映画・テレビ

2017年7月12日 (水)

4―6月期のドラマで面白かったのは…

 テレビ時評を書き続けるには、テレビを見続けなければならない。でも、これがけっこう至難の業だったりする。

 4―6月期が終わったので、ドラマの総括をしようと思っていたが、結局、書けなかった。何故かというと、ほとんど見ていなかったからだ。
 元々、ゴールデンタイムにリアルタイムで番組を見るのは不可能に近いので、各クールの初めに、新ドラマは一通り録画し、目を通すようにはしている。しかし、ここ2、3年は、最初の5分で消去してしまうことが多くなってきた。

 要するに、つまらないのである。
 テレビ時評と言うからには、面白くてもつまらなくても、ひと通りは見た上で、良かった悪かったと言うべきなのは分かっているが、ほとんどのドラマは、最後まで見られませんでしたね、ハイ。

 もちろん、面白い、つまらないというのは個人の感性の問題であり、「最近のドラマって面白いのが多いよね」という人だって、きっといるに違いない。まぁ少数だろうけど。
 でもって、前期、何とかほぼ全話見たのは、「4号警備(NHK)」、「櫻子さんの足下には死体が埋まっている(CX)」の2本かな。
 あと「CRISIS 公安機動捜査隊特捜班(CX)」、「緊急取調室(テレ朝)」、「警視庁捜査一課9係係長(テレ朝)」の3本は、録画はしたけど、クール後半は見るのがけっこう辛くて、冒頭、事件の概要が分かる部分まで見て、あとは終盤の解決編まで飛ばして見ていたから、全話見た、とはちょっと言えないかも。
 逆に、「リバース(TBS)」は、最初、1話で見るのをやめながら、カミさんが続けて見ていたのを横で“ながら視聴”していて、結局、最後の2話ぐらいはのめり込むように見てしまいましたねぇ。

 こうして並べてみると、見事にミステリーオンリーだね。今期は特に多かったのかもしれないが、「小さな巨人(TBS)」のように、期待しながら、2、3話見て、これ以上見続けるのはムリ、と判断したのもあるし、冒頭に触れたように、5分見て、バカバカしくて見ていられないものもありました。どれ、とはいいませんが。

 なぜつまらなくなったか、というのは、いろいろな理由が考えられるし、今は見る方も“視聴巧者”になってきているので、どのドラマにもあてはまる理由というのはないのかもしれない。だからあくまでも「自分の場合」という話になるが、私の場合、登場人物のキャラクター設定がしっかりしているドラマは、比較的、長く見続ける傾向がある。

 とまぁ、全体的には不作だったという感想を持つ中で、特筆したいのは、やはり「やすらぎの郷(テレ朝)」ですかね。
 昼帯と夜のドラマとを単純に比較できないけど、逆に、民放の昼帯でよくもこれだけの大物俳優を集めたな、というのが、最初の感想。
 そして、物語がそれなりに面白い。基本的に老人ホーム内での群像劇なので、波瀾万丈の事件が日々起こるわけではないのだが、住んでいる人たちがTV業界人ばかりというのがミソで、過去の栄光を背負う者たちだからこその、一般人とは異なる日常が繰り広げられる。
 菊村栄という主人公を演じる石坂浩二は、元シナリオライターという設定で、脚本を書いている倉本聰を投影しているとも言われるが、ずっと見ていると、石坂浩二の素の姿を見ているような錯覚にも襲われる。
 現実でも元妻だった浅丘ルリ子らに「栄(えい)ちゃん」と呼ばせているのは、石坂の実際の愛称である「兵(へい)ちゃん」を連想させ、これは絶対に狙っているに違いない。

 おそらく視聴者は、“ギョーカイ”の内幕を覗く面白さを、まず感じているのだと思う。さらに、シニア世代が直面するさまざまな問題をけっこう真正面から取り上げ、それでいてあまり生々しくなく、「ドラマでの出来事」とオブラートにくるんで見せているので、半分は我が身に当て嵌め、半分は他人事として、ある程度の距離を置いて見ることが出来る。その辺は、さすがに倉本脚本だなと唸らせる。

 ネットで知ったのだが、倉本聰は初め、この企画を、「北の国から」でお世話になったフジテレビに持ち込んだそうだが、フジはまったく取り合わなかったとか。
 今、これだけ話題になり、視聴率も伸ばしているのを見て、フジは地団駄を踏んでいるに違いない。
 人も会社も、落ち目の時ってそんなものである。

2017年5月18日 (木)

時代劇に取って代わったのは刑事ドラマ?

 うちの地方では時代劇「桃太郎侍」(高橋英樹主演)の再放送をしていて、これは回数がかなり多かったみたいだが、昨日、ようやく最終回を迎えた。
 実は時代劇は割と好きなジャンルで、まぁ何回も再放送されていたものだから、ふだんは見ていなかったが、最終回だけ、どんな終わり方だったか、録画しておいて今朝、見てみました。

 ストーリーは、ふだんの回は水戸黄門や大岡越前と同様、勧善懲悪を絵に描いたようなものだけど(何一つ憶えていないけどネ)、さすがに最終回だからか、双子の実兄・松平備前守が政敵でもある老中(名前は失念)に殺され、その仇を討つという、幕府の機構の闇に切り込む話になっており、鬼退治をしたあとに、一人、旅に出るところで終わっている。
 幕府の闇に切り込むといっても、将軍や幕閣が何人も出てきて狐と狸の化かし合いをするような複雑な話ではなく、悪役も老中と勘定奉行の二人だけという(部下は大勢いるけど)、まぁ何とも“のほほん”としたものでしたね。
 でも、時代劇が好きな人はある程度の年代を超えていると思うので、こういう単純な話の方が、ストレートにカタルシスを得られるのかもしれない。

 最近は時代劇がめっきり減って、NHKの大河ですら、次は現代劇だそうだが、今朝、見ていてふと思ったのは、今は刑事ドラマ、いや、もっと幅広く「推理モノ」と言ってもいいけど、それが時代劇に代わって、視聴者にカタルシスを提供しているのではないか、ということでした。

 なぜそう思ったのかというと、今の時代、悪がなかなか滅びない、という単純な理由です。滅びないどころか、何が悪か、誰が悪かも見抜けないのが、今の時代の複雑さだと思うんだよね。
 だから、悪をバッサバッサと退治するドラマが次々に作られるのは、実は国民にカタルシスを与える国策ではないか、なんていう都市伝説が生まれたりするぐらいで。

 ちなみに、今、ざっと数えてみたら、この推理モノ、1週間で13本ありましたねぇ。そしてそのうち7本が、刑事や警察機構が主人公になっているもの。
 刑事モノといっても、昔の「太陽にほえろ」に代表されるような、犯人をいろんな方法で追い詰めて逮捕して終わり、という単純な図式のものはむしろ少なく、たとえば上層部との対立とか、あるいは警察機構の中に闇の組織があってそれを暴いていくとか、そういう横線を絡めたものがほとんどといってもいいかもしれない。
 まぁそういう糸を織り込んでいかないと、視聴者も納得しないんだろうね。自分の周囲が、善か悪かで色分けできるような単純な世界でないことだけは、たぶん、誰もが気付いているだろうから。

2017年5月11日 (木)

TVも一般人の人生の“面白さ”に気付いてきた?

 TVではちょうど改変期を迎えたところで、連続ドラマなんかも、第1話が次々と放映されているところです。
 ドラマ好きの私にとって、この改変期は録画に注意を払わなければならない(?)時期で、気が抜けない日々を送っていますけど、もうここ何年も、初回を最後まで見る気にさせたドラマは、数える程度しかありません。

...

 で、ドラマのことは置いといて、最近、気が付くと、一般人を登場させる番組がずいぶんと増えたように思います。
 今も放送中の番組で、一番古くから一般人、いわゆる“シロウト”を登場させている番組は、綿密に調べたわけではないけど、「鶴瓶の家族に乾杯」(NHK)ではないでしょうか。ゲスト(芸能人など)と一緒に田舎を訪れ(私が見た限りでは都市部はありませんでした)、その土地の人々と交流する、という内容です。

 その他、今、思い出せるだけ書いてみると、「ドキュメント72時間」(NHK)、「サラメシ」(NHK)、「チマタの噺」(テレビ東京)、「家、ついていってイイですか?」(テレビ東京)など、あと、ほとんど見たことがないけど、タイトルから、「サラメシ」に似た内容のものとか(局不明)、「夜の巷を徘徊する」(テレビ朝日)とか、まぁ、探せばまだあるのかもしれません。そうそう、「新婚さんいらっしゃい」(テレビ朝日)は、やはり外せませんね。
 「新婚さんいらっしゃい」はギネス級の歴史を持っていて、別格といってもいいでしょう。

 それはそれとして、「家族に乾杯」が割と古くから放送されているほかは、たぶん21世紀に入ってから作られたものだと思います。が、いわゆるバラエティ系の番組が次々と浮沈していく中で、今も続いていたりとか、深夜枠からゴールデンタイムに移ったりだとかを見ると、けっこう視聴率を稼いでいるのでしょうね。

 実際、見てみると、どれもそれなりに面白い。一般人との関わり方は番組によってそれぞれだし、登場のさせ方も、もちろん違うけど、共通しているのは、その人の辿ってきた人生、生き様を浮かび上がらせているところだと思います。
 でも考えてみると、それって元々芸能人の役割だったんだよね。役者でも、歌手でも、虚像の中でのみ活動しているように見せて、一方でマスコミなどにプライベートな部分を切り売りする。それを読んだり見たりする一般人は、「へぇー、あんな華やかで幸せそうに見える人が、母親との壮絶な確執を抱えていたんだね~」なんて、ドラマや映画、あるいは歌の世界とは違う、生身の生活や人生を垣間見て、言葉は悪いけど、覗き見的興味を満たしていたのでした。

 では何で芸能人の人生を見るだけでは収まらなくなったのでしょう。
 一つは、インターネットがこれだけ普及し、情報が人口に膾炙するスピードが圧倒的に速まったことが、大きな要因として挙げられるでしょう。
 そしてもう一つは、掲示板とかブログとか、ネットの普及とともに、さまざまな「自分のことを発信するツール」が登場してきたことがあると思います。
 「TVの中の世界」は、かつては手の届かない虚構の世界だったのに、インターネットとのメディアミックスで、誰もが触れたり入り込んだりできる世界へと変化し、誰でも「自分の山あり谷ありの人生」を発信できるようになりました。
 TVが、これに乗らないはずはありません。
 ネットという“箱”(それはパソコンだったりスマホだったりするわけですが)の中に無数に展開されている「一般人の人生」が、TVの中でも、十二分にコンテンツになり得ると思ったのでしょうね。

 私は、この先「一般人の人生」をコンテンツにしていく番組は、さらに増えていくと思います。何せ、制作費は安く上がるし、コンテンツは無限にあるとも言えるからです。
 まぁただ、放送できるだけの尺を確保するまでに、恐らくその何倍もの取材をしているとは思いますが。

 そして、そのうち、バラエティだけでなく、ドラマにも、一般人の人生が登場してくるのではないでしょうか。
 今はインタビューや取材という形で画面に映しているその人の人生を、ドキュメントではなく、ドラマ、エンターティメントとして「見せて」いく――。

 そう考えると、ジム・キャリー主演の映画、「トゥルーマンショー」はどれだけ先駆的な作品だったのでしょうかね。
(2016.10.12)

大切なことはみんなドラマが…

 「大切なことはみんな映画が教えてくれた」との名言は淀川長治が言ったものだと、ずっと思い込んでいたのですが、今、この記事を書くにあたってちょっと調べてみたら、彼は「映画が教えてくれた大切なこと」というタイトルの本を著しただけなんですね。
 で、「大切なことは×××が教えてくれた」という言い回しは、ずっと昔から使われていた表現なのだそうです。

 それはともかく、アラカンの私の世代だと、「大切なことはみんなドラマが教えてくれた」と言い切る人も、少なくないと思います。そんなドラマ好きなので、これまで見てきた数え切れないドラマに順位をつけるとすると、これはたいへん難しい作業になりますが、これからもきっと変わることのない「不動の1位」ならあります。

 それは、木下恵介の「3人家族(1968年)」。小学生ながら、毎週、心から楽しみにしていました。
 このドラマのオープニングだったと思いますが、矢島正明のナレーションの冒頭に、「ゆきずりの人であれ、ほほえむがいい」という一節があって、これがたぶん、ドラマから最初に学んだ「人生で大切なこと」じゃないかと思います。

 主演の竹脇無我と栗原小巻が、絵に描いたような美男美女だったけど、決して現実離れしているわけではなく、この二人でなければこのドラマは成り立たなかっただろうと思います。
 今思うと、それぞれの弟・妹役のあおい輝彦と沢田雅美が2枚目半くらいの設定だったので、バランスがとれていた(?)のかもしれません。

 「大切なこと」として心に残っている言葉をもう一つ挙げると、水谷豊主演の最初の「熱中時代(1978年)」から。
 船越英二演じる天城校長先生が、主演の北野広大が学校を離れるときに言ったと思うんだけど、「辛い悲しい別れがあるから、次の新しい出会いを大切にできる」というセリフ。
 今でも自分に言い聞かせているわけではないけど、憶えているということは、心に刻まれているひと言であるのは確かだと思います。
 もちろん、ドラマとしてもいい内容で、けっこう見ながら泣いていた記憶はあります。ただ、エピソードは、何一つ憶えていないんだけどね。

 言葉として今でもパッと記憶から取り出せるのはそれぐらいですが、でも「名言集」としてではなく、きっと、ドラマから学んだ人生の機微みたいなものが、今の自分を作っているのは間違いないと思います。

 さて、1位は不動としても、2位以下を明確に順位付けていくのは、まず不可能でしょうね。
 なにせ年齢的に記憶がかなり危うくなっているので、内容が思い出せるといったら、やはり比較的最近のものになってしまうからです。

 それを承知で「いいドラマだった」と記憶しているものを挙げると、まずは「白線流し(1996年)」かな。
 放送年をあらためて見ると、もう結婚して子どももいた時でした。それでも、この高校生仲間の世界に浸りきっていたなぁ。誰から言われたか憶えていないけど、けっこう熱くこのドラマを語ったら、「TV局に頼んで仲間に入れてもらえばいいっしょ」なんてからかわれたこともあります。

 それから「泣いてたまるか(1966~68年)」。連続ドラマではないので、他と並べられないかもしれませんが。
 基本的には、「貧乏だけど一生懸命生きていれば、最後は報われる」って、そんな話だったように思います。
 って書いたところで、念のため調べてみたら、けっこう長くやっていたんですね。渥美清に加え、途中から青島幸夫が交互主演していたのは憶えていたけど、終盤、中村賀津雄まで加わっていたのは記憶にありませんでした。
 全話、一話完結だったので(前・後編ぐらいはあったかも)、エピソードは何も憶えていませんが、渥美清主演の回で、佐藤オリエが見合い相手として登場し、子供心に「きれいな人だな」と思ったのは、なぜか今でも記憶に残っています。

 あと、前号でも触れた「空飛ぶ広報室(2013年)」と、NHKでやった「わたしをみつけて(2015年)」。どちらもごく最近のものなので印象深いのかもしれないけど、今の時点での2位と3位に付けられるかもしれません。
 まぁ何年も経って記憶が薄れると、変わるかもしれないけど。

 「わたしをみつけて」は、2ちゃんねるのドラマ板で、続編を勝手に書き始めたことがあります。尤も、何も構想しないで書き始めたので、すぐに息切れしちゃったけど。
 もし機会があれば、書き続けたいなとは思っているんですけどね~。
 ちなみに、既刊の小説などの設定を借りて続編を勝手に作ることは、異論もあれど、著作権侵害にはならないんだそうです。だからコミケの漫画が成り立っているんですね。
 なので、もしかしたら、私もここで続きを書き始めちゃうかもしれません。

 あと、心に残っているのは、「表参道高校合唱部!(2015年)」とか、「コウノドリ(2015年)」とか、やはり記憶に新しいところが多いかな。
 ただ、「表参道高校―」は、世間の評判でも、“神回”と言われたのは第1話、せいぜい第2話で、そこは私も同じ評価です。

 それから、いろんな意味で影響を受けたのは、夏木陽介主演の「青春とはなんだ(1965~66年)」に始まる、いわゆる学園青春ドラマ。たぶん、中村雅俊が主演した「われら青春!(1974年)」までが、そのシリーズだったのではないでしょうか。いや、もしかしたらそのあとにも続いたのかもしれませんが、私の中では、「われら青春!」が、シリーズの区切りとなっています。

 そういえば、小学校の時の卒業アルバムで、将来の夢に「高校の教師」と書いた子(女子)がいて、「この『高校の教師』という書き方は、絶対にこの一連のドラマに影響されているな」と思って聞いてみたら、果たしてその通りでした。その後、夢を果たしたのかどうか、聞いてみたいですね。

 まだまだ、いいドラマとして憶えているのはたくさんありますが、キリがないのでこの辺にしておきます。

 ※下の写真は、「三人家族」の主題歌のレコードジャケット写真。もちろん、自分でも買いましたが、探してみても見つかりませんでした。なので、ネットにあった画像をちょっと拝借しました。とても心に浸みるいい歌ですヨ。
 Youtubeで検索したら聞けるかもしれません。
(2016.08.19)
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ドラマに見る自衛隊への評価

 先日、東京に住む娘のところに行ったときに、Amazone Prime の会員になると、提供されている映画やTVドラマが見放題だよ、と教えてくれました。
 既に会員だったし、PCだけではなくスマートフォンでもOKと言うので、さっそく見てみると、そんなにタイトルは多くありませんが、見たかったもの、懐かしいものもけっこうあって、札幌に戻ってからも、夜、寝床に入ってから見る習慣がついてしまいました。

...

 そんな中で、つい、全編、割と一気に見てしまったのが、有川浩原作のTVドラマ、「空飛ぶ広報室」でした。
 内容は、詳しくは公式サイト(http://www.tbs.co.jp/soratobu-tbs/)を見ていただければと思いますが、TV局に入りながら、報道志望だったのに、ある失敗から意に反してバラエティ班のディレクターに追いやられた、新垣結衣演じるリカ、そして航空自衛隊ブルーインパルスのパイロットに選ばれながら、交通事故で操縦ができなくなり、失意のまま広報室の仕事をこなしている、綾野剛演じる空井。この二人の再生と恋の行方が、物語の主軸です。

 そして、もう一つの大事な軸が、リカの「自衛隊観」。
 世間で自衛隊を否定している人と同じようにリカも見ていたのですが、空井をはじめとする広報室のメンバーと関わる中で、自衛隊を理解していく――もしかしたら制作者側としては、こちらの方が主軸だったのかもしれません。

 このドラマに出てくる空幕広報室は、たぶん、現実離れしていると思います。チームは基本的に雰囲気がいいし、皆、仲が良い。野心を持つ人や腹黒い人は一人もいません。
 時々、ボタンの掛け違え程度の誤解なんかも生じますけど、その回の最後には大団円を迎えます。

 物語の中では、自衛隊の中の醜い部分にもまったく触れていないわけではありません。
 たとえば、防衛大を出て幹部として赴任した女性自衛官が、下の階級ながらベテランで実質的にチームをまとめている男の主導で、部隊からハブられるとか。
 今は広報室の一員であるその女性が、昔のそのことをトラウマにしているんだけど、ある任務を機に、その時の部下と和解し、トラウマを克服する、なんていうことも描かれています。
 でも、自衛隊の内部事情なんて何一つ知らないけど、一般社会のいろいろなことをふつうに経験している身としては、こんなきれい事があるんかいな、なんて思ったのは事実です。
 ただ、断っておくけど、このドラマそのものは私は大好きで、テレビっ子でドラマ好きの私の、これまで何10年と見てきたドラマのベスト5には入ると思うし、この自衛隊の描き方に、嫌悪感はありません。
 でも多くの視聴者がこのドラマの中の自衛隊の描き方を見てどう思うのか、それはたいへん気になるところでした。

 終盤で、広報室が作った空自のPR動画がネット上で大評判になったときに、ある評論家が、リカの局のある番組で、「ヤラセであり、そんなきれい事では済まない」と批判します。
 当然、空自は抗議しますが、局側は、「局としての意見ではない、出演者個人の意見であり、それを封じることこそ言論の統制になる」と、謝罪を拒否します。そしてそのことで、リカも立場が悪くなり、結局、自衛隊の担当から外されてしまいます。

 このあたりから、リカと空井二人の恋の行方も迷路に入り込むのですが、それをひっくり返したのが、東日本大震災でした。

 公式サイトを見ていただくとその辺の流れが分かるのでここでは触れません。
 でも、「我が国に軍隊を置いてはダメ」という、自衛隊を否定的に見る側の一般的な意見に対し、災害救助、人命救助に命を賭けている自衛隊の活躍を描くことでそれに対抗するのは、ちょっと違うのではないか――今回あらためてこのドラマを一気に見て、考えさせられたのはその一点でした。

 このドラマは、今、作っても良かったかもしれない。
 自衛隊は「災害救助隊」でよい、という考えも我が国で根強い中、そして昨年、いわゆる安保法制が成立して騒然としながら、もう「のど元過ぎれば…」になっている今、さらに言えば、憲法改正が次第に騒がれ始めている今だからこそ、このドラマの中に込められている、平和とか、軍備とか、そして自衛隊そのものを考える一つのきっかけにはなると思います。

 良くできたラブコメとして見て、「ああ面白かった」で済ませたら、ちょっと残念かもね。
(2016.07.20)

「わたしをみつけて」の背景にあるもの

 久々にいいドラマだった。NHKの「わたしをみつけて」。
 瀧本美織のファンというわけではないけど、なんとなく意識していた女優である。
 なので、見始めた。
 1話目から引き込まれた。
「居場所」「寄る辺」「拠り所」「帰る場所」…...
 そういうものを持つことができなかった、自身、寂しい人生と思っていた一人の女性が、実はいろんな人に眼差しを向けられていて、ちゃんと「居場所」があったことに気付いていく――そういう物語である。

 もう、どこに行っても、さまざまな人間関係にがんじがらめになっている今の時代。
 かといって、「本当に関わってくれる人」に中々出会えなくて、多くの人間の間を泳いでいきながら、孤独感や寂寥感に苛まれている人のなんと多い時代か。

 まぁ、世の中捨てたもんじゃないよ、なんていうことばで終わらせると、ちょっと違うんだけどね。
(2015.12.17)