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2017年5月20日 (土)

時代の変遷、というだけでは…

 事務所の公式サイトを作っていた中で、高校生の時に吉行淳之介に傾倒した話を書いたのだが、それがきっかけとなったのか、ここ何日か、これまで読んだ膨大な作品の中の片言隻句が、浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
 2、3日前に思い出しのが、吉行がある新聞社の社会部長と話しているときのものだったと思うが(何せ数十年前に読んだものなので、その場面や正確な文章は思い出せません)、社会部長が、こういう趣旨のことを言うのである。

 「何か事件や事故が起きて、人が10人くらい死んだ、なんていうときに、万歳三唱をして記者を送り出すぐらいでないと、社会部長は務まらない」と。

 そのことばを、吉行は肯定的に紹介していて、もちろん私もそれには違和感を感じなかったし、恐らく読者の多くは同じ感覚で受け止めるであろうことを見越して吉行も書いたのだと思う。
 ただ、今の時代だったら、読者というか、人々の受け止め方は、当時とちょっと違うんじゃないか、という気がする。

 当時、といっても40~50年前だと思うけど、社会部長の言葉が、公式に世の中に向けて発言されたのであれば、これは非難を受けるのは、今と変わらないだろう。
 ただ、非難と言っても、「気持は分かるけど、そんな公然と言わなくてもねぇ」という言外の言を込めてのものだと思う。
 人の生命がどれだけ尊厳なものか、という世間一般の認識、受け止めは、今も当時も、おそらくそう懸け離れたものではないはず。その上で、新聞社の社会部長ともなれば、部数の伸びも考えなければならず、まぁたいへんといえばたいへんな立場だよな、という“忖度”が働くのではないか。

 でも今なら、徹底的に指弾されるんじゃないですかね。ネットで煽って尻馬に乗る人を増やしながら、辞任するか解任されるまで攻撃の手を弛めない、なんていう画を容易に想像することができます。

 まぁそれだけ、世の中が、大切なものを本当に大切にするようになってきたから――なわけないよね。

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