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2017年6月10日 (土)

「わたしをみつけて」それから…(5)

 次の日。
 五十嵐は、朝のミーティングで、さっそく神田のことに触れた。
 夜勤と日勤が交代する、最もナースが集中する時である。但し神田本人は、準夜勤のため来ていない。
 引き継ぎにも時間がかかり、すぐに患者の世話や手術の準備などに追われることになる。しかも、患者はナース室の前を頻繁に往来しているので、窓を閉めていても、聞かれる恐れもある。
 神田の件は、要領よく、一瞬で終わらせなければならない。五十嵐は、朝、起きてから、何度も喋ることを心の中で繰り返していた。

 さまざまな伝達のあと、神田はひと呼吸おき、弥生と目を交わしてから話を続けた。
「それと、神田さんのことだけど…」
 もうみんな、業務に取りかかろうとしていたり、退勤の準備をし始めていたりしていたが、人混みで急に動きを止めるフラッシュモブのように手を止め、顔を五十嵐の方に向けた。
「プライベートなことなので、第一ナース室以外には絶対に言わないで欲しいんだけど、小四の息子さんが、一昨年のことでフラッシュバックを起こして、今、心療内科に通っています。
 もう治療方針とかははっきりしているんだけど、いつよくなるかとかは、治療を進めてみないと何とも言えません。
 神田さんの勤務シフトこれまでと変わりませんが、もしかしたら、皆さんに迷惑をかけることもあるかもしれません。でも親子で一生懸命、病気と闘いはじめたところなので、私たちも出来る範囲で応援していきたいと思います。
 以上です。デリケートなことなので、神田さんに直接あれこれ聞かないように。いいですか?」
 最後のひと言は、関美千代の顔を見ながら言った。一番、そういうことをしそうに見えたのかもしれない。

 ミーティングが終わったあと、五十嵐の姿が消えたのを確認してから、関美千代と飯野七海がさっそく弥生のところに寄ってきた。
「ねぇ山本さんも、詳しく知っているんでしょ?」
 美千代が興味津々という顔で聞いてくる。
「詳しく、って言っても、主任が話した通りですよ」
 弥生の方が齢上だが、正看の美千代にはずっと敬語を使ってきた。

「勇太君、どうなんですか?」
 と、これは七海。
 一昨年のDV事件の折、ナース室に退避してきたこともあるので、一番若い七海は、仕事の合間合間に、勇太のことをけっこう構ったりしていた。
 なので、五十嵐の話を聞いてまず勇太のことを案じたのだろう。具合を聞く七海の声は真剣だった。
 これには弥生も答えざるをえない。
「フラッシュバックって、あるでしょ? それが症状のメインみたいなのね。睡眠障害も時々あるみたいで。とにかく神田さんと離れていると、不安になるらしいの」
 さすがにそういう話になると、美千代も真剣な顔になった。
「でも早い段階で専門医の先生に見せたって言うから、時間はかかるかもしれないけど、いい方向にはいくと思うんですよね」
「そっかー。と言って神田さんだってそうそう休んでもいられないものねぇ。ほかに身寄りがいないから、助けてくれる人もいないし」と美千代。
 弥生は佐久間の顔が浮かんだが、もちろん言うわけにはいかない。

 七海は思い詰めたように「ねぇ、いざとなればまた勇太君にここに来てもらおうよ」と美千代に向かって投げ掛ける。
 が、美千代は「それは難しいと思うよ。あの時は緊急避難的に院長や事務長が認めてくれただけだから。
 今回は長期戦になるって予想がついているしねぇ。あまり仕事に支障が出るようだったら、事務長だって考えるんじゃないかしら」
 美千代は決してドライなわけではない。しかし、ギリギリの人員で病院の建て直しに奔走している今、神田をただ無条件に守るわけにはいかないだろう。
 何より神田自身が、迷惑をかけるのが常態化すれば、潔く決断するのは目に見えている。若いとはいっても美千代はそれくらいの判断力はあるし、それは弥生も同じ考えだった。佐久間という要素を除けば、であるが…。

 五十嵐菜奈は、その日、何とか佐久間と話をしたいと思っていた。
 しかし日中の外科病棟は、まず業務以外の時間を作るのは難しい。
 その日は、神田は準夜勤で、出勤は午後3時からである。できれば神田が出てくる前に佐久間の胸の内を聞きたかった。
 しかし五十嵐の気持ちが通じたのか、階段を一人で降りようとする佐久間を見かけ、五十嵐はチャンスとばかりに追いかけた。
「佐久間先生っ」
 追いついたのは、ちょうど踊り場である。
 患者はもちろん、スタッフもほとんどはエレベーターを使うから、階段の踊り場は、密室とまではいかないが、意外と秘密が保たれる場所だった。

「ああ、五十嵐主任。どうしたの?」
 あまり看護師と交流しない佐久間だが、五十嵐とは、立場上、接することは多い。いつもの業務的なことかと思い、特に不審がることもなく足を止めた。
「先生、昼休みはどうされるんですか?」
「えっ、何、突然。何かあった?」
 いきなり昼の予定を聞かれ、さすがに面食らったようである。
「実は神田さんのことなんですけど。
 最近様子がおかしいので、昨日、話を聞きました。全部話してくれました。勇太君のこと、それから佐久間先生のことも…」
 人の通りが少ないと言っても、誰に聞かれるか分からない。ここでは用件だけ手短に話すしかない。

 佐久間は一瞬、言葉を飲み込んだが、それほど動揺している感じではなかった。
「そうか、恵美子さん、話したんだ…。いや、いいんだけど。
 ぼくもそろそろ――別に病院中に公表しなくてもいいんだけど――そろそろ隠しておけないかなって思っていたから」
 相手が五十嵐だからか、佐久間はあっさりと認めた。
「それで、勇太君のことでかなり参っているみたいだし、もちろん、勇太君のことを第一に考えなければならないんだけど。
 でもこのままだったら神田さん、病院に迷惑をかけるからって、辞めてしまうんじゃないかって思うんですよね」
 その通りだ、と頷きながら、佐久間は聞いている。
「でも私としては、それだけはさせたくないんです。なので、ちょっと相談させて欲しいんです。先生、昼休みに少しお時間いただけませんか?」
「わかったよ。ぼくも主任がそういう気持ちでいるなら、むしろありがたいぐらいだ。
 お昼はいつも通り、売店の弁当を買って食べるつもりだったから、そうだな、屋上ででも話そうか」
 屋上は、事故防止のため、ふだんは鍵が掛かっていて、特に患者は出ることが出来ない。
 鍵は事務局にあるので、五十嵐の立場だったら、だれにも咎められず借りることができる。
「わかりました。では屋上で」
 五十嵐はさっと踵を返して、また階段を駆け上がっていった。

 五十嵐は、弥生には、昼休みに佐久間と会うことを伝えた。
「そうですか、すぐに応じてくれたんですね。それは良かったです。それにしても、主任、やることが早いですね」
 安心したのもあって、弥生が笑みを見せる。
「勇太君のことは長期戦になるかもしれないけど、神田さんのことがねぇ。
 早くみんなで、“大丈夫、病院をあげて守る態勢ができてるからね”っていうふうにしないと、“迷惑をかけるから”なんて言って辞めてしまいそうな気がして…。できれば、院長とか事務長も巻き込んで、本当に“病院を挙げて”という形にしたいのよねぇ」
「ホントに。それができれば神田さんも安心して仕事が続けられますよね」
 弥生は今朝の美千代の話を思い出した。

 ナース同士、互いの性格もある程度は分かるから、美千代のように心配する者は多いに違いない。でも、心配するだけでは、神田をつなぎ止めることはできないだろうと弥生は思っている。
 それには、五十嵐のように、気持を実際に形に表さなければならない。
 弥生はあらためて、五十嵐の手の打ち方が早いのに舌を巻いた。
「なーに、山本さん、そんなニヤニヤして」
「いゃあ、なんか、主任ってすごいな、って…」
「やめてよねぇ、あなたまでそんな、関みたいに人をからかうの…」
「からかうだなんて。ホントに感心しているんです」
「ま、いいわ。佐久間先生から院長にアプローチしてもらうことにして、山本さん、事務長の方は、いずれあなたに頼むことになると思うけど」
「私がですか?」
 そんな大役は無理、という顔をしてみせる。
「そうよ。事務長は誰よりもあなたのことを信頼しているんだから。まぁ信頼だけじゃないと思うけど」
 と今度は五十嵐がニヤニヤする。
「やめて下さい。私は全然、そんなこと思っていませんから。私は今の外科のそれぞれの距離感というか、空気感が、このままずっと続けばいいなと思っているんですから」
 ちょっと怒ったふりをして、弥生は業務に戻っていった。

 五十嵐はちょっとだけ、事務長の雅之のことが可哀想になった。
 次期理事長が決まっている副理事長として、縁談もひっきりなしに届いているという話は聞いている。でも雅之は、すべてを話の段階で断っているという。
 その理由が弥生であることは、少なくともナースは皆、分かっていた。
 しかし雅之も、根が真面目なのか、純情なのか、弥生にあからさまにモーションをかけることはない。

 弥生は雅之の気持ちに気付いていないのか、気付いていないふりをしているのか、親しそうに話しかけることはあっても、ある一線からは越えない、という態度を取っている。
 今は正看護師を目指して学校に通っている身だから、自分を律している、というのもあるのかもしれない。
 もし理由がそれだけなら、晴れて正看になったときに、雅之もさすがにはっきりと行動を起こすだろうし、弥生も受け入れるに違いない。
 でも五十嵐は、なんとなく、それだけではないように感じていた。
 それが弥生の生い立ちによるものかどうか、そこまでは分からなかったが…。

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