日記・コラム・つぶやき

2017年5月23日 (火)

自分の中の“過去世(?)”の記憶

 えー、学術とか教義上の話ではなくて、スピリチュアリズムとか、与太話に近い話です。

 私は、持っている信仰上、一応、前世(過去世)、現世、来世という三世の生命観を信じています。但し実感したことは無いけどね。
 でも、仏教研究者や、僧籍を持って布教活動している人の中には、「生命は永遠であるという三世の生命観は方便である」と唱える人もいるらしい。

 その一人が、インドの政治家で、晩年、多数の不可触民(カースト制度にも組み込まれない最下層の賤民とされた人たち)と共に仏教に改宗した、アンベードカル。その思想継承者とされる佐々井秀嶺(ささい・しゅうれい)氏は、「前世も来世も、極楽も地獄もない、神もいない」と叫び続け、今、インドで佐々井秀嶺氏を慕うこの新仏教の“信者”は、1億人を超えているとも言われている。

 確かに、三世の生命観は、釈尊の説法の当然すぎる大前提となっている。しかし、もしそれを否定したとしても、釈尊の教え自体に大して不都合は生じないような気もする。
 さらに、現実の今の人生における信仰活動として考えたときに、「三世」観は、いろいろな現象の説明にはなるけど、信仰のモチベーションを高める要素になるかどうか。少なくとも自分には当てはまらないと思う。

 年齢的に、もう晩年に差し掛かる年代ではあるけど、「今、信仰をより深めれば、来世はより幸せな境遇に生まれてきますよ」と言われたところで、「よしっ、じゃあ頑張ろう」という気持が露ほども湧いてこないのは、どうしようもない事実である。
 だからおまえは信心が足りないんだ、と言われればそれまでだけど。

 と、ここまでが前提。ここから先が、与太話です。
 前世を実感したことがないと言いながら、実は、「自分は過去に、この時代、この場所にいたことがあるのではないか」と感じたことが、これまで2回あった。

 一つは、映画の「カサブランカ」を見たとき。
 その中に、ウィキペディアの説明を借りると、「店内でドイツの愛国歌『ラインの守り』を歌うドイツ軍士官たちに憤慨したラズロ(主人公)が、バンドに『ラ・マルセイエーズ』を演奏させこれに対抗し、その後店内の全ての客が『ラ・マルセイエーズ』を歌うシーン」がある。
 このシーンを見たときに、そのスクリーンの中の空気感は、どうしようもなく既知のものだった。自分は間違いなく、こういう“ような”場所にいたことがある、と。

 もう一つは、何かを見て感じたのではなく、いつの間にか自分の記憶の中に棲みついている映像なのだが、それは日露戦争開戦の時の街の様子である。少なくとも高校生の時には、もう記憶として認識していたのは憶えている。
 割と人通りの多い道で、子どもたちが「万歳」を叫びながら駆け抜けていく。それを冷ややかに見ている自分がいたのは、これもまた消そうにも消せない映像である。
 たとえば「二百三高地」みたいな映画やドラマを見て、その映像が無意識のうちに残っているということは考えられるが、少なくとも映画は見ていないし、まぁドラマも、見ていないと断言はできないが、高校生以前の年代でそういうものに興味があったとは考えにくい。

 これらの記憶は、厳密な意味での宗教的な過去世の実感とは、たぶん別次元の話だと思う。何年か前、「前世占い」なんていうものが流行って、タモリあたりが「俺の前世はカッパだった」と騒いでいたことがあるが、むしろそちらの方に近いのかもしれない。
 ただ、どちらの記憶も戦争が絡んでいるというところに、「もし、過去世に本当にそういう場にいたのなら、自分の今の役割も、そういう時代をくぐり抜けてきたことと無関係ではないはず」という自分への枷(かせ)みたいなものを、つい掛けてしまいそうになる。

 我がお師匠さんは、もうずいぶん前から、我が国の右傾化、全体主義化を憂い、警告を発しておられるが、太平洋戦争に一気に向かおうとしているあの時代のリアルな経験を持っている人、またそれを直に聞いたことがある人なら、今の時代がそれと重なっていないかどうか、ぜひ比較し、我々に教えて欲しいと思う。心からそう思う。

2017年5月21日 (日)

宗教団体は国家にとって常に“邪宗”?

 高橋和巳の「邪宗門」を最初に読んだのは、学生時代だった。
 友人の部屋で、同じ貧乏学生にしては分不相応な高橋和巳全集を書棚に大事そうに並べていたのを、パラパラと手に取っているうちに、「邪宗門」というタイトルを見付けたのである(この辺は古い記憶なので曖昧だけど)。
 そのタイトルに惹かれ、貸し渋るのを無理矢理借りて読んだのだが、たぶんその時は、純粋に単なる小説としてしか捉えていなかった。内容などすぐに忘れたが、何か強烈な印象だけは残っていたと思う。

 再びその小説に向き合ったのは、恐らく30代に入ってから。宗教と社会の関わり、もっと言えば、世の中の宗教団体に向ける“眼”というものを深く考えるようになってからだと思う。
 何かの本で、治安維持法が宗教団体に初めて適用されたのが第二次大本事件であり、その大本教(教団の正式名称に“教”の字は付かないが、便宜上、そう呼ばせていただきます)の弾圧を描いたのが、高橋和巳の「邪宗門」である、と知り、昔々読んだことは憶えていたけど、内容はまったくかけらも憶えていなくて、それでもう一度、挑戦したのでした。

 その再読の1回目に、小説本文だったか、文庫本巻末の解説だったか、「宗教が世直しを掲げる以上、どの宗教も国家権力にとっては邪宗である」という趣旨の一文を読んだときには、とても衝撃を受けましたね。
 個人の幸福と世の中の安寧は一体のもので、どんな宗教であれ、宗教が「今以上の自身の幸福」を求める以上、その中には「今以上の世の中の安寧」も含まれることになる。それはすなわち、「今の政治が良くない」と言っているのと同義であり、現政権の否定に繋がる、と、実際にはもっと丁寧に説明されていたであろうが、そんな趣旨だったと思う。

 たとえば、有名な日蓮の立正安国論にも、「汝須(すべから)く一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐(せいひつ)を祷らん者か」とあり、世の中の安穏や人々の幸福を願い行動していく中に自身の幸福がある、と、日蓮はその後の生涯の布教を展開していくが、これも、国家にとっては、自分たちが否定されたということになるのであろう。実際、日蓮はその後何度も弾圧を受けるのだから。

 治安維持法が宗教団体にまで手を広げたのは、一つには、共産主義者など、取り締まるべき人々をあらかた検挙し、もう摑まえる相手がいなくなってきたので、思想警察を縮小すべしと言う声が一部から湧き起こってきたから、という研究もある。
 大本教の第二次弾圧は、治安維持法違反だけでなく不敬罪も含まれていたから、弾圧そのものは避けられなかったかもしれないが、もし治安維持法が適用されなければ、果たしてどうなっていたか…。

 宗教団体が、国家権力の側にいるか、反対側にいるかは、その時その時の一現象に過ぎない。本質は「国家権力にとって常に邪宗」、というのはこれからも変わらない、と私は考えます。
 およそ信仰を持つ者、宗教団体に所属している者は、ゆめゆめ、そのことを忘れてはならないと思う。

2017年5月20日 (土)

時代の変遷、というだけでは…

 事務所の公式サイトを作っていた中で、高校生の時に吉行淳之介に傾倒した話を書いたのだが、それがきっかけとなったのか、ここ何日か、これまで読んだ膨大な作品の中の片言隻句が、浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
 2、3日前に思い出しのが、吉行がある新聞社の社会部長と話しているときのものだったと思うが(何せ数十年前に読んだものなので、その場面や正確な文章は思い出せません)、社会部長が、こういう趣旨のことを言うのである。

 「何か事件や事故が起きて、人が10人くらい死んだ、なんていうときに、万歳三唱をして記者を送り出すぐらいでないと、社会部長は務まらない」と。

 そのことばを、吉行は肯定的に紹介していて、もちろん私もそれには違和感を感じなかったし、恐らく読者の多くは同じ感覚で受け止めるであろうことを見越して吉行も書いたのだと思う。
 ただ、今の時代だったら、読者というか、人々の受け止め方は、当時とちょっと違うんじゃないか、という気がする。

 当時、といっても40~50年前だと思うけど、社会部長の言葉が、公式に世の中に向けて発言されたのであれば、これは非難を受けるのは、今と変わらないだろう。
 ただ、非難と言っても、「気持は分かるけど、そんな公然と言わなくてもねぇ」という言外の言を込めてのものだと思う。
 人の生命がどれだけ尊厳なものか、という世間一般の認識、受け止めは、今も当時も、おそらくそう懸け離れたものではないはず。その上で、新聞社の社会部長ともなれば、部数の伸びも考えなければならず、まぁたいへんといえばたいへんな立場だよな、という“忖度”が働くのではないか。

 でも今なら、徹底的に指弾されるんじゃないですかね。ネットで煽って尻馬に乗る人を増やしながら、辞任するか解任されるまで攻撃の手を弛めない、なんていう画を容易に想像することができます。

 まぁそれだけ、世の中が、大切なものを本当に大切にするようになってきたから――なわけないよね。

2017年5月14日 (日)

日本は監視社会だったのか

 「共謀罪」「テロ等準備罪」と敵味方で別々に呼び合っているその法案は、ウィキペディアによると、

 「日本の組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(通称:組織犯罪処罰法)の『第二章 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の没収等』に新設することが検討されている『組織的な犯罪の共謀』の罪の略称」

 となっているが、賛成・反対を叫んでいる人の中でも、この段階を分かっていない人って、実はけっこう多いのではないかと思う。

 それはともかく、「共謀罪」と呼ぶ反対派の主張に、「成立したら日本は監視社会になってしまう」というものがある。
 これに対し、「いや、日本は既に監視社会になっている。その淵源は、戦中の『隣組』の存在である」という意見がある。
 私も実は、「隣組」が日本の監視社会を醸成してきた、と思っていたのだが、あらためて調べてみると、もっと古く、飛鳥時代にその淵源を求めることができるのだそうである。

 学術的に調べたわけではなく、ネットサーフィンによるナナメ読みなので、大雑把にしか私も分かっていないが、古代律令制の中でその仕組みが生まれ、その目的として、相互扶助と犯罪防止が初めから明記されていたそうである。
 ここで気になるのは、「犯罪防止」がどういう意味を帯びているか、である。

 これはNHKの造語だそうだが、「地域力」ということばがある。現代用語である。
 ある地域の人々が、簡単に言うと、どこに誰が住んでいるのか、どんな仕事をしているのか、どんなサイクルの生活をしているのかが、相互に分かっている状態のことを言う。
 なので、「地域力」がある地域では、たとえば空き巣などが留守の家を探したり狙いを定めたりしてすると、たちまち隣近所の人が出てきて、「××さんに何かご用ですか?」と声を掛けたりする。
 掛けられた方は、「この地域はヤバいな」と、たちまち退散するそうで、実際にそうした犯罪の経験者も、地域が連帯している町は仕事がやりにくい、と証言しているそうである。

 と、これはプラスの方の犯罪防止だが、一方では、やはり相互監視という側面があったようだ。
 一つには、グループ化された人々の中で、犯罪者――昔々は、租税を納めないで夜逃げすることなどを想定していた――を出した場合、そのグループの全体もしくは責任者が、連帯して処罰されることになっていたことがある。つまり、おらがグループの中からそんな不届き者を出してはならねぇ、と、互いに目を光らせていたのである。
 私が気になるのは、この相反する「心の有り様」が、一人の人間の中に矛盾なく存在してきた、ということである。

 仲間内や近所同士で、何か困っている人がいれば助け合う、というのは、人間の持つ本然的な心の働きだと思う。
 ではその仲間内から、犯罪の予兆を感じ取ったらどう対応するか。
 ふつうなら、「そんなことはやめろ」と諫めるだろう。それは正義感もあるけど、犯罪を犯せば、刑事罰を受けるだけでなく、一生を棒に振ることになりかねない、ということを、経験的に(多くは人の経験の見聞だけど)知っているから、相手のことを思って諫めるのだと思う。
 でも、この「人の犯罪を諫める心」は、今の日本人からは、大きく後退しているといえるのではないか。そしてそれは人間関係が希薄な都会だろうと、地域的結束がなお強い郡部だろうと、そんなに変わらないだろう。

 私はこれこそが、律令以来、育んできた「相互監視」の悪しき結果だと思っている。
 つまり、相互扶助にしても犯罪防止にしても、本来なら「その人のことを思う」心が為すべきことだったのに、犯罪防止については、「自分も罪に問われるから」という仕組みのせいで、自己防衛から周りを監視させるように仕向けたのである。
 その「自分も罪に問われるから」という縛りが、隣組の消滅以来、日本の中に制度としては無くなってしまった。そうなると、「もう自分が罪に問われることがないから、周りの者が犯罪を犯しても関係ない」という方向に変化する。
 単純だと思うかもしれないが、戦後の70年余というのは、日本人の気質を変えるには十分な時間だと思っている。

2017年5月11日 (木)

足利市のこと

 2、3日前に見たネットニュースの見出しに、足利市長が無投票で再選されたとあり、足利に少しばかり思い入れのある身としては、つい全文を読んでしまった。

 といっても、足利市とはこれまでまったく縁もゆかりもなければ、もちろん行ったこともない。なのになぜ思い入れがあるのかというと、名曲「渡良瀬橋」を生んだ街だからである。

 以前も書いたが、「物語」を予感させる歌詞もいいし、プロモーションビデオというか、森高千里の「渡良瀬橋」への思いを映像で綴った動画(https://www.youtube.com/watch?v=tcAL_I_DJUM)を見てから、自分の中でもノスタルジアを呼び起こす街となった。

 足利市長の再選の記事には、市の一層の振興とともに、人口増がやはり大きな課題であるとあった。
 そこで、振興策の一環として、ぜひ提案したい。
 但し、市の実状を知らない赤の他人の、妄想モード全開の話なので、そのつもりで読み捨てて下さい。

 市内にある渡良瀬橋のほとりには、「渡良瀬橋」の歌碑が建てられているそうである。つまり、そういう詩心のある街なんだと思う。そこで、足利を「詩と物語の街」と謳い、『足利物語』の募集を行うのである。

 どういう内容かというと、「渡良瀬橋」の歌詞が当てはまる物語を募集するのである。

 森高の詞は、ひと言で言ってしまうと、互いに想い合っている男女が、それぞれに理由があって一緒になれない、というもの。

 具体的なシチュエーションに踏み込むと、女性は足利に住み、男性は、たとえば東京に暮らしている。そして女性は「この街を離れられない」と訴え、男性は足利を「いい街だ、ここで暮らしたい」と言ったことがある。なのに、結局一緒になれなかった二人。
 さらに、女性が男性の声を聞きたくて電話をするときに、携帯でも家の電話でもなく、近くの公衆電話まで走った、等々。

 うーん、想像がふくらみますねー。
 つまり、「こういう背景や物語があれば、こういう歌詞が成立するな」という小説。これを、公募対象にするのである。年に1回でなくても、1年おきでもいい。

 授賞式のプレゼンターは、もちろん森高千里。大賞受賞者には、賞金だけでなく、本にするとか、広報紙に連載するとか、何らかの形で世に出してあげれば、喜ぶ人は多いはず。森高には、「渡良瀬橋」の他にもう2、3曲歌ってもらうミニミニコンサートの形式にすれば、授賞式には、市内だけでなく、近隣市町村の住民やコアな森高ファンも集まるだろう。

 さらに、小説部門だけでなく、たとえば足利を詠んだ詩や、足利の夕陽の写真のコンテストなんかもあると、なお良い。何せ、「夕陽がきれいな街」なのだから。そうなると、「詩と物語と夕陽の街」か。まぁちょっとくどいかも。

 足利の行政に携わる人がこの記事を見る可能性はほとんどないと思うけど、もし何かの間違いで実現の運びになったら、もちろんアイデア料はいらないが、授賞式に毎年呼んでもらえると嬉しいネ。
(2017.04.21)

諸葛孔明の死を儚んだ人たち

 三国志は吉川英治版しか読んでいないが、孔明が死んだあとの蜀の変遷は、概略としてまとめられている。
 その中に、さまざまなことで孔明から排除されたり遠くに飛ばされたりした官僚たちが、孔明が死んだことを聞くと、「ああ、これでもう再び世に出る望みを失った」と嘆いたことが綴られている。
 なんで孔明から排除された人たちが、孔明が死んで嘆いたか、については、解説の必要は無いだろう。強いて言うなら、孔明の「無私」の透明度がそれだけ高かったということだと思う。

 傑出したトップのあとに、二流、三流の輩がその位置に替わることほど悲劇はない、と、最近、頓に考える。
(2017.04.17)

今年のコピー大賞?

 今も行っているのかどうか分からないが、読売新聞主催の「読売ユーモア広告大賞」というコンテストがあって、もうだいぶ前になるが、コピー部門で賞を取った作品が印象深く、今でも憶えている。
 微妙に間違えていたら申し訳ないが、サランラップの広告で、「兄は今日、一夜漬けの頭にサランラップを巻いて学校に行った」というものだったと思う。

 私は、これに匹敵するぐらいのセンスを感じているのが、少し前にツィッターで拡散され話題になった、

  家に帰ったら佐々木希
  家に帰ったら堀北真希
  家に帰ったら上戸彩
  家に帰ったら北川景子

 というツィート(https://twitter.com/itsukodayowww…)。

 実際には、ダンナである渡部建、山本耕史、EXILEのHIRO、DAIGOの写真をアップした上でコピーを配置しているので、その写真も含めると、単純な「コピー部門」には該当しない作品と言えるかもしれないが、コピーだけ取り出しても、充分に訴えるものがあると思う。
 まぁ個人的に手を入れるのを許してもらえるのなら、「帰ったら」よりも「帰れば」の方が、口語のリズムがいいように思うが、そこは人それぞれの感性なので、捨て置いて下さい。

 あともう一つ、勝手な意見を。
 上記の4人で、違和感を憶えるのは、上戸彩。もちろん、美形の範疇に充分含まれるとは思うけど、他の3人とはちょっと違う、庶民的な可愛さが彼女の良さだと思う。
 好き嫌いは別にして、「目の覚めるような美人」との評価に、世間の大半の人が異を唱えない女優となると、やはり限られてこよう。そこはもう少し慎重に選んで欲しかったと思う。

 ま、なんにしても、こういう「作品」に出会えるのは、幸せを感じる一瞬でもある。
(2017.04.17)

パロディ民話

 中学や高校時代の友人とのメールはけっこう楽しい。
 ほんの1、2回の遣り取りで済む用件でも、そこに昔の思い出話を絡めると、延々と話が続いてしまうことがある。私など仕事柄、書くことが苦ではないので、つい長話ならぬ“長メール”になってしまって、よく「おまえのメールは読むのがメンドクサイ」と言われてしまう。

...

 なんて、本筋とは関係のない話をつい書くから長くなってしまうのだが、それは置いといて、少し前に高校時代の友人とメールをしたときに聞かれたのが、「昔、民話のパロディって流行ったよな。あれ、いつ頃だっけ?」というもの。
 二人ともすぐに思い出せなかったのだが、「おまえとはそういう話をしなかったよな」というのは共通の認識で、そこから、大学生の頃、と結論付けました。でも、なんかすっきりとしなかったなぁ。

 こういうのはすぐに調べないと気が済まないタチで、早速、ネットを見てみましたが、“パロディ 民話”や“パロディ 昔話”で検索しても、どうも望む情報に辿り着かない。そこで、話のオチとなっているフレーズで検索してみたら、ようやくその話に行き着ました。でも、なんかなぁ…自分で考えた話のように紹介しているところも多く、その出自は結局分かりませんでした。

 ちなみに、その民話とはこういう話です。いくつかご紹介。

・こぶとりじいさん
 昔々、あるところに、少し太ったおじいさんがいました。小太りじいさんと呼ばれていました、とさ。

・花咲じじい
 昔々、善良な老夫婦と強欲な老夫婦が、隣り合って暮らしていました。
 ある時、善良老夫婦が、野良犬を見付け、連れて帰って大事に育てました。すると犬は、庭の一カ所を指して、「ここを掘れ」とばかりにワンワンと吠え立てます。老夫婦は言われるままに庭を掘ると、そこから金銀財宝が出てくるではありませんか。
 それを見ていたとなりの強欲なじいさん、自分もあやかろうと隣から犬を借り、しばらく育てますが、碌なえさも与えず、時には叩いたりしながら、「早く宝の埋まっている場所を教えろ」と迫りました。
 すると犬は、ようやく庭の一カ所を指し、ワンワンと吠え立てます。強欲じいさんはそれとばかりに掘りましたが、出てくるのはガラクタやゴミばかり。腹を立てたじいさんは、犬を殺してしまおうと引き綱を引っ張って裏山に連れて行こうとしました。
 犬も必死で逃げようとしますが、じいさんはなかなかの力で、どうにも叶いません。
 ついに犬は叫びました。
 「これ、放さんか、じじい!」

・桃太郎
 昔々、桃から生まれた桃太郎は、鬼退治に行くことになりました。
 途中で雉に出会い、吉備団子をあげて、家来になって力を貸してくれるよう頼みました。次に猿と出会い、やはり吉備団子をあげて家来にしました。続いて今度は犬に出会い、またまた家来になってくれと頼みました。
 犬は了解してみんなと一緒に歩いて行きますが、雉と猿が吉備団子を食べているのが気になって仕方ありません。そこで桃太郎に聞きました。
 「ねぇ、桃太郎様、ぼくには吉備団子はくれないのですか?」
 「え? もう、もろたろ?」

 等々…。まぁどれも一度は耳にしたことがあると思います。
 三番目のはけっこう話術の妙が必要で、「もう、もろたろ(もらったろう)」を、いかに「ももたろう」に聞こえるように話すか、そこをみんな、競っていましたね。

 メールを遣り取りした友人からは、「大学生にもなってそんな話で盛り上がるかなぁ」という疑問も呈されたのですが、でもこれって、けっこう高度な表現技法(笑)に属すると思うんだよね。
 解説を加えるのも野暮なんですが、一つは、オチが言葉遊びになっていること。もう一つは、オリジナルの物語の世界をいかに損なわせないか、ということ。流行っていた頃、いろんな話が出回ったけど、この二点は、無意識にせよ、踏まえていたような気がします。

 そして、この“パロディ民話”の発生は、今思うと、ラジオの深夜放送ではなかったかな、と。インターネットも無いし、どう考えても他のメディアが思い浮かびません。
 実際に作った者は中高生も多いのだろうけど、先ほどの二つの“要件”を、なんとなくでも“分かる”には、一定の能力的水準が必要だったと思います。そういう意味では、最初に考えた人、またその“要件”を受け継ぎながらあとに続いた人たちは、それなりの才能の持ち主と言えるのではないでしょうか。

 我が国のパロディの歴史を調べてみると、多くは、短歌の本歌取りにその淵源を求めているようです。但し、本歌取りは、オリジナル作品に対するオマージュやリスペクトが込められていなければならない、なんていう規定(?)があるそうで、まぁそういうメンドクサイことを言うから、広く庶民の間に広まらなかったのでしょうね。

 そういえば、昔から連綿と続くパロディの中に、故事や慣用句を元にしたものもありますよね。今、パッといくつも思い浮かばないけど、「柚子よりスダチ」とか、「仏の顔も三度笠」とか、「雀百までわしゃ九十九まで」とか…。
 ちゃんと意味が込められているもの、単なる語呂合わせのものなど様々ですが、“オヤジギャグ”レベルのものなら、自分でもたまに口をついて出てくることがあります。

 一つ言えるのは、楽しくなければパロディではない。
 パロディは、オリジナルに付随して成り立つ、一段ランクの低い表現方法なんかではなく、もっと広まってほしい表現手段だと思っています。
(2017.03.30)

行き過ぎた「差別批判」は誰を守ろうとしているのか

 9月下旬のことなので、ニュース性はかなり薄まっているし、全国的にそれほど騒がれたわけでもないので、知らない人や忘れている人も多いと思うが、鹿児島県志布志市のふるさと納税PR動画の一件は、まぁいろいろ考えさせられました。

 市としては公式には削除しており、Youtubeに何本かアップされているけど、いずれはそれも消えてしまうだろうから、まずは今のうちに一度見ておいて下さい(https://www.youtube.com/watch?v=9GdvQoHycYY)。

 いずれ削除されたときのために、ざっとあらすじを書いておくと、全身が濡れている水着姿の少女がまず現れ、「養って」と見ている人に訴えかける。ナレーターでもある「ぼく」は、養うことを決意し、おいしいものを食べさせたりゆっくり眠ることのできる環境を与えてあげる。一年が経ち、少女はお礼を言いながらプールの水の中に飛び込んでいくのだが、その時に少女はウナギに変身、養っていたのがウナギであることを示すのだ。そしてまだワンカット続きがあって、ラストシーンはまた別な少女が現れ、「養って」と呼びかけるところで動画は終わるのです。
 余計な説明かもしれませんが、養殖ウナギの出荷量が鹿児島県一である志布志市が、その支援ための「ふるさと納税」を県外の人に呼びかけたものでした。

 ところが、この動画に対し、市に多くの非難が寄せられ、1週間もしないうちに削除したのだとか。
 ネットに散らばっているニュースを見比べて自分なりにまとめてみると、大きく二つの非難があるように思います。
 一つは、女性差別に通じる、という括り。
 少女が出てきていきなり「養って」と懇願し、「ぼく」がそれを決意して“施し”をするのは、「男は養う側、女は養われる側」という昔ながらの封建的な男女観の表れである、というものです。細かい付随意見を入れると、まぁいろいろとあるのですけどね。
 二つ目は、まぁ何というか、「エロである」、に集約されると思います。
 最近耳目を引く女性監禁事件を連想させるとか、少女を養うというシチュエーションが、「育ゲー」(少女を小さいうちから囲って自分好みの女性に育てていく、というゲームだそうです。私はやったことありませんが)を連想させるとか、ずっと水着のまま育てるというのは児童ポルノに近い、とかなんとか。だいたい、水着の女の子に「養って」と言われたら、「エロ」を連想するなと言う方が無理、というのもありました。
 その他、擬人化されたウナギを食べるのは“食人”を連想させる、なんていう苦情もあったそうだけど、それは少数意見と思っていいでしょう。

 さて、私は広告を作る側にいますが、正直に言うと、このPR動画、不快感はありませんでした。
 むしろ作り手にある種のセンスを感じたというか、上手く作ったな、というのが第一印象です。
 まぁそんなことを書くと、今の時代、「おまえに女性蔑視の心があるからだ」とか、「児童ポルノ愛好家じゃないのか」とか、すぐにあらぬ疑いをかけられたりするので、本当は黙っていた方がいいのかもしれませんが、やはりこの動画に対する非難は、文章表現で以前から議論されている「言葉狩り」に通じるものがあるように思います。

 「言葉狩り」とは、思いっきり簡単に言うと、「社会的弱者を差別する意図などまったくない言葉なのに、差別用語だとして使用を禁止もしくは自粛しなければならない風潮」のことを言います。
 よく引き合いに出されるのが、「手落ち」はよくて「片手落ち」はダメ、と、長い間自粛させられていること。もっとも最近は度が過ぎて、自治体や公共団体は「手落ち」も使わないようにしているそうですが。

 ここでいう「手」とは、からだの一部の「手」ではなく、「手段、方法」としての意味合いがあります。「いい手を思いついた」なんて、今でもふつうに使われていますよね。
 確かに、からだの一部が不自由な人に対し、もともと差別用語として発生した言葉も少なくありません。そういう言葉の使用の自粛は当然としても、だからといってからだの一部が含まれる言葉にことさら敏感になり、必要以上に「使わない」「使わせない」方向に向いていくのは、それこそ言葉の持つ本来のイメージを制限し、大きく言うと、「想像力」「空想力」「思考力」を日本人から奪ってしまうことにつながるのでは、と思っています。

 上の段で、「からだの一部が不自由な人」と、あえて書きました。これは今では「失礼のない言い方」として市民権を獲得しています。
 しかし、たとえば「目の不自由な人」「耳の不自由な人」という表現は、その人の「機能が十分ではない部分」を、逆にことさら強調していることにならないのか、と、もう数十年前に作家の筒井康隆が指摘しており、私はそれはまったく正鵠を射ていると思っています。

 さて、志布志市のウナギのPR動画に戻りますけど、そもそも「養って」は、ウナギの言葉です。ウナギ養殖振興のためにウナギにその言葉を言わせるというのは、ふつうに思いつかない視点で、これを本物のウナギを登場させたり、あるいはウナギのゆるキャラを作って言わせるのでしたら、何のインパクトもないでしょう。
 あくまでも作り手の視点で言うと、これから大人になっていく年代の人間に言わせるから、「一つ応援してみようか」という意識を醸成させるのだと思います。
 敢えて、「男は養う側、女は養われる側…」の非難を回避するなら、最後に出てくる「養って」の別の子は、男の子にすれば良かったかもしれません。実際、養殖ウナギは圧倒的にオスが多いそうですから。
 まぁ結果論ですけどね。

 そして、「エロ」である、との非難。
 確かに制作側とて、「エロ」、というか、「エロス」をまったく意識していないということはないでしょう。
 でもそれを言うなら、TVのCMに溢れている水着の女性はすべて排除されなければならないし、レースクィーンなど、各種ショーに彩りを添える「女性らしさ」を強調したコスチュームのキャンペーンガールたちも、皆、失業させなければなりません。
 それとも、女性はダメで、水着のムキムキの男性ならOKとでも言うのでしょうか。

 さらに、「児童ポルノ」に通じる、というのは、非難のための非難としか思えず、実際、演じている女優さんは20歳の女性だそうで(=写真下、動画の冒頭の一コマ)、可愛いコだけれど「児童」にはほど遠いし、実際に動画を見てお分かりの通り、ニュースに出るような監禁事件をこのPR動画に刺激されて起こすなど、どう道筋を付けようとしても繋がらないし、ましてや「育ゲー」を連想するのは、実際に育ゲーをやったことのある人だけでしょう(だから私は連想しませんでした。くどいようですが)。

 この、「言葉狩り」的に世の中の様々な「表現」に非難を向ける人たちは、今、確かに増えている実感はあります。
 でも、その人たちは本当に、何を守ろうとしているのか。
 私自身、実は片眼が見えないというハンディがあります。
 「ハンディ」なんて言葉を使うと、「全盲の方と比べれば、たとえ片方でも『見える』ということは大きくて、実際、車だって運転しているじゃないか」という人もいますけど、隻眼の人なら分かると思うけど、段差が分からなくて踏み外したり躓いたりとか、距離感がないため、パーキングや高速などの運転席側の発券機に近付きすぎてぶつかったりとか、それなりに不便はあるのです。
 なので、社会制度的に視覚障害者として認定されれば、ある部分でラクになるかも、という期待はありますが、それでも市井の人々に守ってもらいたい、という気持はまったくありません。もちろん、言葉の向けられ方を含めて、です。

 折しも、電通の若い女性社員が、月100時間を超える残業とパワハラで心身ともに疲れ果て、自ら命を絶ったことが労災と認定されたとの報道に、武蔵野大学の教授が「残業100時間程度で過労死とは情けない」と書き込み、炎上したとのニュースがありました。
 教授はたちまち書き込みを削除して「言葉の選び方が乱暴で済みませんでした」などと謝罪、また武蔵野大学のサイトでは学長名でお詫びの文書を掲載、「事実関係を調査の上で然るべき対応をとる」と、何らかの処分を科すことを示唆しました。

 この教授の書き込みは、遺族にとっては確かに心ない言葉だっただろうし、個人の意見といえど、公器といってよいネット上に無造作に晒すのは、大学教授という立場にいるものにしては、やはり事理を弁えない行為と非難されても仕方ないでしょう。
 しかし、教授と大学側の炎上後の一連の対応は、本当に正義の心が為したものかどうか。私は、申し訳ないけれど、実は「ネット炎上」という現象が圧力になったのではないか、と考えてしまいます。

 志布志市の動画も、これを見て本当に人権侵害に繋がる不快感を感じるかどうか、予備知識を与えないでアンケートを取ってみれば、果たしてどういう結果になるでしょうかねぇ。
 「弱者を守る」「正義を果たす」という大儀に託けて、大多数ではない勢力が、本当は許容される範囲の表現(広い意味での)を制限するようなことが、今、ここかしこでどんどん広がっているような気がします。
(2016.10.12)
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夕景の茜色

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 この記事の写真は、我が家から見た夕景の写真です。
 自分のサイト(http://kmplan.net)にも、けっこう夕焼けや朝焼けの写真を挿入していて、それは、これからもたぶん続くと思います。
 何故かというと、単純に、好きだからです。

 携帯電話を取り替えるたびにカメラの性能も向上してくるので、もう今では、9割以上、携帯(スマホ)で写真を撮っていますが、一番多い被写体は、やはり夕景かな。
 本当は朝焼けも劣らず好きなのですが、なにせ朝焼けの時間は、だいたい夢の中…。必然的に、撮る写真のほとんどは夕景になってしまいます。

 いつだったか、友人と二人で呑みながら話していて、突然、「朝焼け(朝陽)と夕焼け(夕陽)の色って、似ているけど違うよな」と振ってきました。もちろん、私もずっと感じていたことなので、深く同意したけど。
 ただ、その時は、どう違うのかが、二人とも説明ができなかった。
 でも今は、こう思っています。「朝陽は生命力、夕陽は鎮魂」だと。

 朝陽の「生命力」は、説明の必要がないと思います。
 夕陽の「鎮魂」というのは、一日の中でいろんなことがあって、必ずしもいいことばかりではない日も多いけど、その一日の終わりに感じる猛った気持も、深く沈んだ気持も、全部、平らかにしてくれる、まぁそんな意味です。

 なので、朝陽、朝焼けは、力強い光だけど一本調子、夕陽は、同じ色でも見る人によってその色合いを変えてくるのではないでしょうか。

 でも、ごく稀に、全空を見事な茜色に染める朝焼けというのもあって、もしそんな写真を見せられたら、朝陽か夕陽か判断がつかないでしょうけどネ。
(2016.07.20)