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2017年5月11日 (木)

「美しい」ということばの響き

 ここ何年か、雑誌やネットでよく見かけるのが、「美しすぎる××」という女性を飾ることば。
 曰く、「美しすぎる議員」とか、「美しすぎるアスリート」とか、まぁ確かに可愛い、綺麗だと評価される範疇には入るのだろうけど、「美し“すぎる”」というのは、まさにちょっと過ぎたる讃辞じゃないか――と思わせる例も少なくないよね、正直言って。

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 一方で、某首相が官房長官時代、「美しい国」ということばを基本理念とする政権構想を表明したりして。
 尤も今はこのことばは引っ込めて、「新しい国」を標榜しているようですが。

 そんなことがあるせいかどうか、最近、「美しい」ということばそのものに、ある種の胡散臭さを感じてしまう。でも、そうは言いながらも、商売柄、「美しいことば」「美しい日本語」には、やはり敏感にならざるを得ません。

 実は先日、中学時代の同級生と会って、そのうちの一人は中学卒業以来の再会だったのですが、思い出話に花が咲く中で出てきたのが、社会の授業で憲法前文を憶えさせられたことでした。
 「共産党」というあだ名で呼ばれる社会の先生がいて(本当に共産党支持者かどうかは知りませんが、少なくとも組合活動には熱心でした)、中1の時、その先生が担当するクラスでは、全員、憲法前文を暗唱させられたのです。

 その集まったときも、4人中3人まで、一部というか、前半ぐらいまで憶えていて、一人が憶えているところまで朗々と(?)詠じたのですが、それを聞きながらふと思ったのは、「あ、けっこう美しい文章だな」ということでした。
 私も、前半ぐらいまでは辛うじて憶えていましたが、そうとう長い間、あらためて読んだこともないので、日本語として、文章としてどうなのか、ということは一度も考えたことがありませんでした。

 特に、文章としてきれいだと感じたのは、
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
 のくだり。

 まぁ、ここで問題にしているのは「文章としてどうか」ということなので、政治的な解釈や成立の背景などには、今は触れませんけど、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」に、格調の高さ、屹立とした精神性を感じます。

 ただ、実際には、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とはどんな理想か、ということは示されていないんだよね。
 でも私は、ここに、赴任当初は理想主義者だったとされるマッカーサーの、平和で心豊かな国を作りたいという願いが込められている気がします。

 9条の改正にイエスかノーかを答えてレッテルを貼られるのもイヤなので、それは置いておくけど、改憲と呼ぼうが加憲と呼ぼうが、いずれ改定されるのは必定だと思います。
 ただ、その時に、浅薄で底の浅い前文を冠するのではなく、日本語としても、そしてそこに込められている平和主義、人間主義という思想の上でも、後世に誇りと思ってもらえる「美しいことば」を紡いでほしいと、切に願います。
(2016.07.20)

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