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2017年5月11日 (木)

「傷痍軍人」のこと

 このことばも、もう死語に近いですかね。分かる人は50代以上? それとも60代?
 ことば通りの意味で言うなら、戦地に出て傷病を負った人のことを言いますが、私が書きたかったのは、その中のごく一部の方々のことです。

 まぁここで説明しようとしてもデリケートな問題があるので、ウィキペディアの該当ページ(https://ja.wikipedia.org/…/%E5%82%B7%E7%97%8D%E8%BB%8D%E4%B…)をご覧下さい。ページの中に「日本の傷痍軍人」という項目がありますが、その最後の4行が、私の言っている「傷痍軍人」のことです。

 まだ子どもだった当時、我が家の最寄り駅だった埼京線(当時は赤羽線)の板橋駅前に、その人たちはいました。
 白い戦闘服を着て、片足、もしくは両足が切断されていて、アコーディオンなどを弾いている。そのメロディがいかにも哀しげで、切なげで、今思うと申し訳ない限りですが、子ども心には異様な光景としか見えず、正直、「怖い」と思いながら、足早に前を通り過ぎたものでした。

 電車を利用しての帰り道だったので、小学生にはなっていたと思います。ただ、見かけるたびに、家に帰って親に報告していたから、やはり珍しい光景ではあったのでしょう。
 ウィキペディアによれば、彼らは、生活は国から保障されていて、小遣い稼ぎでそうしたことをしていたありますが、実は私が気になっているのは、この点なのです。

 親に「今日、またいたよ」という話をしてどういう返事が返ってきたのか、具体的には憶えていませんが、でも明らかに、“物乞い”的な捉え方をしていたと思います。
 といって、決して蔑んでいたわけではなくて、「戦争で傷を負ったかわいそうな人たち」という受け止め方ではありましたけど。
 ただ、だからといって、その人たちをみんなで守っていかなければならない、というようなニュアンスはなかったような…。

 今、板橋駅東口(=写真下)の向かって一番左側に、2階建ての交番がありますが、これがいつ頃建てられたものか。
 親から聞いたのか、どこかの大人が話していたのを聞いたのか、そこはまったく曖昧ですが、これは、傷痍軍人の人たちを排除するために建てられた、と聞いたことがあります。もしかしたら、大人たちが想像で言っていたのかもしれませんが。
 でも、そう聞いて、「もう怖い人たちを見なくて済む」と安心したことだけは、はっきりと憶えています。

 今は、社会的弱者に「やさしいまなざし」を向けていないと、その人が叩かれる時代です。だから、“フリ”だけでもそうしていなければならない。
 なんてことを言うと、「おまえの本性はそういうことだったのか」と言われるかもしれませんが、私の本性はともかく、本当に世の人々に「やさしいまなざし」が備わっているのなら、少なくとも殺伐とした事件が後を絶たない世の中にはならないでしょう。

 もし、今も傷痍軍人の人たちが街でアコーディオンを奏でていたら、人々はどういう反応をするでしょうかね。
 「戦争の犠牲になった人たちなのに、そういうことをしなければ生活できないなんて国の補償システムはどうなっているんだ」、などと政府を責めるのでしょうか。

 戦後71年。
 たとえ“フリ”だけでも、「弱者への『やさしいまなざし』を持つことが人間として大事」、ということだけは浸透している分、いい時代であるといえるのかもしれません。なんてね。

 ※写真=Google Mapのストリートビューより抽出
(2016.08.16)
0321d

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