日記・コラム・つぶやき

2017年6月21日 (水)

我が実家よさようなら…

 先週ほぼ一週間、実家の引っ越しで東京に行ってきた。
 そこで生まれ育ち、60年間、いつでも“在った”実家だったが、老朽化には勝てなかった。一人で住んでいた姉の身では維持・管理もたいへんで、分相応な小さいマンションに引っ越したのだ。

 さすがに何か感慨が湧くかと思ったが、人生の3分の2はこちら、札幌で過ごしているので、感傷的になることがなかったのは、我ながら意外だった。尤も、引っ越しと不要品の整理・処分で、体はくたくた、感慨が湧くヒマがなかったというのが正直なところかも。

 実家の一階は、工場や事務所として貸していたのだが、もう10年以上、借り手が付かず、父や母が亡くなった際には、遺品の「とりあえずの保管場所」にしていたので、まぁ荷物の多かったこと。一人で黙々と片付けていた姉には、外野から「断捨離だよ、断捨離」と呼びかけていたものの、家を移るさまざまなやっかいごとも、ほぼ一人でこなしていたので、整理はそれほど進まなかったようだ。
 この4月以降、下の姉や私が行っては手伝ったりしていたが、膨大な荷物を前に、どう片付けていいか、姉弟して途方に暮れていましたね。でも今回はさすがに、引っ越し本番と、その翌日に不要品を業者に引き取ってもらうのが続くため、待ったなしでした。

 たいへんだったのは、引っ越しそのものよりも、むしろ不要品のゴミ出しの方だった。
 最後の最後まで、捨てていいものか、やはり取っておくか、判断がつかないものもあり、家を引き渡す直前に、もう一度引き取り業者に依頼する、と、姉も決断せざるを得なかった。実際、今回も、見積もりに来てもらった時より格段に捨てるものが増え、業者からは数万円の上乗せを要求されました。まぁそれは姉も納得ずくでしたけどね。

 引き渡しが済み、取り壊されて更地になったら、そのときはぜひ一度来てみようと思う。見慣れた「そこにあったもの」が無いというのは、どんな感じになるんだか。
 親が亡くなったときも、しばらく経って、「あ、そうか、もういないんだっけ」という気持が、何かの折にふいに湧いてきて、はじめて親の死に感傷的になったしね。まぁ、家と親の存在とは比較にならないかもしれないけど。

 齢とともに、この北海道の冬の寒さがからだに堪えて、いよいよ我慢できなくなったら本州に引っ越そうか、なんてカミさんとどこまで本気か分からない話をしているけど、今回のことで、ちょっと考えが変わったように思う。
 もし本当に引っ越すにしても、引っ越し先で、家具から什器、衣類、日用品まで、すべて一から調達するぐらいでないと、とてもじゃないけど老齢の身には厳しいだろうなと、心から思いましたヨ。

 まぁでも衣類はそうはいかないか。男はともかく、女性には簡単に捨てられない服も多いだろうし。あと書籍。ほぼ3間(けん)分の幅の書棚に並んでいる中には、もちろん捨てても惜しくない本も少なくないが、文庫本であっても手放したくないものもけっこうある。これの選別には滅茶苦茶時間がかかるだろうなぁ。いまから少しずつやっていくかな、なんて思うけど、これが必要に迫られないと手を付けないんだよね。
 人には「断捨離」なんて簡単に言うけどネ。

2017年6月 6日 (火)

まだまだ試行錯誤の最中です

 同業の友人というのは本当にありがたい。容赦なくダメ出しをしてくれる。
 昨日ここにアップした小説「『わたしをみつけて』それから…」の格納場所が悪くて、簡単に辿り着けない、というのだ。
 「人気作家の小説ならともかく、シロウト同然の作品なんて、誰もそこまでして読まないぜ」と、グサグサと突き刺してきます。

 言われて客観的に見てみると、指摘は当たっていなくもない(と、負け惜しみ的な書き方をしますが)ので、アドバイスどおり、ブログ上に直接、連載という形で、再度、掲載します。

2017年6月 2日 (金)

「思い続けていれば、いつか必ず叶う」は本当か?

 何日か前、書店に月末の支払いに行ったときに立ち読みした本の題名が、家に帰って2、3時間しか経っていないのに、もう思い出せなかった。
 幸い、カギとなることばは憶えていたので、検索してみたらすぐに見つかったのだが、ホントに、自分の記憶力の低下が恨めしくなる。

 その本とは「借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口ぐせ」というもので(そんな長い題名、憶える方がムリか)、昨年の9月に発行されたものなのに、まだ平積みのコーナーにけっこう大量に置いてあったので、それなりに話題になっているのかもしれない。

 私も、つい手に取ったのは、その題名に惹かれてである。パッと見たとき、2000万円の借金を返せるほど事業が成功した、そのノウハウ本の類かなと思ったが、「私はこうやって2000万円を短期間で稼ぎました」みたいな直截的な題名だったら、眼に止まらなかったに違いない。
 「ドSの宇宙さん?」と、気になったのはその一点だけだが、ま、これは読んでみて、想像を超えた内容ではありました。それは、事業成功のノウハウとはまったく関係のない、心の持ち方と我が身に起こる現象の相関関係について述べた本だったのである。

 パラパラと捲ってみただけなので、断片的にしか憶えていないが、よくある、「絶対に成功すると心を決めるところからすべてが始まる」式の指南がいろいろ載っていて、事業にしても、成功している姿を思い描き、絶対にそうなると口に唱えるのだそうである。
 しかし、「かならず成功します」ではなく、「成功させてください」という心が奥底にあると、成功を願う卑屈さのみが増大する一方で、いつまでたっても成功しない、という趣旨のことが書いてあり、なるほど、いいところを突いているな、と思いましたね。

 おまえが人の心の働きのことなんか語れるのか、というお叱りは勘弁していただくとして、実はここ最近、私は大乗仏典・華厳経にあるとされる(原文を当たったことがないので、そう書くしかないのだが)「心は工(たくみ)なる画師(えし)の如し」という一句に、ずっと囚われ続けている。
 正しく書くと、「心は工なる画師の種種の五陰を造るが如く…」と続くそうで、日蓮の遺文などにも何カ所か引用されているが、「心は工なる画師の如し」という要約文もそれなりに世間に流布しており、本意は伝わると思う。

 意味は、あえて説明の必要はないかもしれないが、上手な画師が描こうと思ったものを何でも絵で表現できるように、人間の心には、思ったことを現実化する力が備わっている、というところでしょうかね。
 まぁでも、「仏教を信奉している人」に限ったとしても(本当はそういうことは関係ないのだけど)、思うように生きている人なんて、皆無とは言わないけど、自信を持って手を挙げる人は、ほとんどいないのではないかと思う。

 では、「心」「生命」が本来持っている「工なる画師の如」き力を発揮するためにはどうしたらいいか。仏教が宗教として展開していったのは、実はそこが出発点ではないか、というのが、私の仏教に対する一つのアプローチでもある。
 まぁそれは今日のテーマではないし、まだまだ思索の緒に就いたばかりなので、別な機会に譲りますが。

 さて、ネットショップ大手Amazoneの「借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口ぐせ」のレビューを見ると、評価した人は300人を超えていて、そのうち78%以上が★五つの評価である。さすがにちょっと驚きました。
 好評価のレビューとしては、「やる気を引き出してくれた」「自分の潜在力の引き出し方が分かった」とか、中には「宇宙と私の関係を思い出させてくれた」なんて、取りようによってはスピリチュアリズムか、などという書評もあった(ちなみに『ドSの宇宙さん』というのは、書評を見て判断すると、自身の強い意志で成功をもたらすことが出来る、その心の働きというか、大宇宙を貫く法則というか、そういうものを指しているらしい)。

 まぁこれでやる気を出して、人生の成功に一歩でも二歩でも近付くなら、それは「いい本に出会えたねぇ」と喜ぶべきことかもしれない。しかし、自分の理性だけで、「強い意志、決意」を持ち続けていくのは、たいへん困難なことでもある。
 むしろ大事なのは、心が挫けそうになったとき、折れそうになったときに、その心をどうやって立て直していくか、の方だと思う。書評を読む限りでは、そこに言及したものは見付けられなかった。

 なお、蛇足かもしれないが、著者はパワーストーンの販売を事業としている人のようで、本の中でも、パワーストーンを持つことの重要性に触れているという。
 本にはパワーストーン販売の直截的な広告・宣伝はないらしいが、パワーストーンのくだりまで読み進めて、たちまち興味を失ったというレビューも、わずかながらあったことは付け加えておきたい。

2017年5月27日 (土)

我々は人体実験の最中(さなか)にある?

 一昨日のLINEでの北海道新聞の配信記事で、化学物質過敏症の子どもやその親が交流できるサロンが、札幌市内にあることを知った。
 そういうサロンがあるということは、悩んでいる子や親は、きっと多いのだろう。道新も、そういった方々を追いかけ、紙面では何度か取り上げているようだ。

 化学物質過敏症という病名はうっすらと記憶していた程度だが、記事では、新しい家具や建材、合成洗剤で洗った衣類などに触れたり曝されたりして発症するとある。
 症状は、今あらためて調べてみると多岐にわたるそうで、気管支系や皮膚の疾患、下痢や便秘などの消化器系、さらには不眠や不安、鬱などの精神症状に及ぶこともあるという。
 記事には触れていないが、私が気になるのは、こうした子どもたちが以前から一定比率でいるのか、それとも増えているのか、という点である。

 中学生の時、夏休みの社会の課題だったと思うが、「社会問題を一つ取り上げてレポートを書く」というものを出されたことがある。
 私がその時に取り上げたのは、食品添加物だった。その何年か前、人工甘味料のチクロが、発がん性があると疑われ使用禁止になり、それ以来、あれがダメ、これも危ないと、けっこう世の中を騒がしていた。

 たまたま書店で、「危険な食品」という新書を見付け、新書なので読むのにも手頃だと思い、深く考えることもなく決めたのだが、けっこう引き込まれましたねぇ。
 著者はまったく憶えていないけど、出版社は三一書房というところで、今、検索してみたら、絶版になっているのか、さすがに探せませんでした。まぁ数十年前の話で、資料やデータも今となっては通用しないだろうから、それは仕方ないだろうけど。

 それはともかく。
 本の内容は、一つ一つの添加物の危険性を紹介するというよりも、なぜそういった危険性のある物質が口に入るものとして認可されたか、を追求するものだったと思う。
 詳細は憶えていないが、要するに販売価格の安いものを消費者が望んでいるという一面と、あとはお定まりの、大企業であるメーカー(添加物の製造業者よりも、むしろ食品工業の方を糾弾していたような)のコストダウンを支えるために、国が消費者を犠牲にした、というような趣旨が書かれていたと記憶している。

 加えて、ここが今でもこの本のことを憶えている最大の理由なのだが、食品添加物の問題は始まったばかりで、たとえばマウスの実験で安全だったとしても、人間の体内に少しずつ取り入れられたときに、それが30年後、50年後、さらには孫子(まごこ)の代まで続いたときに、人間にどういう影響を及ぼしているかは、だれも予測できない、と結んでいた。

 そのことがずっと頭の片隅にあって、たとえば「子どもたちがキレやすくなった」とか「凶暴性を帯びてきた」なんていうメディアや関係機関の分析があったりすると、勝手に、食品添加物を取り入れ続けてきた影響か、なんて、今でもつい考えてしまう。一昨日の道新の記事に反応してしまったのも、そうした背景があるからでした。

 化学物質過敏症と食品添加物の因果関係については、ネットでざっと調べる限り、特に言及したものはなかったが、近年、鬱や神経症などの精神・神経疾患が増えていることについて、体の内外から化学物質を取り入れていることと結びつけている主張はあるようだ。
 「危険な食品」よりずっと後に書かれた漫画「美味しんぼ」の中にも、食品添加物については、全人類規模の壮大な検証実験の最中である、という趣旨の表現があって、この作者も「危険な食品」を読んだのかいな、なんて思ってしまったが、果たして、この実験の結果はいつ明らかになるのだろうか。

2017年5月23日 (火)

自分の中の“過去世(?)”の記憶

 えー、学術とか教義上の話ではなくて、スピリチュアリズムとか、与太話に近い話です。

 私は、持っている信仰上、一応、前世(過去世)、現世、来世という三世の生命観を信じています。但し実感したことは無いけどね。
 でも、仏教研究者や、僧籍を持って布教活動している人の中には、「生命は永遠であるという三世の生命観は方便である」と唱える人もいるらしい。

 その一人が、インドの政治家で、晩年、多数の不可触民(カースト制度にも組み込まれない最下層の賤民とされた人たち)と共に仏教に改宗した、アンベードカル。その思想継承者とされる佐々井秀嶺(ささい・しゅうれい)氏は、「前世も来世も、極楽も地獄もない、神もいない」と叫び続け、今、インドで佐々井秀嶺氏を慕うこの新仏教の“信者”は、1億人を超えているとも言われている。

 確かに、三世の生命観は、釈尊の説法の当然すぎる大前提となっている。しかし、もしそれを否定したとしても、釈尊の教え自体に大して不都合は生じないような気もする。
 さらに、現実の今の人生における信仰活動として考えたときに、「三世」観は、いろいろな現象の説明にはなるけど、信仰のモチベーションを高める要素になるかどうか。少なくとも自分には当てはまらないと思う。

 年齢的に、もう晩年に差し掛かる年代ではあるけど、「今、信仰をより深めれば、来世はより幸せな境遇に生まれてきますよ」と言われたところで、「よしっ、じゃあ頑張ろう」という気持が露ほども湧いてこないのは、どうしようもない事実である。
 だからおまえは信心が足りないんだ、と言われればそれまでだけど。

 と、ここまでが前提。ここから先が、与太話です。
 前世を実感したことがないと言いながら、実は、「自分は過去に、この時代、この場所にいたことがあるのではないか」と感じたことが、これまで2回あった。

 一つは、映画の「カサブランカ」を見たとき。
 その中に、ウィキペディアの説明を借りると、「店内でドイツの愛国歌『ラインの守り』を歌うドイツ軍士官たちに憤慨したラズロ(主人公)が、バンドに『ラ・マルセイエーズ』を演奏させこれに対抗し、その後店内の全ての客が『ラ・マルセイエーズ』を歌うシーン」がある。
 このシーンを見たときに、そのスクリーンの中の空気感は、どうしようもなく既知のものだった。自分は間違いなく、こういう“ような”場所にいたことがある、と。

 もう一つは、何かを見て感じたのではなく、いつの間にか自分の記憶の中に棲みついている映像なのだが、それは日露戦争開戦の時の街の様子である。少なくとも高校生の時には、もう記憶として認識していたのは憶えている。
 割と人通りの多い道で、子どもたちが「万歳」を叫びながら駆け抜けていく。それを冷ややかに見ている自分がいたのは、これもまた消そうにも消せない映像である。
 たとえば「二百三高地」みたいな映画やドラマを見て、その映像が無意識のうちに残っているということは考えられるが、少なくとも映画は見ていないし、まぁドラマも、見ていないと断言はできないが、高校生以前の年代でそういうものに興味があったとは考えにくい。

 これらの記憶は、厳密な意味での宗教的な過去世の実感とは、たぶん別次元の話だと思う。何年か前、「前世占い」なんていうものが流行って、タモリあたりが「俺の前世はカッパだった」と騒いでいたことがあるが、むしろそちらの方に近いのかもしれない。
 ただ、どちらの記憶も戦争が絡んでいるというところに、「もし、過去世に本当にそういう場にいたのなら、自分の今の役割も、そういう時代をくぐり抜けてきたことと無関係ではないはず」という自分への枷(かせ)みたいなものを、つい掛けてしまいそうになる。

 我がお師匠さんは、もうずいぶん前から、我が国の右傾化、全体主義化を憂い、警告を発しておられるが、太平洋戦争に一気に向かおうとしているあの時代のリアルな経験を持っている人、またそれを直に聞いたことがある人なら、今の時代がそれと重なっていないかどうか、ぜひ比較し、我々に教えて欲しいと思う。心からそう思う。

2017年5月21日 (日)

宗教団体は国家にとって常に“邪宗”?

 高橋和巳の「邪宗門」を最初に読んだのは、学生時代だった。
 友人の部屋で、同じ貧乏学生にしては分不相応な高橋和巳全集を書棚に大事そうに並べていたのを、パラパラと手に取っているうちに、「邪宗門」というタイトルを見付けたのである(この辺は古い記憶なので曖昧だけど)。
 そのタイトルに惹かれ、貸し渋るのを無理矢理借りて読んだのだが、たぶんその時は、純粋に単なる小説としてしか捉えていなかった。内容などすぐに忘れたが、何か強烈な印象だけは残っていたと思う。

 再びその小説に向き合ったのは、恐らく30代に入ってから。宗教と社会の関わり、もっと言えば、世の中の宗教団体に向ける“眼”というものを深く考えるようになってからだと思う。
 何かの本で、治安維持法が宗教団体に初めて適用されたのが第二次大本事件であり、その大本教(教団の正式名称に“教”の字は付かないが、便宜上、そう呼ばせていただきます)の弾圧を描いたのが、高橋和巳の「邪宗門」である、と知り、昔々読んだことは憶えていたけど、内容はまったくかけらも憶えていなくて、それでもう一度、挑戦したのでした。

 その再読の1回目に、小説本文だったか、文庫本巻末の解説だったか、「宗教が世直しを掲げる以上、どの宗教も国家権力にとっては邪宗である」という趣旨の一文を読んだときには、とても衝撃を受けましたね。
 個人の幸福と世の中の安寧は一体のもので、どんな宗教であれ、宗教が「今以上の自身の幸福」を求める以上、その中には「今以上の世の中の安寧」も含まれることになる。それはすなわち、「今の政治が良くない」と言っているのと同義であり、現政権の否定に繋がる、と、実際にはもっと丁寧に説明されていたであろうが、そんな趣旨だったと思う。

 たとえば、有名な日蓮の立正安国論にも、「汝須(すべから)く一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐(せいひつ)を祷らん者か」とあり、世の中の安穏や人々の幸福を願い行動していく中に自身の幸福がある、と、日蓮はその後の生涯の布教を展開していくが、これも、国家にとっては、自分たちが否定されたということになるのであろう。実際、日蓮はその後何度も弾圧を受けるのだから。

 治安維持法が宗教団体にまで手を広げたのは、一つには、共産主義者など、取り締まるべき人々をあらかた検挙し、もう摑まえる相手がいなくなってきたので、思想警察を縮小すべしと言う声が一部から湧き起こってきたから、という研究もある。
 大本教の第二次弾圧は、治安維持法違反だけでなく不敬罪も含まれていたから、弾圧そのものは避けられなかったかもしれないが、もし治安維持法が適用されなければ、果たしてどうなっていたか…。

 宗教団体が、国家権力の側にいるか、反対側にいるかは、その時その時の一現象に過ぎない。本質は「国家権力にとって常に邪宗」、というのはこれからも変わらない、と私は考えます。
 およそ信仰を持つ者、宗教団体に所属している者は、ゆめゆめ、そのことを忘れてはならないと思う。

2017年5月20日 (土)

時代の変遷、というだけでは…

 事務所の公式サイトを作っていた中で、高校生の時に吉行淳之介に傾倒した話を書いたのだが、それがきっかけとなったのか、ここ何日か、これまで読んだ膨大な作品の中の片言隻句が、浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
 2、3日前に思い出しのが、吉行がある新聞社の社会部長と話しているときのものだったと思うが(何せ数十年前に読んだものなので、その場面や正確な文章は思い出せません)、社会部長が、こういう趣旨のことを言うのである。

 「何か事件や事故が起きて、人が10人くらい死んだ、なんていうときに、万歳三唱をして記者を送り出すぐらいでないと、社会部長は務まらない」と。

 そのことばを、吉行は肯定的に紹介していて、もちろん私もそれには違和感を感じなかったし、恐らく読者の多くは同じ感覚で受け止めるであろうことを見越して吉行も書いたのだと思う。
 ただ、今の時代だったら、読者というか、人々の受け止め方は、当時とちょっと違うんじゃないか、という気がする。

 当時、といっても40~50年前だと思うけど、社会部長の言葉が、公式に世の中に向けて発言されたのであれば、これは非難を受けるのは、今と変わらないだろう。
 ただ、非難と言っても、「気持は分かるけど、そんな公然と言わなくてもねぇ」という言外の言を込めてのものだと思う。
 人の生命がどれだけ尊厳なものか、という世間一般の認識、受け止めは、今も当時も、おそらくそう懸け離れたものではないはず。その上で、新聞社の社会部長ともなれば、部数の伸びも考えなければならず、まぁたいへんといえばたいへんな立場だよな、という“忖度”が働くのではないか。

 でも今なら、徹底的に指弾されるんじゃないですかね。ネットで煽って尻馬に乗る人を増やしながら、辞任するか解任されるまで攻撃の手を弛めない、なんていう画を容易に想像することができます。

 まぁそれだけ、世の中が、大切なものを本当に大切にするようになってきたから――なわけないよね。

2017年5月14日 (日)

日本は監視社会だったのか

 「共謀罪」「テロ等準備罪」と敵味方で別々に呼び合っているその法案は、ウィキペディアによると、

 「日本の組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(通称:組織犯罪処罰法)の『第二章 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の没収等』に新設することが検討されている『組織的な犯罪の共謀』の罪の略称」

 となっているが、賛成・反対を叫んでいる人の中でも、この段階を分かっていない人って、実はけっこう多いのではないかと思う。

 それはともかく、「共謀罪」と呼ぶ反対派の主張に、「成立したら日本は監視社会になってしまう」というものがある。
 これに対し、「いや、日本は既に監視社会になっている。その淵源は、戦中の『隣組』の存在である」という意見がある。
 私も実は、「隣組」が日本の監視社会を醸成してきた、と思っていたのだが、あらためて調べてみると、もっと古く、飛鳥時代にその淵源を求めることができるのだそうである。

 学術的に調べたわけではなく、ネットサーフィンによるナナメ読みなので、大雑把にしか私も分かっていないが、古代律令制の中でその仕組みが生まれ、その目的として、相互扶助と犯罪防止が初めから明記されていたそうである。
 ここで気になるのは、「犯罪防止」がどういう意味を帯びているか、である。

 これはNHKの造語だそうだが、「地域力」ということばがある。現代用語である。
 ある地域の人々が、簡単に言うと、どこに誰が住んでいるのか、どんな仕事をしているのか、どんなサイクルの生活をしているのかが、相互に分かっている状態のことを言う。
 なので、「地域力」がある地域では、たとえば空き巣などが留守の家を探したり狙いを定めたりしてすると、たちまち隣近所の人が出てきて、「××さんに何かご用ですか?」と声を掛けたりする。
 掛けられた方は、「この地域はヤバいな」と、たちまち退散するそうで、実際にそうした犯罪の経験者も、地域が連帯している町は仕事がやりにくい、と証言しているそうである。

 と、これはプラスの方の犯罪防止だが、一方では、やはり相互監視という側面があったようだ。
 一つには、グループ化された人々の中で、犯罪者――昔々は、租税を納めないで夜逃げすることなどを想定していた――を出した場合、そのグループの全体もしくは責任者が、連帯して処罰されることになっていたことがある。つまり、おらがグループの中からそんな不届き者を出してはならねぇ、と、互いに目を光らせていたのである。
 私が気になるのは、この相反する「心の有り様」が、一人の人間の中に矛盾なく存在してきた、ということである。

 仲間内や近所同士で、何か困っている人がいれば助け合う、というのは、人間の持つ本然的な心の働きだと思う。
 ではその仲間内から、犯罪の予兆を感じ取ったらどう対応するか。
 ふつうなら、「そんなことはやめろ」と諫めるだろう。それは正義感もあるけど、犯罪を犯せば、刑事罰を受けるだけでなく、一生を棒に振ることになりかねない、ということを、経験的に(多くは人の経験の見聞だけど)知っているから、相手のことを思って諫めるのだと思う。
 でも、この「人の犯罪を諫める心」は、今の日本人からは、大きく後退しているといえるのではないか。そしてそれは人間関係が希薄な都会だろうと、地域的結束がなお強い郡部だろうと、そんなに変わらないだろう。

 私はこれこそが、律令以来、育んできた「相互監視」の悪しき結果だと思っている。
 つまり、相互扶助にしても犯罪防止にしても、本来なら「その人のことを思う」心が為すべきことだったのに、犯罪防止については、「自分も罪に問われるから」という仕組みのせいで、自己防衛から周りを監視させるように仕向けたのである。
 その「自分も罪に問われるから」という縛りが、隣組の消滅以来、日本の中に制度としては無くなってしまった。そうなると、「もう自分が罪に問われることがないから、周りの者が犯罪を犯しても関係ない」という方向に変化する。
 単純だと思うかもしれないが、戦後の70年余というのは、日本人の気質を変えるには十分な時間だと思っている。

2017年5月11日 (木)

足利市のこと

 2、3日前に見たネットニュースの見出しに、足利市長が無投票で再選されたとあり、足利に少しばかり思い入れのある身としては、つい全文を読んでしまった。

 といっても、足利市とはこれまでまったく縁もゆかりもなければ、もちろん行ったこともない。なのになぜ思い入れがあるのかというと、名曲「渡良瀬橋」を生んだ街だからである。

 以前も書いたが、「物語」を予感させる歌詞もいいし、プロモーションビデオというか、森高千里の「渡良瀬橋」への思いを映像で綴った動画(https://www.youtube.com/watch?v=tcAL_I_DJUM)を見てから、自分の中でもノスタルジアを呼び起こす街となった。

 足利市長の再選の記事には、市の一層の振興とともに、人口増がやはり大きな課題であるとあった。
 そこで、振興策の一環として、ぜひ提案したい。
 但し、市の実状を知らない赤の他人の、妄想モード全開の話なので、そのつもりで読み捨てて下さい。

 市内にある渡良瀬橋のほとりには、「渡良瀬橋」の歌碑が建てられているそうである。つまり、そういう詩心のある街なんだと思う。そこで、足利を「詩と物語の街」と謳い、『足利物語』の募集を行うのである。

 どういう内容かというと、「渡良瀬橋」の歌詞が当てはまる物語を募集するのである。

 森高の詞は、ひと言で言ってしまうと、互いに想い合っている男女が、それぞれに理由があって一緒になれない、というもの。

 具体的なシチュエーションに踏み込むと、女性は足利に住み、男性は、たとえば東京に暮らしている。そして女性は「この街を離れられない」と訴え、男性は足利を「いい街だ、ここで暮らしたい」と言ったことがある。なのに、結局一緒になれなかった二人。
 さらに、女性が男性の声を聞きたくて電話をするときに、携帯でも家の電話でもなく、近くの公衆電話まで走った、等々。

 うーん、想像がふくらみますねー。
 つまり、「こういう背景や物語があれば、こういう歌詞が成立するな」という小説。これを、公募対象にするのである。年に1回でなくても、1年おきでもいい。

 授賞式のプレゼンターは、もちろん森高千里。大賞受賞者には、賞金だけでなく、本にするとか、広報紙に連載するとか、何らかの形で世に出してあげれば、喜ぶ人は多いはず。森高には、「渡良瀬橋」の他にもう2、3曲歌ってもらうミニミニコンサートの形式にすれば、授賞式には、市内だけでなく、近隣市町村の住民やコアな森高ファンも集まるだろう。

 さらに、小説部門だけでなく、たとえば足利を詠んだ詩や、足利の夕陽の写真のコンテストなんかもあると、なお良い。何せ、「夕陽がきれいな街」なのだから。そうなると、「詩と物語と夕陽の街」か。まぁちょっとくどいかも。

 足利の行政に携わる人がこの記事を見る可能性はほとんどないと思うけど、もし何かの間違いで実現の運びになったら、もちろんアイデア料はいらないが、授賞式に毎年呼んでもらえると嬉しいネ。
(2017.04.21)

諸葛孔明の死を儚んだ人たち

 三国志は吉川英治版しか読んでいないが、孔明が死んだあとの蜀の変遷は、概略としてまとめられている。
 その中に、さまざまなことで孔明から排除されたり遠くに飛ばされたりした官僚たちが、孔明が死んだことを聞くと、「ああ、これでもう再び世に出る望みを失った」と嘆いたことが綴られている。
 なんで孔明から排除された人たちが、孔明が死んで嘆いたか、については、解説の必要は無いだろう。強いて言うなら、孔明の「無私」の透明度がそれだけ高かったということだと思う。

 傑出したトップのあとに、二流、三流の輩がその位置に替わることほど悲劇はない、と、最近、頓に考える。
(2017.04.17)