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2017年6月 8日 (木)

「わたしをみつけて」それから…(3)

 ベンチもない児童公園である。
 三人はブランコに並んで腰を降ろした。さすがに、子どもたちが遊びに来ることはない時間である。アパートの人に聞かれない程度に、神田は声を落として話し出した。

「本当は主任や山本さんには、早く話さなければと思っていたんだけど…。私、実は、3カ月ほど前、佐久間先生に交際を申し込まれたんです」
 弥生は吃驚して、思わず「え?」と聞き返したが、五十嵐がそれ以上に素っ頓狂な声で驚いて見せた。
「うっそー! だって病院では全然そんなそぶり見せなかったでしょう」

 時々、五十嵐に突っ込まれながら、神田が話した佐久間との交際、そして勇太のPTSD発症は、だいたいこんな話だった。

 昨年の暮れ、神田は、突然、佐久間から声を掛けられたのである。勤務が終わったら話がある、と。
 それまで、神田は、佐久間とプライベートな話をしたことはほとんどなかった。神田も佐久間も、病院ではあまり目立つ方ではなかったからかもしれない。
 神田が変わったのは、DVを振るっていた男と別れてからである。ただ、勇太のために別れる決心をしたとはいえ、一筋縄ではいかなかった。
 暴力もストーカー行為も日に増してひどくなり、ついにはナース室まで乗り込んで、居合わせた看護師たちを威嚇することもあった。
 そんな事態に手を差し延べてくれたのが、まだ院長だった後藤啓一郎と、そして、弥生が変わるきっかけを作ってくれた、菊地だったのだ。
 たまたま男がナース室で騒いでいるところを啓一郎が目撃し、神田から直に事情を聞くと、病院で顧問契約をしている弁護士を付けてくれたのである。
 一方で弥生も、自分が関わったことがこういう事態を招いたことに責任を感じ、個人的に菊地に相談していた。
 ボランティアで地域の防犯活動をしていた菊地は、警察署の生活安全課とのつながりもあり、さっそく警察に相談してくれた。菊地が信頼されていたためか警察もすぐに動いてくれ、男の会社にまで知られることになって、男は会社から、退職か遠い支店への転勤か、二者択一を迫られた。
 結局、こういうご時世、職を失うことに強い不安を感じたのだろう、男は転勤を選ぶしかなかった。そして転勤の際に、弁護士は、今後一度でも姿を見せたら高額の慰謝料を支払う念書を作成し、男に署名を迫った。
 警察の睨みも効いていたので、男は署名をすると、逃げるように神田のもとを去っていった。神田は完全に自由になったのである。

 そのことが、神田の心も変えたのだろう。誰に対しても小さくなっていた神田は、明るく、そして患者とより深く関わる看護師になっていった。
 もともときれいな顔立ちでもある。バツイチ子持ち、ということも知れ渡っていて、「苦労を背負いながらも、明るく、親切な看護師さん」という評判が立つまで、時間はかからなかった。

 そして佐久間――。
 中堅医師として、啓一郎がいるときから、執刀医を務めたりしていたが、やはり啓一郎の陰に隠れ、目立ってはいなかった。手術も、患者が啓一郎の執刀を言外に望むこともあって、助手を務める方が多かった。
 そんな佐久間が変わったのは、啓一郎が院長を降り、新たに招いた浜田惣太郎が就いてからである。

 浜田は雇われ院長で、経営の深いところは関わらなくても良かったので、自身の役割としては、適材適所、人を活かすことに力を注いだ。そうした中で、佐久間を、次の世代の中心的存在に育てようと、責任の分担も増やしていったのである。
 期待されていることを感じたのか、佐久間も、スタッフ同士のコミュニケーションに気を配ったり、何より、腕を磨き、研究にもさらに熱心に取り組むようになった。
 看護師たちには、軽口を叩いたりすることはあまりなかったが、何かと声を掛けたり意見を聞くよう努めていたので、だんだん信頼されるようになっていった。

 実際、神田も、佐久間を「変わったなぁ」と思いながら眺めていた。後藤院長の頃は、院長一人がこの星見ヶ丘病院の象徴と言ってもよかったが、今は浜田院長や佐久間をはじめ、それぞれの医師に“ファン”が付いている。
 と言って、派閥争いをするわけではもちろんなく、医師それぞれが「頼られている存在」として、患者の中に溶け込んでいる気がする。
 ただ、佐久間を男性として見たことは、一度もなかった。
 実際、シングルマザーとして小学生の男の子を育てるのはけっこうたいへんだったし、バツイチで、しかも詰まらない男につきまとわれ、病院にも迷惑をかけたことから、当分、恋愛には近付かなくていいと思っていたのである。

 ところが、佐久間は佐久間で、神田のことがなんとなく気になる存在になっていた。
 ドクターの中には、暇なときにナース室に油を売りに行く者も何人かいたが、佐久間は元々、そういう“タイプ”ではなかった。
 後藤院長時代は、仕事に消極的だったわけではないが、院長の存在が大きすぎて、ドクター陣もピラミッド型のヒエラルキーではなく、逆“T”の字型を形作っており、院長一人が突出した存在だった。
 しかし浜田院長になってから、そういう“重し”が取れたのか、医師たちもまた、今まで以上に個性を際立たせるようになり、存在感を増していったのだ。

 そうした中で、佐久間は院内にも目配せするようになったのだが、初めは、神田個人に惹かれたというよりも、「患者たちの間で評判が高まっていく看護師」として、神田に目がいくようになったのである。
 しかし、その“単なる関心”が好意にかわっていくのに、こちらもそんなに時間がかからなかった。
 以前、よくない男につきまとわれていたのはもちろん聞いている。しかし、後藤院長がその解決を後押ししてくれたらしいから、神田の側に責めを負うような理由があったのではないだろう。
 見ていると、その後、とくに浮いた噂も聞いたことはない。同僚看護師やドクター連中からも、小学生の子どもを育てながら、一生懸命に頑張っているという話ばかり聞こえてくる。
 いつしか、自分が、そんな神田を支えてあげる関係になれたら――気が付いたときにはそんな気持ちが募っていた。
 よしっ、思い切って声を掛けてみよう――そう自分の気持ちに決着を付けたのが、昨年も暮れにさしかかっていた頃のこと。これは神田があとから佐久間に打ち明けられたのだが、そんな経緯だった。

 佐久間から想いを告げられた神田は、もちろん初めは、只々、驚くばかりだった。
 新たな恋など考えていなかったし、佐久間をそういう目で見たこともなかったから。しかし、佐久間から打ち明けられたとき、自分の中に、勇太を一緒に育ててくれるパートナーがいたら――そんな気持ちがどこかに眠っていたことに、初めて気付いた。
 しばらく悩んだが、佐久間に悪い印象は特にない。むしろ、いろんな面で信頼できるドクターの一人だと思っている。そして、神田の心の中に、勇太を真ん中に三人で手を繋いで歩いている姿が自然に浮かんだとき、佐久間の申し出を受けたのである。

 ただ、あくまでも勇太の気持ちを第一に考えたい、という神田の申し出を、佐久間は当然のごとく受け止めた。
 いきなり、父親候補として会わせるのではなく、お母さんが病院で仲良くしてもらっている同僚の一人として、できるだけ自然に、勇太に引き合わせる努力をした。勇太は、多少、戸惑いを見せたものの、ごく自然に、佐久間の存在を受け入れていった、ように見えた――。

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