は言われるままに庭を掘ると、そこから金銀財宝が出てくるではありませんか。
 それを見ていたとなりの強欲なじいさん、自分もあやかろうと隣から犬を借り、しばらく育てますが、碌なえさも与えず、時には叩いたりしながら、「早く宝の埋まっている場所を教えろ」と迫りました。
 すると犬は、ようやく庭の一カ所を指し、ワンワンと吠え立てます。強欲じいさんはそれとばかりに掘りましたが、出てくるのはガラクタやゴミばかり。腹を立てたじいさんは、犬を殺してしまおうと引き綱を引っ張って裏山に連れて行こうとしました。
 犬も必死で逃げようとしますが、じいさんはなかなかの力で、どうにも叶いません。
 ついに犬は叫びました。
 「これ、放さんか、じじい!」

・桃太郎
 昔々、桃から生まれた桃太郎は、鬼退治に行くことになりました。
 途中で雉に出会い、吉備団子をあげて、家来になって力を貸してくれるよう頼みました。次に猿と出会い、やはり吉備団子をあげて家来にしました。続いて今度は犬に出会い、またまた家来になってくれと頼みました。
 犬は了解してみんなと一緒に歩いて行きますが、雉と猿が吉備団子を食べているのが気になって仕方ありません。そこで桃太郎に聞きました。
 「ねぇ、桃太郎様、ぼくには吉備団子はくれないのですか?」
 「え? もう、もろたろ?」

 等々…。まぁどれも一度は耳にしたことがあると思います。
 三番目のはけっこう話術の妙が必要で、「もう、もろたろ(もらったろう)」を、いかに「ももたろう」に聞こえるように話すか、そこをみんな、競っていましたね。

 メールを遣り取りした友人からは、「大学生にもなってそんな話で盛り上がるかなぁ」という疑問も呈されたのですが、でもこれって、けっこう高度な表現技法(笑)に属すると思うんだよね。
 解説を加えるのも野暮なんですが、一つは、オチが言葉遊びになっていること。もう一つは、オリジナルの物語の世界をいかに損なわせないか、ということ。流行っていた頃、いろんな話が出回ったけど、この二点は、無意識にせよ、踏まえていたような気がします。

 そして、この“パロディ民話”の発生は、今思うと、ラジオの深夜放送ではなかったかな、と。インターネットも無いし、どう考えても他のメディアが思い浮かびません。
 実際に作った者は中高生も多いのだろうけど、先ほどの二つの“要件”を、なんとなくでも“分かる”には、一定の能力的水準が必要だったと思います。そういう意味では、最初に考えた人、またその“要件”を受け継ぎながらあとに続いた人たちは、それなりの才能の持ち主と言えるのではないでしょうか。

 我が国のパロディの歴史を調べてみると、多くは、短歌の本歌取りにその淵源を求めているようです。但し、本歌取りは、オリジナル作品に対するオマージュやリスペクトが込められていなければならない、なんていう規定(?)があるそうで、まぁそういうメンドクサイことを言うから、広く庶民の間に広まらなかったのでしょうね。

 そういえば、昔から連綿と続くパロディの中に、故事や慣用句を元にしたものもありますよね。今、パッといくつも思い浮かばないけど、「柚子よりスダチ」とか、「仏の顔も三度笠」とか、「雀百までわしゃ九十九まで」とか…。
 ちゃんと意味が込められているもの、単なる語呂合わせのものなど様々ですが、“オヤジギャグ”レベルのものなら、自分でもたまに口をついて出てくることがあります。

 一つ言えるのは、楽しくなければパロディではない。
 パロディは、オリジナルに付随して成り立つ、一段ランクの低い表現方法なんかではなく、もっと広まってほしい表現手段だと思っています。
(2017.03.30)

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